新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

English(英語に非ず)を考える

2023-03-04 08:22:02 | コラム
Englishを正確に発音する為に:

Englishの発音は日本語とは違うのだ:
私は我々日本人にとっては、Englishを正確で綺麗に発音するのは困難なことだと認識している。今回は何故そうなるのかを考えて見よう。簡単に言えば「日本語とは文化も歴史も何も全てが違う国の言葉だから」なのだ。しかも、困ったことに、我が国では明治の頃からローマ字が創造された結果でカタカナ語が生まれ、日本人にも発音しやすいようなカタカナ語の表記まででき上がっていたのだった。多くの日本人は幼稚園児の頃からローマ字式発音に慣れ親しんできている。

例えば、ローマ字式にカタカナ語でdreamはドリームとならざるを得ず発音しやすくはなるが、元の英語の発音とは違った言葉のようになってしまうのだ。また、maniacは「マニアック」と躊躇うことなく表記されているが、Englishの発音は「メイニアク」なのだ。また、ローマ字ではどうしても”th“を表記できないので、thatは「ザット」になるしtheは「ザ」とするしかなく、Englishとすれば不正確な発音になるように誘導する結果になってしまった。

そこで、このような不正確な発音にならないように「初めて英語を学ぶ児童や生徒に英語を母国語とする人たち(native speakerのこと)に、正しく綺麗な発音を聞かせて、それを真似させるように時間をかけて訓練すれば、何とかなるものだ」とでも考えたので、native speakerを招聘して英語の発音も教えようと試みたのだ。

しかし、すべてのnative speakerがお手本にしても良いKing’s Englishか私が信奉する正調のアメリカ西海岸の発音をしている訳ではないという問題がある。私はこれと同じくらいに問題だと思うことがある。それは、native speakerを採用する側に「その外国人が話しているEnglishの評価ができるのか」なのだ。

具体的に言えば採用する側に「London cockney」や「アメリカ南部訛り」と正調の英語を聞き分けられるだけの経験があるのか」ということ。品位に乏しく訛りがあるnative speakerを連れてこないよう万全の注意は必要だ。南部訛りやUKのCockneyは排除すべきなのだ。

Englishは日本語とは違う言語だ:
私が今日までに指摘して来た事は「全てのnative speakerたちが正確で品位があるEnglishの発音をしているのではない。生まれ育った時の言葉の環境のEnglishで話しているだけなのだ。だから、帰国子女たちはnative speakerとして綺麗であり正確な発音ができるようになっているではないか」なのだ。

我が国の人たちが発音を苦手としている発音を考えてみよう。指摘しておきたい事は「日本語とEnglishでは相互に違う音が多過ぎる」という点だ。それはEnglishにはth、rとl、fとv、wの音がある事だ。これらのEnglish独特の発音はローマ字式のカタカナ語では表記が難しいのだ。これらのような日本語にはないような発音は初めてEnglishに触れさせるときに正確に教えておかないと、身に付かない性質なのである。肝心なことは「何処までnative speakerの真似ができるのか」だと思っている。

それは「圧倒的多数の日本人はローマ字式かカタカナ語的な発音で育ってきた英語の教師に最初に教えられたので、本当のEnglishの発音を知らないのだ」ということでもある。私は最初に誰がそのように発音を教えるか、または教えられたかが重要だと思っている。私は信念として「異国の言語の発音であっても、繰り返して訓練すれば誰にでも正確に近い発音ができるようになる」と主張してきたし、美しいEnglishの発音ができている人を数多く知っている。

我々が苦手とするwを考えてみよう。これはカタカナ語の表記では「ウ」とはなるが、日本語にはない音なのだ。即ち、口の両端を「ウ」と言いながら横に広げねばならない。私はこの事を「その発音をする為に使う顔面の筋肉が違うのだ」と説明してきた。カタカナ語ではworkが「ワーク」になってしまうが、正確にしようと思えば「ウワーク」にはならないのだ。

これなどは一例に過ぎず、英語と日本語では使う顔面の筋肉が大なり小なり違うと承知しておく必要がある。だから、私は正確に「Englishの発音をしたければ、言うなれば自由自在に英語の発音ができるようないなる為には「顔面の筋肉のトレーニングが必要」と主張してきたのである。現代に「二世顔」などと言っても通用しないだろうが、戦後まもなくの頃には日系アメリカ人の顔つきをこのように表現したが、それ即ち日本語とは異なる顔の筋肉を使う発音をしてきたからなのだ。

私はアメリカの会社に転じてアメリカにいる時間が長くなり、必然的に英語だけで暮らしている期間も長くなってきた。1980年代の後半だったか、何気なくその頃に自分の写真を見ると紛う方なき「日系二世」の顔付きになっていたのだった。いえ、日系人なら未だ諦めも付くが、空港などで何度も何度もチャイニーズアメリカンと間違えられて、訳が解らない言葉で話しかけられたのだった。それが長時間英語の世界で過ごしていた事の代償かご褒美だったのかも知れない。

「ローマ字読み」の普及の表と裏:
「ローマ字」と「ローマ字読み」の功罪を論じておきたい。「功」の面では、我が国は早くから方々でローマ字表記に親しむように教えてきているので、アルファベットの読み方も書き方も子供の頃から、無難に対応できるようになっている点がある。大都会や地方を問わずに、何処に行ってもローマ字を使った横文字が幅をきかせている。

「罪」の面ではEnglishを正確に発音できるようになっていたかとの点では、貢献ができていないと断じる。一例を挙げれば、アルファベットの”o“は必ずしも「オ」または「オウ」と発音しない例が多過ぎるのにも拘わらず、近頃方々で言い出した「job型雇用」は断じて「ジョブ型雇用」と表記していることだ。Englishの発音通りに表記すれば「ジャブ型」以外にはあり得ないのだ。ジーニアス英和でも発音記号に「ジャーブ」の方が先に出ている。また、Appleの故Steve Jobs氏は最悪でも「ジョブズ氏」ではなく「ジャブズ」氏である。

何処かのテレビCMにはわざわざchaosと出してから「カオス」と叫ばせているが、正しい発音は「ケイアス」が最も近い表記になる。ここにも出ていたようにaも曲者で「ア」とはならない例が多過ぎるのだ。多過ぎでどの例を挙げようかと迷うが、saintトハ「サイント」ではないし、sacredは「サクレッド」ではないのだ。アメリカに行けば大坂なおみさんは「ネイオミ・オサーカ」になってしまうのだ。

要するに、私の主張は「ローマ字読み」にする前に、まずは「辞書を引いて発音記号を確かめておくべきではないのか」なのだ。しかし、残念ながらというのもおかしいのだが、偶には日本式発音でも通じてしまうこともあるので困る。「我が国の学校教育に従って単語を数多く覚える努力をする時に、同時に発音記号も確かめて、極力Englishに近い発音をするように努力してもらいたい」と思う。

私はその際には「その単語の何処にアクセントが何処に来るかも実際に繰り返して発音してみて確認しておけば、試験で良い店が取れるようになるだろう」と思う。同時に、その単語がEnglishの文章の流れの中でどのように使われているかも、例文を音読して覚えておくと有効だと申し当てておきたい。今では発音などは検索すればnative speakerの春音が聞けるようになっているではないか。

私はこれまでに何度か「綺麗な発音は七難隠す」と言って説明してきた。そこに「正確な」が加わればより良いのである。そんな両方までは簡単にものにできないという方には先ずは「明瞭さ」を心掛けられるようにと申し上げておきたい。と同時「ジョブ型」にはならない方が七難とまでは行かずとも二~三難は隠せると申し上げて終わる。