2009年09月03日 22時32分44秒記載
asahi.com配信記事(URL http://www.asahi.com/national/update/0903/SEB200909030002.html )
「がんと闘いながら次女を産み、約4カ月後に24歳で亡くなった北九州市門司区の大石真由美さんが携帯電話でつづったブログが、一冊の本にまとめられた。「もし再発したって 何回でも闘ってやるばい だって守りたいモノがあるから。大切なまゆの家族」。ひたむきに病気と闘ってきた彼女の姿を伝えている。
書名は「いぬのおまわりさん」。ブログのタイトルと同じで、長女の好きな童謡から取った。母久美子さん(51)がまとめた。
真由美さんは07年5月に結婚、同年8月に長女瑠美南(るみな)ちゃんを出産した。先延ばしにしていた結婚式を控えた07年12月、次女結南(ゆうな)ちゃんの妊娠がわかった。
「ママ、ビッグニュース! 第2子妊娠した!」。久美子さんは、真由美さんが興奮した様子で電話をかけてきたのを覚えている。真由美さんは3人きょうだいの真ん中で、姉美寿々さん(26)とは年子。「年子は楽しい。私も絶対女の子を年子で産みたい」と話していたという。
式の準備や健診で忙しくしていた08年2月、エコー検査で卵巣に異常が見つかり入院。血液のがんの一種、悪性リンパ腫と判明した。
医者に子どもをあきらめるよう勧められ、真由美さんはブログにつづった。
赤ちゃんを諦(あきら)めるとか、絶対にしたくない だってこの妊娠がなかったらまゆは気づかなくて 多分生きてなかったと思う この子が命がけでまゆにイノチの危険を教えてくれた だからまゆは命がけで産みたかった(3月3日)
抗がん治療を開始。副作用で髪が抜けるたびに泣いて久美子さんに電話した。6月23日、帝王切開で出産した。
元気に動いてくれて 何度も励まされた ありがとう 何回言っても言い足りない(6月28日)
9月19日。病院で久美子さんは医者に呼び止められた。血液検査の結果が非常に悪かったという。「命のことも考えなければならない」。頭を殴られたような気がした。
その日、真由美さんは最後となるブログを記した。
大金持ちになりたいとか そんなんやないよ ただ普通で お金ないでも 家族一緒に おりたかっただけなんよ(略) 外泊する度にね (子ども2人が)大きくなって 別人みたいで 嬉(うれ)しい半面 その成長を見れんのが 悔しいで仕方ない
病状は悪化。約1週間後に臍帯血(さいたいけつ)の移植を受けたが改善せず、ほぼ寝たきりの状態になった。ブログも更新できず、11月5日に亡くなった。
ブログは美寿々さんが今年1月、すべて書き写して久美子さんに贈った。「真由ちゃんの子ども2人はまだ幼いけど、ママはこれだけがんばったんだということを残したい」。久美子さんは何度も読み返して、本にまとめた。
2人の子どもは夫の実家で元気に育っている。遊んでいると瑠美南ちゃんが「ゆーな、ゆーな」と言って結南ちゃんを抱きしめるという。
久美子さんは今も、真由美さんの好物のコロッケとヒジキの煮付けをつくれない。真由美さんのことを思い出してしまうからだ。でも夢に出てきては「ママ、くよくよせんでがんばらんね」と励ましてくれるという。「本を完成させた時も夢で『ママやったね!』とほめてくれた。まゆちゃんのがんばりが伝わって、読んだ人に勇気を与えられたら」
本は1470円。問い合わせは不知火(しらぬい)書房(092・781・6962)へ。(山根久美子) 」
asahi.com配信記事(URL http://www.asahi.com/national/update/0903/SEB200909030002.html )
「がんと闘いながら次女を産み、約4カ月後に24歳で亡くなった北九州市門司区の大石真由美さんが携帯電話でつづったブログが、一冊の本にまとめられた。「もし再発したって 何回でも闘ってやるばい だって守りたいモノがあるから。大切なまゆの家族」。ひたむきに病気と闘ってきた彼女の姿を伝えている。
書名は「いぬのおまわりさん」。ブログのタイトルと同じで、長女の好きな童謡から取った。母久美子さん(51)がまとめた。
真由美さんは07年5月に結婚、同年8月に長女瑠美南(るみな)ちゃんを出産した。先延ばしにしていた結婚式を控えた07年12月、次女結南(ゆうな)ちゃんの妊娠がわかった。
「ママ、ビッグニュース! 第2子妊娠した!」。久美子さんは、真由美さんが興奮した様子で電話をかけてきたのを覚えている。真由美さんは3人きょうだいの真ん中で、姉美寿々さん(26)とは年子。「年子は楽しい。私も絶対女の子を年子で産みたい」と話していたという。
式の準備や健診で忙しくしていた08年2月、エコー検査で卵巣に異常が見つかり入院。血液のがんの一種、悪性リンパ腫と判明した。
医者に子どもをあきらめるよう勧められ、真由美さんはブログにつづった。
赤ちゃんを諦(あきら)めるとか、絶対にしたくない だってこの妊娠がなかったらまゆは気づかなくて 多分生きてなかったと思う この子が命がけでまゆにイノチの危険を教えてくれた だからまゆは命がけで産みたかった(3月3日)
抗がん治療を開始。副作用で髪が抜けるたびに泣いて久美子さんに電話した。6月23日、帝王切開で出産した。
元気に動いてくれて 何度も励まされた ありがとう 何回言っても言い足りない(6月28日)
9月19日。病院で久美子さんは医者に呼び止められた。血液検査の結果が非常に悪かったという。「命のことも考えなければならない」。頭を殴られたような気がした。
その日、真由美さんは最後となるブログを記した。
大金持ちになりたいとか そんなんやないよ ただ普通で お金ないでも 家族一緒に おりたかっただけなんよ(略) 外泊する度にね (子ども2人が)大きくなって 別人みたいで 嬉(うれ)しい半面 その成長を見れんのが 悔しいで仕方ない
病状は悪化。約1週間後に臍帯血(さいたいけつ)の移植を受けたが改善せず、ほぼ寝たきりの状態になった。ブログも更新できず、11月5日に亡くなった。
ブログは美寿々さんが今年1月、すべて書き写して久美子さんに贈った。「真由ちゃんの子ども2人はまだ幼いけど、ママはこれだけがんばったんだということを残したい」。久美子さんは何度も読み返して、本にまとめた。
2人の子どもは夫の実家で元気に育っている。遊んでいると瑠美南ちゃんが「ゆーな、ゆーな」と言って結南ちゃんを抱きしめるという。
久美子さんは今も、真由美さんの好物のコロッケとヒジキの煮付けをつくれない。真由美さんのことを思い出してしまうからだ。でも夢に出てきては「ママ、くよくよせんでがんばらんね」と励ましてくれるという。「本を完成させた時も夢で『ママやったね!』とほめてくれた。まゆちゃんのがんばりが伝わって、読んだ人に勇気を与えられたら」
本は1470円。問い合わせは不知火(しらぬい)書房(092・781・6962)へ。(山根久美子) 」