新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月14日 その2 一寸気になった話題から

2023-03-14 08:32:57 | コラム
WBCの話題から離れよう:

「レク」って何のこと:
以前に「バイって何のこと」と問いかけて、渡部亮次郎氏に「広く使われている政治家の用語だ」と知らなかったことを窘められたことがあった。今回も高市早苗さんが総務省の内部文書を「捏造である。本物であれば大臣も議員も辞職する」と断じて、立憲民主党に執拗に食いつかれて話題になっている「レク」に当惑させられている。立憲民主党は未来の首相候補の一人である高市さんを追い落とすことに、何の意義があるのかを測りかねている。

それよりも何よりも、「レク」という専門用語を使って嬉しそうに報じる報道機関の姿勢が解らないのだ。おそらく、英語の”lecture”が語源なのだろうが、この単語には言わば「上から目線」のような感じがあるのだ。そこで、如何なる意味で使われているかを検索してみた。「お役所用語」の解説から引用すると、

>引用開始
「レクチャー」の略で、知事や副知事、部長、さらには議員といった偉い人に、事業の内容を説明・報告することを指します。基本的には紙の資料を用意し、それを渡して読んでもらいながらレクをします(今は多少はテレワークやペーパーレス化が進んでいるかもしれませんが)。場合によっては付属する資料を作ったり、色々なデータを集めなければならないので、結構準備が大変です。本庁で知事や副知事と距離の近い部署は、特に頻繁にレクがあります。
<引用終わる

となっていた。言いたいことを言えば、官庁の中の報告書でわざわざ「レク」などという決して上品ではない語感のカタカナ語を使うのではなく「大臣に進講」にすれば良いのにと思う。大体からして「レクチャー」には先ず「講義」の意味があり、次は「お説教」として使われる。官僚は大臣に「説教しよう」というのか。

大江健三郎氏逝く:
このノーベル文学賞受賞者が亡くなったと報じられている。この方面の事情には疎いのだが、大江氏が自衛隊の存在を否定し、現行憲法を守ろうと主張しておられたくらいは承知していた。だが、関心はそこにはなくて、死因が当方よりも2歳下の88歳で「老衰」とあったところにあった。勿論、人には個体差があるとは承知しているが、その年齢でも老衰があるのかと感じた。そこで、Wikipediaに訊いてみた。

>引用開始
老衰(ろうすい、英語: Senility)とは、加齢により脳を含めた全臓器・細胞の力がバランスを保ちながらゆっくり命が続かなくなるレベルまで低下していき、最後に下顎呼吸後に死亡することである。現代の医療では、どんな病気だとしても、老衰を目指した治療やケアをしている。最も苦痛の無い死に方であり、末期癌のように自我や意識があるのに一部の臓器だけ極端に悪いのと異なって意識も無いために全く本人は苦痛を感じない。
>引用終わる

とあった。「最も苦痛のない死に方」とは聞いていた気がするので、確認が取れたとは思う。

実は、2006年8月に全く思いがけない原因で、入院中に生死の境を経験したことがあった。たまたまカテーテルによる手術の立ち会いに来ていた家族から心臓マッサージまでされていたと聞いているので、それがどのような状態になるのかは鮮明に覚えている。苦痛は全く苦感じなくて、真っ暗な中に浮いているのだった。俗に言われている川があるとか、お花畑が見えることはなかった。

あの経験からも、苦しみや痛みの中で終わるよりも「老衰」の方が良くはないかなどとボンヤリと考えていた。大江氏以外でも80歳代前半で、老衰で亡くなった例があったとも記憶する。基礎疾患としての心不全や前立腺がんをも抱えている身としては、上記にある苦痛を感じない方向が望ましいかと思って、訃報を聞いていた。でも、大江氏のような高名の作家の方々は、この時代に何故自衛隊を否定され憲法に執着されるのかが解らない。


学区制は公平な制度なのだろうか

2023-03-14 07:22:38 | コラム
またらくらくスマートフォンが鳴った:

「また来たか。何事か」と思って開けば「今年度の東京大学の高校別合格者数」だった。我が母校神奈川県の湘南高校は1975年に県知事に当選した共産党員でもあった長洲一二氏が「公平を期する」として、新たに学区制を設けて県下の高校を地区別に分けられてから低迷していた。

結果として、湘南高校は湘南地区だと思われていた鎌倉や逗子や葉山から切り離されてしまった。ここから先は微妙な表現になってしまうが、新たな学区を割り当てられた湘南は以前のように埼玉県の浦和高校と並んで全国有数の県立高での東京大学進学校としての輝きを失っていくのだった。

この学区制は東京都でも施行され、嘗ての日本全国でも群を抜いていた日比谷高校(旧府立一中)も王座から転落してしまった。これが社会主義者たちの目指した「公平性」だったようだ。

前置きが長くなったが、あまり期待もせずに記事に目を通してみた。すると、我が母校は昨年の11名から大躍進して20名で第24位に入っていた。「良くやったじゃないか」との思いで、神奈川県下の他校の順位を探してみた。

実は、15~16年前に知り合いの雑誌記者から「申し訳ないことですが、私の母校の横浜翠嵐の方が湘南よりも上という評価になっています」と聞かされていた。長年昵懇にしている商社マンからは「息子が湘南と慶応高校の両方に合格しましたが、学校の先生に慶応にするよう勧められました」と落胆するような話を聞かされていた。また、浦和高校の出身者からは「健闘して往年の地位を保っている」とも聞かされていた。日比谷高校も復活しているとも聞いていた。

そこで、あらためて検索したAERA dot.によれば、日比谷高校は47名で第9位だったが、これ以外に都立の高校は20位以内に見当たらなかった。神奈川県下では、なるほど横浜翠嵐高校は47名で第11位だったが、その上の第10位に46名の栄光学園があった。47位には浅野高校とあった。なお、浦和高校は36名で第18位だった。

東京大学に進学する生徒が多いのは良いことだろうが、学区制にした結果で往年の名門高校が沈滞気味なのが果たして公平であることの証なのかと疑っている。と言うよりも、公立学校の地位の低下が目立つのだ。今年も勿論と言うべきか第1位が開成高校、第2位が兵庫県の灘高校だった。99年に亡くなったとWikipediaにあった長洲一二氏はこの結果にご満足なのだろうか。