がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

裁判員判決 検証の積み重ねが欠かせない(8月7日付・読売社説)

2009年08月09日 | Weblog
2009年08月09日 19時24分記載

URL http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090806-OYT1T01259.htm



「裁判員が関与した初の裁判が終了した。今後も全国で裁判が相次ぐ。法曹関係者は今回も含め、問題点を洗い出して検証し、裁判員制度を改善していくことが肝要である。

 審理されたのは、東京で5月に起きた路上殺人事件だった。66歳の女性をサバイバルナイフで刺殺したとして、近所の72歳の男が殺人罪に問われた。

 東京地裁の法廷は様変わりした。法服姿の3人の裁判官の両脇に私服の裁判員6人が並んだ。

 検察官と弁護人はモニターに画像を映し、難解な専門用語を平易な言葉に言い換えた。

 検察官が被害者の「防御創」について、「刃物で刺されそうになった時、とっさに手で受け止めようとしてできる傷のこと」と説明したのは、その典型だ。裁判の内容が一般にも分かりやすくなったのは、歓迎すべきことである。

 被告は犯行を認めていたため、裁判の争点は量刑に絞られていた。どれだけ強い殺意を持って被害者を刺したかが、量刑を決めるポイントだった。

 裁判員は、「言い争いになった時、なぜナイフを持っていこうと思ったのか」などと被告に問いかけた。殺意の度合いを見極めようという姿勢がうかがえた。

 懲役16年の求刑に対し、判決は懲役15年だった。「死亡させると分かりながら、強い攻撃意思を持って刺した」と認定した。検察側の主張に沿った判断である。

 4日間の公判では、遺体の写真をモニターで見た女性裁判員が、目をそらす場面があった。別の女性裁判員は風邪で体調を崩し、男性の補充裁判員に交代した。

 連日の公判が、裁判員にとって大きな負担であったことは間違いあるまい。死刑か無期懲役かの判断などを迫られる裁判では、負担は、さらに増すだろう。

 最高裁は、既に設置した電話相談窓口を円滑に機能させるなど、裁判員の心のケア対策に万全を期していく必要がある。

 裁判員の選考方法も検討課題といえよう。今回、地裁が無作為で選んだ裁判員は、女性5人、男性1人だったが、性犯罪などの裁判で、男女の比率や年齢構成が偏ると、判決内容に微妙な影響が及ぶことはないだろうか。

 判決後、裁判員全員が会見に応じ、「人を裁くという重大なことを担わされている思いをひしひしと感じた」などと語った。いつ自分が選ばれるか分からないだけに、裁判員の生の声は、大いに参考になるはずだ。

(2009年8月7日01時15分 読売新聞)」

司法官僚の思う壺だよな。マスコミもわかっててその出来レースに乗る。終わってるよな。

司法官僚の描いた絵図は、まず第1号事件として「否認事件」ではなく、「自白事件」を持ってくる。裁判官には最初から下限の処断刑は見えている。裁判員がその下限を下回るような判断さえしなければ、裁判官だけによる裁判より重い刑を科せる。昨今続いている厳罰化傾向に拍車をかけられる。

「自白事件」だから、裁判員には大きな負担はかからない。なんとか一般市民でも裁判員は務まると喧伝する。得るものすらあるとのたまう。

しかし、ある程度刑事裁判について知識のある人間が見れば、裁判員裁判第1号事件は、職業裁判官だけで判断する方が合理的・能率的に結論を出せることはわかり切っている。自白事件で、情状だけを弁護側が主張する場合、公判は3回もあれば終わる。量刑はおそらく懲役13年程度。


こんなものをわざわざ国民に負担をかけてまで実施する意味は那辺にあるか?

裁判員裁判第1号事件のような自白事件ではなく、否認事件で、しかも、直接証拠がなく、状況証拠を積み上げていくしかない事件だったり、被害者が多数にのぼる事件や、逆に、加害者が多数にのぼる事件を、極めて雑な審理で、しかも短時間で厳罰に処することが出来るようになる。そこにしか裁判員裁判の目的は無い。
一般市民を長期間拘束することは出来ないというもっともらしい言い訳をして、無辜の不処罰という近代刑事裁判における最も重要な原則を乗り越える。そための便法が裁判員裁判である。
エビデンスルールもない我が国で、裁判員の参加しない、非公開で行われる公判前整理手続きにおいて、全権を握る裁判官が、弁護側が申請する証拠・証人をことごとく却下し、検察側のストーリー通りに結論が出るようにあつらえて、何も知らない裁判員の前に提供する。
結果、裁判官・検察官の思惑通り、厳罰を短期間で被告人に喰らわすことが出来る。誤判・冤罪も当然生まれる。しかし、そんなもの司法官憲にとっては痛くも痒くもない。こうして、我が国は、魔女狩りが行われていた時代と見まがうほどの、陳腐で、野蛮な、裁判という名の集団リンチを獲得するのである。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。