新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私が一寸気になっている事

2022-11-19 08:16:06 | コラム
岸田総理の猫背なのである:

私にはテレビのニュースを見ていて何時も気になっている事がある。それは、岸田文雄内閣総理大臣が官邸に護衛を引き連れてのっしのっしと歩いてこられる時の姿勢である。失礼を顧みずに言えば、背筋がピンと伸びていないのだ。言わば猫背なのだ。もっと言わせて貰えば、私の目には「総理大臣としては威風堂々としていないのではないかな」と言うか、爺むさく映るのだ。個人的に勝手なことを言えば、岸田総理には猫背を治して頂きたいと思っている。

もう10年以上も前のことになっただろうか、渡部亮次郎氏に「猫背は医学的にも色々な意味で宜しくないので、是正した方が良い」と注意されて、渋谷にある渡部氏のNHKの後輩に当たる方が開業しておられたカイロプラクティックスの治療院に1年ほど通ったことがあった。そこでは治療の他に姿勢が良くなる体操(ストレッチでも良いか)を教えて頂けた。背筋がピンと伸びていると脳への血行が良くなると何処かで聞いた気もする。結果として、私の体の姿勢は改善できた。

それ以来、私はジムに行けば先ず15分ほどストレッチから入るのだが、その中には渋谷で教えて頂いた方式も組み入れてある。その後にインドアトラックでウオーキングをするのだ。その歩く姿勢を見た何人かの高齢者に「(貴殿の年齢にしては)背筋がピント良く伸びていて姿勢が良い」と褒めて貰っている。渡部氏のご配慮のお陰で姿勢が良くなり、3度の心筋梗塞と2度の心不全の発作を切り抜けて90歳を迎えられるようになったのかと思って、感謝申し上げている。

岸田総理も「国の内外に渦巻く困難な諸問題を、快刀乱麻を断つが如くに処理し、インフレーションも円安も退治して賃金が上がるようにするためには、先ずは姿勢の改善に取り組まれて血行を促進され即断・即決が可能になるようになさったら如何かな」などと密かに考えている。私は総理よりも年上の時に取り組んで改善できたのだから、総理に出来ないはずはないと思うのだ。


“I gift ball police.”

2022-11-18 08:00:22 | コラム
東京都では高校入試に英語のスピーキングテストを:

今朝ほど4時からのTBSのニュースだったと思うが、その何とも言いようがない内容に衝撃を受けて、何処の局だったか記憶が飛んでしまった。それは、東京都が決定した都立高校だったかと思うが、入試に英語のスピーキングテストを課すということで、それ用の塾での指導の仕方を報じていた。私はその画を見て1997年から個人指導した某大手商社の若手に用いた手法とほぼ同じだったので、驚き且つ呆れた。言いたいことは「極めて高度な指導法」だったのだから。

具体的にいえば、中学生にある画を見せて「その画面を英語で表現して見ろ」なのだった。私が当時25~26歳くらいだった某私立大学出身の精鋭の指導に用いた手法は「私と一緒に街に出て、そこに見えてくる情景をそのまま英語で語って見よ」だった。これは、瞬時にその状況を認識した上に、適切な単語と表現にして言い表す」のであって、単語だけをバラバラに覚えていたのでは、到底何ともならない課題である。文法的な誤りは許さなかった。勿論、彼には「言葉の使い方を流れの中で覚えよ」と予め十分に指導してあった。

時が経つにつれて、彼はこの課題を何とかこなせるようになってきた。言いたいことは「一流の大学出身者で、日常業務で英語に接していても、そんなに簡単なことではなかった」のである。それと似たようなことを、中学生に「画を見せただけで、情景を描写せよ」というのは無理難題以上というか、論外だと思った。

私に瞬間的に見えた画の1枚は「子供が制服姿の警察官にサッカーボール(だと見えた)を手渡していた」のだった。それを見た生徒は暫く悩んでから“I gift ball police.“と絞り出した。それは聞いた講師は「toが抜けている。それだけでも減点される」と言ったのだった。私にはこの講師の一言を論評する言葉が浮かんでこなかった。この絵は非常な難題であり、相当高度な英語力を持っているだろう人でも、瞬時に正解が出てこないだろうと思う。

私は“A boy handed over a ball to a policeman.”か、policemanを“uniformed policeman”としたかった。または“A boy was passing a ball to a policeman.“でも良いかなと考えた。感じたままをいえば「我が国の英語教育で育った生徒には、俗に言う『無茶振り』の類いだろう」なのだ。音声の解説では「このテストが20点で合計120点なので、しっかり勉強しておかないと大きなことになる」とあった。もしも、本当の試験がこの塾での模擬テストのような問題であれば、20点を取れる生徒が出てくれば奇跡かと思わずにはいられなかった。それだけではない、講師はチャンとあの画を描写できるのだろうか。

終わりに何時でも同じ事を言うが「単語をバラバラに覚えさせるだけで、流れの中でどのように使われるかを教えていないから、このような(惨めな?)結果のようになる」のである。そこに加えたいことは勿論「音読・暗記・暗唱」である。“give“には確かに「与える」という意味はあるが「無償」で渡すという感覚である。その名詞形である”gift“が出てきていたのには、寧ろ驚愕した。警察官の絵を見て“police“しか思い浮かばなかったのも「困った教育では」と言いたくなった。

この一例だけを以て、我が国の学校における英語教育を批判するのは無理筋かも知れない。だが、私はこれを氷山の一角だと思うし、「toが抜けているから減点される」との塾の講師の講評には、何を言えば良いのかも解らなかった。かくして、朝から非常に残念であり悲しい思いにさせられたのだった。文部科学大臣の永岡佳子さんは、このような英語教育の実態を何処までご承知なのだろうか。

インドネシア・バリ島のヌサドア

2022-11-17 08:22:16 | コラム
1997年1月にヌサドアに:

G20がインドネシアのバリ島にあるリゾート地・ヌサドア(Nusa Dua)で開催されたと聞いて、少しばかり懐しくもあったので、思い出話を。

この時は観光旅行ではなく出張だったのである。それは伊藤忠商事の手伝いで、インドネシアにある華僑財閥のSinar Masの傘下の超近代的で大規模な製紙会社のAsia Pulp & Paper(APP)の工場見学に、関東地方の大手紙商の幹部30名ほどを案内したときのことだった。1955年から紙パルプ産業界に身を置き、世界最大の製紙国であるアメリカの工場を見る経験があった私が、見学したAPPの2工場の規模と超大型で高速で高品質の紙を作る抄紙機に度肝を抜かれた出張だった。

その見学と商談の旅を終えて、最後に漸く観光にと案内されたのが「神の住む島」などと賞賛されていた観光地バリ島だった。先ず私が何とも言えない思いにとらわれたことがあった。それは、噂には聞いていたことだったが、デンパサール空港の到着ロビーには格好が良いインドネシア青年どもが立っていて、出てくる日本人と思しき若い女性に次から次へと声をかけていたこと。海外でボーッとなっている若き女性たちを目当て軟派師だと聞かされた。

我々一行はデンパサール空港からヌサドアに向かった。案内役の駐在員から厳しく警告されたことは「この地区の塀の外には、案内されたとき以外には絶対に出ないこと」だった。これを読まれた方でバリ島を訪れたことがない方は「何だ。それほど治安が悪いのか」と思われるだろう。だが、世界中で我が国ほど治安が安定している国も場所もないのだ。即ち、不慣れな外国でノコノコと単独行動されて何かがあれば、商社の責任問題になりかねないという意味だ。言ってみれば、東南アジアに行けば、常に四方八方に警戒を怠ってはならないということでもある。

ヌサドアの中では全てが整っており、免税店もあった記憶もあるし、食事も買い物も楽しめたし、綺麗で監視の行き届いたプライベートビーチもあった。だが、私は寡聞にしてG20を開催できるほどの大規模な会議場の施設があったとは知らなかった。我々はコテージ風になっているグランドハイアットに一泊して帰国したのだが、このホテルは素晴らしかったと思う。

短時間に観光もしたが、世界で最もイスラム教徒が多いインドネシアだが、この島ではヒンズー教であり、その関連の施設も遺跡も見学した。そして知り得たことは神が住む島とは必ずしも島全体が「神々しい」訳でもなく、それほど風光明媚な島でもないようだということになるだろうか。お寺か神社の見学には短パン(半ズボンは死語か)は許されず、レンタルの腰巻きのようなものを着用させるのも面白かった。

私の捉え方では「確かに島中を見て回るのも結構だとは思うが、ヌサドアのようなリゾート地内にいて、綺麗なホテルで美味い物でも食べて、美しい海でも眺めてノンビリと過ごせば、オアフ島なので買い物だのワイキキビーチだのと田舎者の如くに動き回っているよりも寛げるのではないかと思うのだ。私はオアフ島のホノルルには出張と遊びで2度しか行ったことがなかったが、ワイキキで「ローレックスの偽物があるよ」と声をかけられたのが忘れられない。そういう方面の裏事情では、バリ島の方が上(下?)かも知れないが。


11月16日 その2 NEW YORK TIMESに目を通した

2022-11-16 17:09:03 | コラム
偶に見る機会があるこのアメリカの有力な地方紙から:

実は、22年以上もの間アメリカに頻繁に通っていながら、ニューヨーク市には2度しか訪れたことがなかったことも手伝ってか、この我が国のマスコミが有り難がっている有力地方紙を、あれほど方々渡り歩いていていたにも拘わらず、一度も見た(読んだのではない)記憶がなかったことだった。それが、有り難いことにジムの片隅のサロン(?)にはJapan Timesと組み合わされているこの有名な新聞が置いてあるのだ。

時差の関係から考えると1日遅れかも知れないが、有り難いことだと思って、時間に余裕がある時に、幾らかでも世界とアメリカの時の流れに接しようと考えて、ザッと見出しだけでも読むようにしている。そこで、何と解ってきたことがあった、それは、会社が年間の社員の宿泊を約束して経済的なコーポレート・レートを取っている有名な全国展開のホテルでは、特に依頼しない限り、“USA TODAY“しか部屋に入ってこなかったことだ。それ以外の場合は、その都市の地方紙しか配られてこないのだ。

そこで、ジムでNY TINESが読めるとは、大変結構なことだと思っている。そして、漸く先日気が付いたことがあった。それは、この新聞には何か特別にニューヨーク市かニューヨーク州の出来事が報じられていることがなかったことだった。殆どの記事は我が国の朝毎読産日のように、アメリカ国内と世界の政治・経済・文化・芸術・スポーツとうの記事で埋め尽くされていたことだった。「なるほど、我が国の全国紙が飛び付く訳だ」と思った。

今朝も10分ほど帰りのバスの時刻に余裕が出たので、トランプ様関連の何かが見つかるかと思えば、それは明日の朝刊のようだった。ただ、一つ大発見があった。それはといえば、USA TODAYも同様だが、通常は我が国関連の記事などは先ず載っていないにも拘わらず、私は「日本は周辺の情勢が不穏になりつつあるので、防衛費の増額に向かう」とあったのを、2面だったかに発見したこと。これは重大なことなのだ。と言うのは、何度も採り上げてきたことで第一次安倍内閣の総辞職のニュースはUSA TODAYでは無残なベタ記事だったくらいだから。

他に気が付いたことは「共和党の先行きの鍵になるのがトランプ氏である」とあった辺りだった。New York Timesはチャンと東京に支局があるのだから、もう少し自国の同盟国の動静を本部に流して、「日本の情勢はこうなっている」のような記事が載るように努力して貰いたいものと思う。だが、私が怖れていることは“Kishida who?”などとなってしまいはしないかという辺りだ。何分にも知識階層でも、日米安保条約の存在など知らなかったのだから。


GAFAM+Tでリストラが

2022-11-16 08:00:36 | コラム
現在好調を謳歌している会社は・・・:

私は持論として「その時に好調だと見える会社は、そう遠からぬ将来低迷するものだ」と唱えてきた。具体的な例を挙げて見れば、私が新卒で就職した昭和20年代後半には「三白景気」と言われて製紙、砂糖、セメント会社が絶好調だった。その後に「糸偏景気」とか「ガチャ万景気」と言われた繊維産業が我が世の春を謳歌していた。21世紀の現在に、繊維だけで経営が成り立っている紡績会社があるだろうかということだ。

ここ数日の間にGAFAMではないが、イーロン・マスク氏は買収したTwitter社(この綴りを何で「ツイッター」としたのか)で半数の従業員の解雇を発表した。更に、メタ(Facebook)は約1万人、アマゾン(Amazon)も約1万人のリストラを発表した。マスコミの報道の仕方を見ていると、アメリカの景気に陰りが見えた上に激化するインフレーションの影響があるかのようだ。

GAFAMは確かにアメリカの好景気の先導役だったし、恰も製造業が終焉を迎えICT業でなければ会社ではないかの如き空気が醸し出されていた。1993年末で実質的に製造業界から引退した超後期高齢者の私には、「果たしてGAFAMに『現在好調な会社は・・・』論が当て嵌まるかどうか」などは考えてもいなかった。訳も解らずにPCも導入したし、「らくらく」が付いてもスマートフォンにも切り替えた。そこに、上記3社の大規模リストラが来た。

私はこの流れをアメリカの景気衰退とGAFAM+Tの退潮と見るのは早計ではないかと思うのだ。それは、何度も何度も指摘したことで「アメリカ人たちの思考体系は二進法であり、『進むか、引くか』や『止めるか、止めないか』のようにしか考えられないのだ。そこに加えるに彼らは先行きの見通しを付けるのが早い事も看過できない。

その意味は「彼らMとAはアメリカの景気の先行きは弱いと見るから、煙が立った程度の現時点で先手を打ってリストラをするかしないか」と考えて、二進法的思考で「リストラ実行策」を取ったのだと見ている。私が言いたいことは「彼らは果断なのではない。二択だっただけ」なのだ。即ち、彼らは言わば中間を採って「経過観察でも遅くはなるまい」のようには考えないのだ。

更に、リストラに簡単に打って出られる背景には「景気が回復したら、我が国では一寸考えられない『その時が来たら、募集をかければまた社員を集められる』という社会通念というか中途採用の雇用の流動性があるから」なのだ。

先行きの見通しの速さという点では、実例として紙パルプ産業界を挙げておきたい。それはウエアーハウザーが2005年にICT化が急速に進み、印刷(紙)媒体がインターネット広告等に圧されて印刷用紙の需要が激減すると読んで、アメリカ最大の非塗工印刷洋紙(上質紙)事業部をスピンオフしてしまった。それに次いで世界最大の製紙会社インターナショナル・ペーパーは、2007年にアメリカ最大級の塗工印刷用紙(アート紙)事業を惜しげも無く売却してしまった。

今やアメリカで印刷用紙を製造している大手メーカーは皆無だし、新聞用紙メーカーは軒並みChapter 11という我が国の民事再生法と同じような保護の下にある。要するに、これが「二進法的思考体系」の下での経営判断なのだ。だが、我が国は印刷用紙の製造から撤退したメーカーもなく、新聞用紙の生産も継続されている。但し、先日家庭用紙の値上げを発表した大王製紙は、その陰で静かに新聞用紙マシン1基の停止を発表していた。

私はその国の文化によって、その国独特の思考体系や物事の判断の基準があると見ている。二進法的思考体系のアメリカの経営者たちの決断は早い。それを十進法か百進法で物事を考える我が国から見れば、非常に果断であり、賞賛すべき素早い判断力に見える場合が多いと思う。長い間彼らの中に勤務してきた私に言わせて貰えば、それは単なる思考体系の違いであり、評価するとか尊敬する必要などない「文化と思考体系の相異」だと見ていれば良いと思う。

私は文化と思考体系の違いに惑わされてはならないと思う。だが、GAFAM+Tがリストラに走り出した以上、アメリカの景気の先行きには不安材料があると見ても、大きな誤りではないと言って良いと思うのだ。