がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

つめ切り傷害:逆転無罪「正当な看護行為」 福岡高裁判決

2010年09月17日 | Weblog
2010年09月16日 16時00分50秒掲載

毎日jp配信記事(URL http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100916k0000e040024000c.html  )



「北九州市の病院で認知症の入院患者2人のつめを切り出血させたとして、傷害罪に問われ、1審福岡地裁小倉支部で懲役6月、執行猶予3年を言い渡された元北九州八幡東病院看護課長、上田里美被告(44)の控訴審判決が16日、福岡高裁であった。陶山博生裁判長は捜査段階の供述調書の信用性を否定したうえ、「1審には事実誤認がある」として1審を破棄。無罪を言い渡した。

 判決理由で陶山裁判長は、捜査段階で傷害行為を認めたとされる供述調書について、「捜査官の意図する内容になるよう押しつけられ、誘導されたものとの疑いが残る」と信用性を否定。また、「(一部の行為は)傷害罪に当たるが看護目的で方法も相当と言える範囲を逸脱していない。正当業務行為にあたり違法性は阻却される」と述べた。

 上田看護師は07年6月、当時70歳と89歳だった認知症の女性の入院患者2人の右足親指のつめをニッパー型のつめ切りで切除するなどし、けがをさせたとして起訴され、1審では懲役10月を求刑された。

 裁判は、被告のつめ切り行為がケア目的の看護師としての正当業務に当たるのか、否かが主な争点となった。

 1審は「看護行為の一環で患者のつめのケアをする際、指先より深い個所まで切っても直ちに傷害罪の構成要件に該当しない」と判示。その上で事件発覚時に上田看護師が患者の家族や上司に「なぜつめがはがれたかわからない」などと、うその説明をしたことや、捜査段階で「つめを切るとき少々の出血をみてもかまわないと思った」などとする供述調書の信用性を認め「看護行為でなく楽しみとして切った」と、有罪を言い渡した。

 上田看護師側はこれを不服として控訴。控訴審で、弁護側は上田看護師が実際に高齢者のつめを切っている映像などを法廷で流し、痛みや出血に配慮しながら、高い技術でつめのケアができることの立証を試み、「看護師としての正当業務だった」と無罪主張した。

 一方、検察側は他の病院医師を証人として法廷に呼んだ。医師は「行為自体は問題ない」と証言する一方、「患者の家族の同意などがなければケアとはいえない」と述べ、家族などにうその説明をした上田看護師の対応を批判。検察側は「楽しみのためつめを切り詰め出血させた傷害事件」と控訴棄却を求めていた。

 岩橋義明・福岡高検次席検事は「検察官の主張が認められず遺憾。判決を慎重に検討し今後の対応を検討したい」とコメントした。【岸達也】

 【ことば】北九州八幡東病院つめ切り事件

 上田里美看護師は、北九州八幡東病院の看護課長だった07年6月、認知症などで入院中の女性患者2人の右足親指などのつめを医療用つめ切りではがし、10日間のけがをさせるなどしたとして、7月に傷害容疑で逮捕・起訴された。また、北九州市の第三者機関・尊厳擁護専門委員会が4件のつめはぎを虐待と認定した。1審判決では正当業務行為との主張が退けられ、懲役6月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。」




つめ切り傷害:上田看護師「ケア続けたい」 逆転無罪で



URL http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100916k0000e040049000c.html  



「「これで安心し看護師を続けられる」。北九州市の北九州八幡東病院を舞台にした「つめ切り」事件で16日、福岡高裁が元看護課長、上田里美被告(44)に言い渡したのは逆転無罪判決だった。突然の逮捕から3年2カ月。待ち望んだ願い通りの判決に、上田看護師は目を潤ませ、法廷は支援者の拍手で沸いた。【西嶋正法】

 午前10時半、オレンジ色のスーツ姿の上田看護師が入廷。一般傍聴席82席に対し、傍聴希望者は141人。事件への関心の高さをうかがわせた。

 「1審判決を破棄し無罪とする」。陶山博生裁判長が判決を言い渡した瞬間、法廷は拍手に沸き返り、上田看護師は深々と一礼。目を赤くはらし、時折ハンカチを顔にあてながら、判決に聴き入った。

 判決後、福岡市中央区のホテルであった報告集会には看護関係者ら約50人が参加。上田看護師はハンカチで目頭を押さえながら「逮捕から3年2カ月。長かったが、やっと無罪が証明されてほっとしている」と話した。

 法廷では1審(有罪)での光景が脳裏をよぎり「怖くてたまらなかったけど、無罪は言葉にならないくらいうれしかった」と言い「家族やみんなの支えの力はすごいものだった」と述べた。

 07年7月2日の早朝だった。自宅を訪れた警察官がいきなり署に連行し、そのまま逮捕された。「何で私が?」。何が何だか分からなかった。「看護師としてでなく、人として話してください」「出血イコール傷害ですよ」。厳しい取り調べが連日続いた。

 無罪を信じ続けてくれたのは、当時高校1年の長男と、中学2年の長女だった。「警察はうそばっかりやけん、気にしたらいかんよ」。弁護士を介して受け取った手紙に何度も励まされ、涙が止まらなかった。それでも時折、心が折れそうになった。救ってくれたのが逮捕から2カ月後に接見に訪れた弁護士の一言だった。「看護師として話していいんですよ」。法廷で全面的に争おうと覚悟を決め、以来3年間、「潔白を示そう」との思いを胸に裁判に臨んだ。1審の有罪判決(昨年3月)にも信念が揺らぐことはなかった。

 看護師を志したのは中学1年生の時。姉が負傷し搬送された救急病院の看護師は優しかった。あこがれの職業になった。20歳で念願通りに看護師になり、以来二十数年間、この道一筋で生きてきた。しかし、突然の逮捕後に、懲戒解雇され、生活は一変した。

 07年の保釈後、別の職への就職を考えたが、子どもたちは口をそろえた。「お母さんから看護師を取ったら何も残らんやん」。我に返り「自分には看護しかない」と痛感した。

 小児科クリニックで働くようになって2年。患者と接する日々にあって、改めて心に誓った。「患者さんのそばで過ごすのが何より大好き。これからも看護ケアを続けていきたい」



 ◇上田看護師 涙浮かべ「長かった」



 判決後、福岡市中央区のホテルで報告集会があり、看護関係者ら約50人が参加。上田看護師は「ありがとう」と言って一人一人と握手を交わした。

 上田看護師は「逮捕から3年2カ月。長かったが、やっと無罪が証明されてホッとしている」と目に涙を浮かべながら話した。



 ◇「なぜ無罪か」被害者側の次男



 被害者とされた女性(当時89歳)の次男(63)は無罪判決に「なぜ無罪なのか分からない。つめを切る際には家族や医師の許可を取る仕組みを作らないと、また同じような事が起きる」と話した。」


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