新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

原発ゼロ論などはファッションだ

2014-05-14 08:26:47 | コラム
言論は自由であっても誠に不快な雁屋哲の美味しんぼ:

目下閣僚まで批判の意見を述べておられるこの著名な(なのだろうが見たことはない)漫画の一件については、私がここでその内容に触れる必要はないだろう。私がここで不快だと言っても「原発反対」ないしは「原発ゼロ」を金科玉条のように唱えて推進している方々は快哉を叫んでいるだろう。風評被害も大きくして何のためになるのか。

原発ゼロ等は究極の理想論であり、それが実現できて電力価格を3.11以前の水準に止め我が国の製造業の世界的競争能力を一層強化できるのだったら誠に結構至極である。しかし、小泉と細川の元総理のダブル・ティームが原発ゼロ論を推進し始めて以来、この流れは益々空疎なファッション的になってきた感が深い。

ここで思い出すことが、戦後間もない頃に旧制高校生や一部の大学生の間に流行した共産党員となること、ないしは共産主義礼賛と結核を患い青白い顔に弊衣弊帽で朴歯の高下駄を履き市中を闊歩することである。彼等は戦前の軍国主義のアンチテーゼ(Antitheses)として共産主義に走ったと記憶するが、何分にも当時は旧制中学校に入ったばかりの子供で「格好良いな」と思って遠くから眺めていた。

彼等は資本主義を研究し、これが極端な段階に至れば帝国主義なって海外への進出(侵略)となって表れるのだと主張し、これを否定し共産主義に指向するのを正当化したとも聞かされていた。そのことを大人はファンション左翼ないしは共産主義と揶揄していた記憶がある。そして、これは旧制高校生が必ず一度は通る道で、そこから旧制大学を経て社会人になる時は綺麗サッパリと忘れてしまうものだと笑っていた。

確かに子供だった私の記憶にある限りでも、数人の例外のを除いてファッション的な左翼運動に走った旧制高校生は資本主義の会社に続々と入社していった。これは単なる推論だが、そういう人たちが戦後の日本経済の復興・発展を中心になって担っていったのだろう。

話題を戻そう。私は原発反対運動等には一理なきにしもあらずだとは少しは思うが、それを支持するか荷担する流れにはこの旧制高校生のファッション共産主義と左翼にどことなく似通ったもの見出すのだ。しかし、重大な違いは当時の共産党支持は我が国の世界的経済大国への発展に明確なマイナスの作用をしなかったが、原発ゼロは現にエネルギーコストの急騰という目に見える弊害をもたらしている。

私が在職中だった1993年以前には総合商社の年間売上高は14兆円が最高(限度、限界?)だと認識していたが、原発を止めて火力に依存するようになってからその熱源の輸入を担当する商社の売上高は急増しているではないか。その急増分の全てが原油や天然ガスではないと承知してはいるが、三菱商事の25年会計年度の売上高は21兆円と、何と往時の50%増である。お断りするまでもないが、私は商社を批判しているのではない。原発停止のコスト増論である。

私の意見では(偏見という人もいるかも知れない)このような流れの元を作り上げたのが、民主党政権であり時の総理大臣・菅直人である。それを助長しかねない漫画を小学館は出しているのだ。一部には再度原発ゼロ運動を積極的に開始されたお二方の背後には、菅直人をして太陽光パネル導入を推進させた孫正義がいるとの説もある。

安倍内閣はこのようなファッションには断固たる姿勢で対峙されることを心から望むものである。なお、私は以前から永久的に原発を止めるべきではなく、確固たる大体エネルギー源が確保できていない以上、当分の間は運転を継続し直ちに全面的な停止することは支持できないと考えているのだが。