がん(骨肉腫)闘病記

抗がん剤治療、放射線治療、人工関節置換手術、MRSA感染、身体障害者となっての生活の記録を残します。

ブラック企業集中取り締まり…立ち入り、公表も

2013年08月08日 | Weblog
2013年08月08日 19時29分15秒

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130808-OYT1T00651.htm



「厚生労働省は8日、若者に極端な長時間労働を強いるなどする、いわゆる「ブラック企業」への集中取り締まりを実施すると発表した。



若手社員の離職率が極端に高かったり、過重労働が続いていたりする疑いのある全国約4000社に対し、9月の1か月間に立ち入り調査する。悪質な労働基準法違反などが確認されれば書類送検し、社名を公表する。

 対象は、平均的な離職率を上回っている企業など。同省によると、大卒の3年以内の離職率は平均で28・8%で、業種や企業の規模も参考にする。サービス残業や労使の合意を超える残業が横行しているとの相談がある企業や、過去に労災を起こした企業も含める。

 実態把握のため、9月1日には無料の電話相談(0120・794・713)を実施する。時間は午前9時から午後5時まで。

(2013年8月8日13時30分 読売新聞)」


おっせーけど、やらないよりはね。


悪質な労基法違反があれば、書類送検じゃなくて、社長を逮捕しよ、社長を。



16歳にがん余命告知 昨年末、名大病院

2013年08月08日 | Weblog
2013年08月07日 00時21分46秒

http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130805065651665



(2013年8月5日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】



「終末期医療、自ら選択



名古屋大病院(名古屋市昭和区)の小児病棟で昨年末、小児がんの少年=当時(16)=に対して初の余命告知が行われた。少年はその後の治療のあり方を自ら選択。希望に沿った終末期医療が行われ、ことし3月、17歳で永眠した。未成年のがん患者への余命告知は、全国でも数少ない。同病院小児科チームは、11月29日から福岡市で開かれる日本小児血液・がん学会で発表する。(編集委員・安藤明夫)



少年は、愛知県碧南市、運送業菊本直樹さん(47)の長男大珠(たいじゅ)さん。 中学1年のときに、左あごに難治がんの悪性エナメル上皮腫を発症。肺と背骨に転移が見つかり、名大病院に入院した。あごのがん細胞の摘出と強力な化学治療により、いったんは退院できるまで回復したが、高校進学後に再発した。


 治療法はなく、抗がん剤を投与すると、しばらくは歩けるようになるものの副作用に苦しむ状態。両親が「本人に正しく状況を伝え、これからの過ごし方を選ばせてやりたい」と希望し、昨年12月15と19日、主治医の高橋義行准教授が2回に分けて余命を告知した。


 これから痛みや息苦しさが強まる可能性があり、痛み止めに24時間の点滴、呼吸の苦しさには「ウトウトと眠る薬」を使うと話し、大珠さんの了解を得たうえで「この治療を始めると1週間ぐらいで、眠っている時間がかなり長くなるので、会いたいと思っている人、手紙を書きたいと思っている人がいたら、そうしてほしい」と説明した。


 大珠さんはベッドに横向きに寝たまま、何度もうなずいたという。延命の人工呼吸、心臓マッサージを行わないことも確認した。


 大珠さんはその後、「友達と遊びたい」と抗がん剤治療の再開を希望したが、効果がなく3日間で終了。さらに、自宅に近い病院のホスピス病棟に移ることも検討したが、名大病院にとどまって病棟の友達や家族と過ごすことを選んだ。痛み止めのモルヒネの量を増やす時も自ら判断した。3月12日朝、眠るように亡くなった。

 高橋准教授は「小児がんの病名告知は、多くの病院で行われるようになり、名大小児科では6歳以上の子の全員に告知している。ただ、終末期の余命告知はどうしてもご両親がためらいを感じることが多い。本人の希望を尊重することが、本人にも家族にも納得できる終末期につながる」と話す。

小児がん医療の前進

 名大病院とともに小児がん拠点病院に選ばれている三重大病院(津市)の堀浩樹教授(小児科)の話 小児がん医療における一つの前進だと思う。残された人生の治療選択を自身の判断でできることが医療の本質であり、スタッフとご家族、患者さんの力によって成し遂げられたと思う。」




http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130805070535663



(2013年8月5日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】



余命告知の少年 感謝のメール、9通



「全部知って闘いたい 

 「あの状況で、言わずに済む方法ってありえない…」。母・里子さん(45)は言葉を詰まらせながら、余命告知当時の心境を振り返った。



抗がん剤治療の間は、水を飲むだけで吐いてしまう。162センチの身長で体重は35キロを切った。足が動かなくなり、左肺の機能も失った。抗がん剤を投与すれば歩けると大珠さんは頑張ってきたが、効果も次第に薄くなった。


 「全部を伝えること」は、大珠さんの希望だった。


 最初の入院のとき、気持ちの負担を和らげようと、背骨への転移を告げなかった。退院前に事実を知った大珠さんは「転移より、隠されていたことがショックだよ。全部を知って闘いたいから、これからは隠さないで」と厳しく言った。


 余命告知で大珠さんが動揺することはなかったという。


 ただ、父の直樹さんに「人間って死ぬときはあんなに苦しいの」と尋ねたことがあった。病棟で亡くなった友人たちの様子を思い出し、不安にかられているようだった。


 直樹さんは率直に答えた。「おまえのおじいさんも、モルヒネで痛みが取れて、眠ったまま亡くなった。もし最期が苦しむだけの時間だったら、先生に伝えるからな」


 個室に移った後も、病棟の闘病仲間らが入室を認められ、カードゲームなどをして遊んだ。既に退院していた子も、日曜日ごとにやってきた。「互いに病状のことは話さず、自然に過ごしている姿に感動しました」と、病棟の子たちを支えるチャイルド・ライフ・スペシャリストの佐々木美和さん(31)。


 2月になって、大珠さんは、携帯電話のメール機能を使って、感謝の手紙を書き始めた。指の力も視力も落ちる中、両親、妹、闘病仲間、幼なじみ、佐々木さん…計9通に及んだ。送信はせず「ぼくが亡くなってから渡して」と。


 直樹さんは言う。


 「こうした終末期を過ごせたことを感謝しています。自ら治療を選ぶ意味を多くの人たちに知ってもらえたら、大珠も喜ぶと思います」」


法制審は、なぜこの声を聞かないのか~可視化を巡って冤罪被害者たちは語る

2013年08月08日 | Weblog
2013年08月06日 00時51分19秒

http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130804-00026994/



江川紹子 ジャーナリスト 2013年8月4日 18時56分



「取り調べの可視化(全課程の録音録画)などを巡る法制審議会特別部会の議論は、当初期待されていた冤罪防止の目的から、だいぶ遠いところでなされているように思えてならない。そんな中、取り調べの可視化を求める日本弁護士連合会主催の市民集会が7月31日に開かれ、足利事件の菅家利和さんら冤罪の被害者4人が、取り調べの実態を語り、全面的な可視化の必要性を訴えた。同じ日、「なくせ冤罪えんざい!市民評議会」(客野美喜子代表)が冤罪被害者らと共に法務省を訪れ、可視化などを検討している法制審議会特別部会に対し、全ての事件で取り調べの全過程を可視化するよう求める要望書を提出した。

事実でない調書でもサインしないと取り調べが終わらない
日弁連の集会では、逮捕・起訴されたものの裁判で無罪となった2つの事件と、裁判でも有罪とされて服役を余儀なくされ、再審でようやく冤罪を晴らした2事件が取り上げられ、それぞれの当事者が経験を語った。

看護師として働いていた北九州市の病院でお年寄りの爪のケアをしたことが虐待行為として傷害罪で逮捕・起訴され、福岡高裁判決で無罪が確定した上田里美さんは、寝たきり高齢者の爪の特徴とケアについて話しても、「全然聞いてくれなかった」という。いくら「爪を切った」と説明しても、「いや爪を剥いだんだ」と退けられた。事実を説明しても、「自分を正当化している」と拒絶された。刑事は「ここは反省する場だ」「心を裸にして謝罪しなさい」と繰り返し、「看護師としでではなく、人として答えろ」と迫った。上田さんは頭がすっかり混乱し、根負けして、「爪を剥いだ」という刑事の言葉を受け入れた。

「爪をケアして患者様がきれいになってすっきりした笑顔を見せてくれるが見るのが好きでうれしい」と話しても、調書には「爪がなくなっていく様子に異様な喜びを感じた」とか「爪を切って剥ぐことしか頭になかった」などと、虐待の動機として記述された。

検察官の調書でも、「爪を剥ぐことで現実の煩わしいことを忘れた」などと書かれた。上田さんは、もう自暴自棄になって、「いくらでもサインするのでいいように書いたらいいじゃないですか」と言うほどだった。それでも、「自分でしゃべれ」と言われたので、検事の誘導に従って、できるだけ求められる「正解」を探しながら答えるようになった。「まるで面接試験を受けているようだった」と上田さん。

「一番辛かったのは、患者様の家族が怒っている、と言われたこと。ご家族が怒っているのであれば、ご家族が納得するようなこと、処罰を受けないと世間も納得しない、と思うようになった」

取り調べの最後には、出来上がった調書を読み聞かされた。そこに書かれているのは、高齢の患者の爪を剥いではサディスティックな喜びを感じる冷酷な人間像だった。

「私って、そんなにひどい人間だったのかしら、と情けなくってどうしようもなかった。それでも、とにかくサインしないとコトが終わらないので泣く泣くサインをした」

メディアにも、大々的に「虐待看護師」として報じられた。

逮捕される前、『朝ズバ』でみのもんたさんにケチョンケチョンに言われているのを見て、ひどい看護師としてレッテルを貼られたので、もう看護師はできないと思った」

誰も自分を信じてくれないのではないか。そんな孤独な状態な中で、弁護士はこまめに接見に来てくれた。だが、すっかり動揺していた上田さんは、この時点では証拠をまったく見せてもらえない弁護士に対して取り調べの状況を言葉でうまく説明できず、弁護士のアドバイスも生かすことができなかった。取調官からは弁護士の悪口も聞かされ、「初犯だからそんなに長い罪(刑罰)にはならないから」となぐさめられ、取り調べの間は、むしろ捜査官の方が信頼できるような気持ちにさえなった。

名ばかりの「任意」
鹿児島県警の警察官が選挙違反をでっち上げた志布志事件で、警部補から「踏み字」を強要された川畑幸夫さんは、「任意」の取り調べの実態を生々しく語った。連日朝から晩まで「お前は人間じゃない」などと怒鳴られ、「自白」を迫られた。取調官の前には水やお茶があるのに、川畑さんが頼んでも水も飲ませてもらえない。体調が悪くなってもなかなか病院に連れていってもらえない。やっとのことで病院に行き、医師からは「安静にしているように」と言われたのに、そのまま警察に連れて行かれた、という。


「踏み字」を強要されたのは、3日目の取り調べ。父や義父などの名前が書かれ「お父さんは、そういう息子に育てた覚えはない」「早くやさしいじいちゃんになってね」「元警察官の娘をそういう婿にやった覚えはない」など、家族からのメッセージのような文言を書いた3枚の紙を示され、「これを見て反省しろ」と言われた。

さらに1時間後、警部補は川畑さんの足首をつかんで、その紙を10回ほど踏まされた。その時の様子を、弁護士を川畑さん役に見立てて、再現してみせた。

選挙違反事件は全員が無罪になり、警部補は特別公務員暴行陵虐罪で懲役10月執行猶予3年の判決を受けたが、そこで踏み字は「少なくとも1回」と認定された。川畑さんは、「可視化がされていれば、自分の言うことが通ったのに…」と悔しさが募った。

「『任意』なんて名ばかり。任意の取り調べの段階から全課程の可視化が必要だ」と強調した。

菅家さんは、朝早く、突然警察官の訪問を受け、警察署に連れて行かれた。形の上では「任意同行」だったが、「任意も強制も分からなかった」菅家さんは、拒むことはできなかった。密室の取り調べで、「自白」に追い込まれた。

取り調べでは、机の下で足を蹴られた。

「(最初の取り調べからすべてを録音録画する全面可視化だけではなく)頭から足もとまでを全面可視化して欲しい」と菅家さん。

机をバーンと叩かれるなど、威迫的な取り調べが「とても怖かった。道を教えてくれる交番のお巡りさんはやさしいが、取調室の警察官は怖い。びっくりした」と語る。

自分自身は身に覚えもないので、認めれば無期懲役や死刑の可能性がある、というのも、頭に浮かばなかった。「裁判官は分かってくれると思っていたのに…」と、無実の訴えを聞き入れず、調書を信用して有罪判決を出した裁判所に対する不信感もにじませた。

実況見分や自筆見取り図の真相
富山県氷見市で起きた強姦・同未遂事件で実刑判決を受け、服役が終わった後に真犯人が自白して無実が明らかになった柳原浩さんも、「任意」の段階で自白に追い込まれた。取り調べは朝から深夜まで続き、「お前の姉さんも、間違いないと言っている」と言われて家族からも見放されているのか…と衝撃を受けた。亡くなった母親の写真を示され「母さんが泣いているぞ」と言われ、「もう何を言ってもダメだ」と絶望的な気持ちになって、「はい」と一言。その直後に逮捕された。

逮捕されて一番衝撃的だったのは、勾留の手続きで検察官と裁判官に否認した後の時のこと。警察署に戻ると、警察官は「なんてことを言うんだ。この野郎。バカ野郎」と叫びながら、机を思い切り叩いた。逆らったら何をされるか分からない、という恐怖感で震え上がった。

以後の柳原さんは、警察官の言うなりに行動した。

実況見分で車に乗せられ、被害者宅を案内するように告げられた。行ったことがないので分からない。それでも、警察官に「どこを曲がるのか」「まだか」と聞かれたびに、「ここで曲がるのかな」と思い、「右に曲がってください」とか「左です」など答えた。当然のことながら、いつまで経っても着かない。適当に「ここです」と言ったら、「ここは空き家だぞ」と怒られた。そのうち、しびれを切らした警察官が、一軒の家の前に連れて行ってくれた。そこで、こう指示された。

「被害者の家を指させ」

周囲を見回しても、民家はその一軒だけ。柳原さんがその家を指さしたところを、写真に撮られた。その後、玄関の前まで連れていかれ、「よく中を見ろ」と命じられた。よくよく中の様子を見た。すると、警察署に戻ってから白紙を渡され、被害者宅の見取り図を書くように求められた。

こうして作成された見取り図が、調書に添付された。

もう一件の事件でも、柳原さんは被害者宅の見取り図を書かされている。この時は、先に鉛筆で下書きを描かれており、柳原さんはその上をボールペンでなぞればいいようになっていた、という。

さらに、犯人が履いていたとされる星のマークが入った靴の絵を描くように求められた時には、「つま先に星のマークが入っている靴はないだろう」と思い、横に星を入れた靴の絵を描いた。

柳原さんは「逆らったら酷い目に遭わされるのではないかと怖くて、『描けません』と言えなかった」という。

そんな代物でも、本人が描いて、自筆で説明を入れたり署名もしている図面は、いかにも本人が「任意」に作成に応じたような印象を裁判官に与え、そうした図面が添付された調書に書かれたことは、本人が自分の記憶に基づいて語ったことだと容易に信じてしまうのだろう。


法制審特別部会幹事で、早くから取り調べの可視化を求めてきた小坂井久弁護士は、「日本独特のことだが、取り調べが『懺悔の場』となっている。悔悟させることが取り調べの機能だと公然と言う学者もいる」と指摘。可視化の要求が全く無視されていた時代に比べれば、論議は「遅々として進んでいる」ものの、法制審の議論は全事件全面可視化からははるか遠い。小坂井弁護士によれば、爪ケア事件(傷害罪)や志布志事件(公選法違反)などは、「現時点では、法制審の議論の対象になっていない」という。

「私たちの声を聞いて」と冤罪被害者たち
法制審議会の特別部会は、厚労省局長だった村木厚子さんが逮捕・起訴され、検察官が証拠改ざんまでやっていた事件をきっかけに作られた検察の在り方検討会議の提言を経て作られた。可視化の法制化についてもここで議論されているが、1月末に発表された「基本構想」では、1)裁判員裁判などごく一部の事件に限って全課程の録音・録画を行う 2)録音・録画は取調官の裁量に任せるーという2案が示され、冤罪防止を訴えている人たちを大いに落胆させた。同部会では、通信傍受や会話傍受、司法取引など捜査手法の拡大についても議論されている。冤罪被害者の話は、志布志事件で長期間身柄拘束された県会議員に一度、それもごく短時間のヒアリングをしただけだ。

6月に結成された市民団体「なくせ冤罪えんざい!市民評議会」が法制審に提出した要請書は、厚労省事件での反省を踏まえて適正な司法の実現を目指して設立されたと思っていた法制審特別部会の議論が、「警察、検察、裁判所など各出身母体の権限の温存や拡大を第一義的モチベーションとする意見の応酬」になっていることに対する失望感を表明。冤罪被害者の声を聞き取りを行い、これまでの議論を見直すように求めた。

合わせて、再審無罪が確定した東電OL事件のゴビンダさんや布川事件の桜井昌司さん、杉山卓男さんら冤罪当事者ら8人も要望書を提出。全面可視化や検察官の手持ち証拠全ての開示を求めるその要望書にも、法制審に対する落胆が記されている。

〈冤罪を体験した私たちは、「取調べの全面可視化」こそ、冤罪を防ぐ第一歩として、この審議に期待し、結果を楽しみにしておりました。ところが、なにがどうなりましたのか、いつの間にか論点がすり替わり、「捜査手段の補強が前提である」かのごとき論議になったり、中間報告では「取調官の判断で可視化を行う」ごとき内容になったりしているのを知りました。全く理解できない変転です。〉

冤罪の被害者たちは、「冤罪を作ってきた警察や検察の代表者」や「御用学者」を多数入れた特別部会の構成に納得できない、と述べ、「そのような人たちの話ではなくて、なぜ私たちのような体験者の話は聞かないのでしょうか」と訴えている。」