新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

野党とマスコミの揚げ足取りを責める

2019-11-10 08:12:22 | コラム
萩生田文科相の「身の丈」発言:

例によって例の如く野党が萩生田文科相の発言の一部を切り取って、荻生田氏が自分の意図とは異なると説明しても如何にも「格差問題」であるが如くに大騒ぎしている。そこに朝日新聞と毎日新聞も好機到来とばかりに参戦したのだから堪ったものではない。私はこの報道を聞いた時には「多くの民間試験の中からそれぞれの生徒たちの英語の学力というか実力というか成績に基づいて受験するテストを選べば良い」と言われたのだと思っていた。だが、彼らは又ぞろ一部を切り取って悪意ある非難・批判・攻撃の材料とした。始末が悪い連中だ。

私は今回は撤退したTOEICの内容を見たことがある。それは私が改革すべきであると長年主張し続けてきた我が国の学校教育における「科学としての英語」の成果を試すだけのもので、何処かで誰かが求めている実用性の有無を試すものではないと判断していた。しかし、良く考えなくとも解ることで、我が国の英語教育は「話せるようになるように出来ているものではない」ので、その出来具合をテストするものとしては、あれでも良いのだろうという程度に見た。ましてや民間のテストを大学入試の為に使うのであれば、実用性というか会話能力のテストなど無用だろうとも考えていた。

このように考えてくれば、民間のテストは高校まで英語勉強してきた生徒たちが、我が国の学校教育の英語をどれほど従順且つ良く理解して、良い点数が取れていたかを見るだけのものである以上、萩生田文科相の「身の丈発言」には何ら非難・攻撃されるべき点はないとの結論に達するのだ。私は文科省に「もうこの辺りで英語教育を従来通りに『科学』として据え置くのか、実用性をも持たせるのかを決めても良いのでは」と提案したい。同時に誰がどうやって教えるかも不明な小学校での英語教育などは止めよと提議したい。

同時に、高校にも大学にも(入試センターにもか?)単語など文法などという型に嵌めるような教え方を止めるべきだと言って上げたい。また、揚げ足取りのような試験問題ばかりを作って「受験対策と指導をする企業や塾を潤わせるような方式を止めたら如何か」とも言いたい。昨日もオーストラリアには40万人もいるという日本語を学んでいる人たちの弁論大会も模様をニュースで見たが、近頃は実に巧みに綺麗な日本語を操る外国人が急増している事実をどう考えているかも伺って見たいものだ。誰に尋ねるのかだって。文科省に決まっているではないか。



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