がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

原爆忌の菅首相 「脱原発」にふさわしい場か(8月7日付・読売社説)

2011年08月20日 | Weblog
2011年08月14日 15時26分36秒

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110806-OYT1T00855.htm



「原爆忌の6日、広島市で開かれた平和記念式典で、菅首相が東京電力福島第一原子力発電所の事故に言及した。

 広島大学など関係者による放射線の測定や被(ひ)曝(ばく)医療チームの福島への派遣といった支援を得て、事態は安定してきていると述べた。

 原爆医療の経験と実績が、福島でも役立ったのは確かである。

 これに続けて、首相は、「原発に依存しない社会」を目指す考えを改めて表明した。

 だが、「脱原発依存」はそもそも個人的な見解だったはずだ。世界の注目する記念式典で持ち出したのは、原爆と原発事故を重ねることで自らの主張をより効果的にアピールしたかったのだろう。

 鎮魂のセレモニーのいわば“政治利用”ではないか。

 首相はその後の記者会見で、先月末、関係閣僚によるエネルギー・環境会議が原発への依存度を下げていくことを理念とした「中間整理」をまとめたことを挙げ、自らの発言は、政府方針と一致するとの考えも明らかにした。

 しかし、中間整理は首相の「脱原発」宣言を修正したものだ。

 とりまとめに当たった玄葉国家戦略相も、原発を活用しながら減らす「減原発」とし、国民的論議を経て、原発の最終的な姿を決める考えを示している。首相の意向と一致しているとは言えまい。

 退陣を表明した首相が、具体的な根拠を欠いたまま、国家の根幹にかかわるエネルギー政策の変更に道筋をつけようとするのは、無責任に過ぎよう。

 世界の経済が景気後退の危機に瀕(ひん)している今、日本が生き残るために、原子力エネルギーの平和利用はなお欠かせない。

 原発事故を確実に収束し、原発の安全性を高めていくことは、日本の信頼回復への道でもある。

 一方、広島市の松井一実市長は、記念式典の平和宣言で、2人の被爆者の体験談を紹介し、平和への思いを世界に伝えたいと述べた。さらに、すべての核保有国に核兵器廃絶に向けた取り組みを強力に進めることを求めた。

 2年前にオバマ米大統領が掲げた「核兵器のない世界」に向けての国際社会の動きは、停滞している。北朝鮮の核兵器開発の動きを止めることも出来ていない。

 核軍縮・核不拡散・原子力の平和利用の分野で、日本が国際的に果たすべき役割は大きい。外交を立て直し、強力に推進するためにも、「ポスト菅」体制を早期に築かねばならない。(2011年8月7日01時17分 読売新聞)」



「原爆と原発事故を重ねることで自らの主張をより効果的にアピールしたかったのだろう」と読売は言うが、読売の人間には、原爆と原発事故は重ならないのだろうか。



私には、原爆が落とされた広島・長崎の光景は、原発事故後の福島にそっくりに見えるし、政府が情報を隠蔽し、被曝者が置き去りにされている状況も、大本営発表という虚偽の情報発信により、戦争に加担させられ、被爆させられてしまい、その後死ぬまで苦しめられ続けた(続けている)広島・長崎の人達に重なる。



さらに言えば、そのような事態に直面してもなお、原発を推進しようとする読売は、本土決戦を辞さず、最後の一人が死ぬまで戦争を継続しようとした軍部の姿に重なる。



当時の政府・軍部が1度目の広島の原爆投下で気付けなかったように、読売も、もう1度、大地震・大津波が来て、どこかの原発が事故を起こし、収拾不能な事態に陥らなければ、自らの過ちに気付けないのだろう。



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