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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

進学コースにいたのでソロバンも出来ず、慌ててソロバンを小さな子らと混じって習いました。

2022-02-03 01:10:49 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「親ガチャ」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。


 昨年来の流行語に「親ガチャ」がある。

 コインを入れてレバーを回し、出てくるフィギュアなどを楽しむいわば「当て物」の装置をガチャガチャという。

 何が出てくるか分からないのを擬して「親ガチャ」。

 簡単に言えば、子は親を選べないということ。

 親ガチャでの「当たり」は、親の知的レベルや社会的地位が高く、経済的な裕福な親。

 「外れ」はこの逆と考えればいい。

 まあ、ほとんどの親は外れ組になるだろう。

 当たりの親のもとに生まれた子は必然的に出来が良く、人生のスタートラインが外れの親の子よりもずっと前方になる、ということらしい。

 一面の真実はある。

 しかし、それなら親ガチャの当たりの子が、親と同様の人生となるかといえばそうではない。

 たとえば、親がタカで子がトンビになった例は枚挙にいとまがない。

 親が一流でも子は二流三流、あるいはクズになった例も多い。

 親ガチャの嘆きは分かるが、親もまた子を選べず「子ガチャ」なのだ。

 要するにお互いさまだ。

 「ガチャ」という偶然を悔やんでも仕方ない。

 誰かの言葉ではないが、人は置かれた場所で自分の花を咲かせるほかない。


 以上です。

 
>親ガチャでの「当たり」は、親の知的レベルや社会的地位が高く、経済的な裕福な親。

 家の場合、親の知的レベルはともかく、商売がうまくいっている時は多少裕福でした。
 ところが商売がうまくいかなくなってしまい、金銭的余裕がなくなってしまいました。

 妹は高校三年の半ばまで進学コースにいましたが、親の経済的事情で就職することになりました。

 一般的な就職はすでに終わっていましたので、慌てて就職先を探しました。

 進学コースにいたのでソロバンも出来ず、慌ててソロバンを小さな子らと混じって習いました。

 妹は進学出来なくなったことを嘆いたことはありませんでしたが、急に進路が変わったことには困惑したと思います。

 妹が高校に入る頃には経済的に息詰まっていたので、最初から就職コースに入らせれば良かったのにと私は思います。




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