がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

東京タワー2

2007年08月16日 | Weblog
2007年03月12日記載

見るまい、見るまいと思いつつ、つい「東京タワー」を見てしまう。今日の放送では「オカン」がスキルス胃がんであり、リンパ節・肝臓への転移も見られるということであった。絶望的な状況である。それでも息子は抗がん剤の投与を勧めた。テレビに映し出された「CDDP]という抗がん剤はシスプラチンである。倍賞美津子は過去にシスプラチンを投与されたことがあるのかと思うくらいの演技の上手さであった。ホントにあんな感じになる。(投与量にも勿論よるが。)

私は入院期間中、抗がん剤を投与している間は家族にも面会に来させなかった。ひどく苦しんでいる姿を見せたくなかったのが1つである。もう1つは以下の理由による。

姉が1度、抗がん剤の投与をする前の前流しの点滴をしている時に見舞いに来たことがある。3リットルの点滴袋に繋がれた私を見て「変わってあげたい。」と言って泣いていた。私の方はというと、3リットルの点滴袋というものがこの世に存在することにまず驚き、こんな袋で何を俺に打ち込むつもりだ、となかば呆れて笑っていた。

冷めた言い方になってしまうが、姉の「変わってあげたい。」という言葉は私には迷惑だった。「変わってもらえるなら変わってもらいたいよ。変われないのわかっててそんなこというのは自己満足だろう。」というのが率直な気持ちであった。

現実に投与されるのは私である。苦しみに耐え、闘い抜かなければならないのは私である。この現実は誰が何と言おうと、泣こうと、叫ぼうと変えることはできない。そう覚悟して治療に臨む人間の気持ちを萎えさせる。私はそういう言葉を言ってもらいたくない。気持ちは有難いが、出来もしないことをその人間の前で言うのは単なる自己満足である。そういうこともあって抗がん剤の投与時には家族も含め面会は遠慮してもらった。

周囲の人間は闘っている当事者からするとかなり無責任な発言をする。無神経と言ってもいいかもしれない。

「東京タワー」では息子が「1%の治る可能性があれば、治療をしてもらいたい。」「奇跡を信じたい。」などと言っていた。行われる治療が体にほとんど害がないのであればそれもいいが、抗がん剤治療を行うに当たっては、そんな考えで臨んではいけない。

治癒(延命も含む。というか、医療は究極的にはすべて延命行為であるが。)の可能性と治療により受けるマイナスの作用総体を天秤にかけて前者が上回ると判断出来る場合にだけ投与を行うべきである。抗がん剤投与は宝くじを買うのとは違う。当たればもうけものみたいにして行うものではない。

ここで誤解して欲しくないのは、心情は心情として理解できるということ。しかし、その心情だけを拠り所にして抗がん剤治療を行ってはならないということである。ガンは気持ちだけで乗り越えられるような甘い病気ではない。冷徹に現実を見つめる眼が必要である。

少なくとも私はそうしてきたし、それは今でも正しいと確信している。



今日の好きな言葉:「人間の価値を裏打ちするのは行動である。行動の裏打ちを持たない言葉に意味は無い。」

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