中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「親ガチャ」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
昨年来の流行語に「親ガチャ」がある。
コインを入れてレバーを回し、出てくるフィギュアなどを楽しむいわば「当て物」の装置をガチャガチャという。
何が出てくるか分からないのを擬して「親ガチャ」。
簡単に言えば、子は親を選べないということ。
親ガチャでの「当たり」は、親の知的レベルや社会的地位が高く、経済的な裕福な親。
「外れ」はこの逆と考えればいい。
まあ、ほとんどの親は外れ組になるだろう。
当たりの親のもとに生まれた子は必然的に出来が良く、人生のスタートラインが外れの親の子よりもずっと前方になる、ということらしい。
一面の真実はある。
しかし、それなら親ガチャの当たりの子が、親と同様の人生となるかといえばそうではない。
たとえば、親がタカで子がトンビになった例は枚挙にいとまがない。
親が一流でも子は二流三流、あるいはクズになった例も多い。
親ガチャの嘆きは分かるが、親もまた子を選べず「子ガチャ」なのだ。
要するにお互いさまだ。
「ガチャ」という偶然を悔やんでも仕方ない。
誰かの言葉ではないが、人は置かれた場所で自分の花を咲かせるほかない。
以上です。
>親ガチャでの「当たり」は、親の知的レベルや社会的地位が高く、経済的な裕福な親。
家の場合、親の知的レベルはともかく、商売がうまくいっている時は多少裕福でした。
ところが商売がうまくいかなくなってしまい、金銭的余裕がなくなってしまいました。
妹は高校三年の半ばまで進学コースにいましたが、親の経済的事情で就職することになりました。
一般的な就職はすでに終わっていましたので、慌てて就職先を探しました。
進学コースにいたのでソロバンも出来ず、慌ててソロバンを小さな子らと混じって習いました。
妹は進学出来なくなったことを嘆いたことはありませんでしたが、急に進路が変わったことには困惑したと思います。
妹が高校に入る頃には経済的に息詰まっていたので、最初から就職コースに入らせれば良かったのにと私は思います。
シングル・アゲイン - 竹内まりや