新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月3日 その3 HUAWEIって何?

2016-07-03 18:02:40 | コラム
華為技術有限公司:

私は最近ソフトバンクHawksの帽子に”HUAWEI”とローマ史表記されその下にロゴマークがあるのが気になっていた。その妙なスペリングから「もしかしてハワイ辺りの何かの商標かな」程度に考えていた。しかし、どうしても気になるのでWikipedia様に伺ってみた。結果は意外なものと言うべきか、自らの無知を恥じるべきか解らないようなものだった。

HUAWEIとは中国の深?にある電子・通信機器の大手企業華為技術有限公司(Huawei Technologies Co. Ltd.)で、売上高は13年で2兆4,000億人民元(悔しいから円換算はしないが、1 rmbは約¥15辺りか)で社員が14万人という会社だった。その会社がソフトバンクのスポンサーになっていたのだ。中国資本がこんなところにまで進出していたのかと驚かされたが、孫正義の交友関係と言うべきか取引の範囲はここまで広がっていたと、あらためて思い知らされた。孫正義はやるものだと思うべきか、中国資本のいやらしさを思い知ったというか、何とも言えない思いだった。

7月3日 その2 バングラデシュのダッカでのテロ行為に思う

2016-07-03 17:29:15 | コラム
あれが果たして宗教の信者がすることなのか:

この度のバングラデシュのダッカにおける所謂ソフトターゲットの飲食店に対するテロ行為は余りにも人道に悖ることで、我が国の7名の方々が犠牲になられたことは本当に痛恨の極みであり、心からお悔やみ申し上げたい。ISが、真偽のほどは不明だとの報道もあるが、犯行声明の如きものを出したことも報じられている。私は以前に「イスラム教という宗教は果たして本当に宗教なのか」との疑問を呈したこともあった。それは「如何にアラーを信ずるとは言え殺傷行為に躊躇なく走ることが信仰なのか」という素朴な疑問である。少なくとも大学では必須科目で辛うじて及第点が取れた宗教学では「宗教とは人々を救うもの」だと教えられた記憶がある。

しかしながら、(現代の?)イスラム教では信徒たちは死を恐れず、一神教の神アッラーの命ずるところに従ってテロ行為に走ることを辞さないのである。それが本当に人を救うべき宗教なのかと疑いたくなるのだ。だが、歴史的にはキリスト教でも宗教戦争があったようだし、アイルランドではカトリック教徒とプロテスタントの間で深刻なは争いがあったと記憶する。だが、イスラム教の信徒たちがすることは無差別殺人であり、我々のと、言うべき私の言うべきか知らないが、理解を超越した非道な行為である。

私はIS如きが発する声明などを信じる気はないが、彼らは人質を殺害しテロ行為を開始してからは「日本人も標的にするのだから気を付けろ」と喚いた。だが、今までのところ我が国の中では直接手を下した例がなかったと思っている。だが、この度のダッカのテロでは彼らが意図したのか否かなどは不明だが、7人もの我が同胞が含まれていたし、多くの犠牲者が出てしまった。

安倍総理も誰でも毎回このような非道極まる行為を「卑劣」だと批判されるが、私はその熟語を超えるような言葉はないのかと何時も感じている。「卑劣」などと二文字で表現出来るような生易しい悪辣さではなく、非道徳的であり、何と言っても非宗教的であり、何人をも救済していないことであり、どれほど非難し批判しても足りない酷い行為である。

私はイスラム教を何ら理解していないのでこれ以上何か言いようがないのか悲しいが、非イスラム教世界の諸国は政治的にも軍事的にもイスラム教徒を改心させ、テロ行為をこれ以上続けさせないようにする工夫が必要だと思う。その手段の一つがISの殲滅であろうが、その為には空爆もして地上戦を挑むことも必要だろうが、これ即ち殺人であると騒ぎ立てるリベラル派や左巻きが出てくることは十分に予測出来る。

そういう難しい時代になってしまった今21世紀には、資本主義世界に属するのだろうアメリカでもUKでも、強力な指導力がある大統領も総理大臣も不在で、習近平やプーチンや、そういう仲間に入れるのが適切かどうか解らない金正恩等に、思いのままに蹂躙されている気がしてならない。しかも、来年には就任するだろう次期アメリカ大統領には余り多くを期待出来ない恐れがあると、今から不安に陥っている次第だ。

即ち、目下期待出来るのは我が安倍晋三総理だけではないのか。その安倍総理を陥れようとばかりに民進党は言わば悪魔と手を組んだにも等しい共産党と手を結んでしまった。そういう事態が最悪であると認識出来ずに、動もするとポピュリズムに流されやすい一部の低民度の有権者をあるべき方向に導きたい時期に、自民党は自党の議員をまともに管理・指導出来ず、東京都知事選挙の候補者選びでは醜態を曝している。極めて遺憾な事態だ。

これでは、話はテロの脅威から離れてしまうが、この有様では参議院選挙でももしかすると自民党の「オウンゴール」にでもなりはしないかと危惧する今日この頃だ。


文化としてのラグビーを考えると

2016-07-03 08:05:23 | コラム
昨2日のサンウルブズ対ワラタスの試合に思う:

やや羊頭狗肉だが、文化としてのラグビーを論じてみたい。実は、中継放送があるとは知らず、偶然にチャンネルを合わせたので観戦出来た次第。サンウルブズを我が国の代表ではないと決めつけ、更に世界的乃至は国際的な水準にある試合を観ていると思い、サンウルブズに外国人が多いことなど何とも思わないことにして、勝敗の帰趨を忘れれば、沢山の綺麗なトライがあって非常に面白い試合だった。最初は何処でやっているのか解らなかったが、画面にあの銀杏並木の木々のてっぺんが見え、懐かしき青山二丁目周辺の景色が出てきてやっと秩父宮だと知って次第。

オーストラリアの選手が多いのだと何となく解ったワラタスのバックスでの展開の見事さは、確かに我が国のラグビーとは趣の違う上手さと力強さを感じさせてくれた。私はラグビーの面白さをバックス間で綺麗にパスを回して展開していくことにあると思っているので、昨日のような試合展開は自国のテイームであるとか何とかいうことを離れて、遺憾ながらサンウルブズの守りを蹴散らしてトライを重ね、これでは10本も取ってしまうかと危惧しながら眺めている間に試合が終わってしまった。

kazkさんも指摘されたように言わば急場しのぎのようなメンバーの集め方では、テイームとしても纏まりを欠いてしまうのは当然のような気もするが、あそこまでやられてしまうものかなと思って見ていた。私には如何なる趣旨で結成された集団かは解らないが、毎回出てくる顔ぶれが違っているようでは如何なものかという気がするし、特にカタカナ名前の者たちの顔ぶれが一定ではないのも不思議と言えば不思議だ。

不思議と言えば、その外国人たちの経歴乃至は国籍が紹介される度の感じることは、プロ野球でもJリーグでも同じだが、そこに働いている外国人選手たちは解りやすい表現を使えば、それぞれの国では二流かそれ以下の連中ばかりなのに、ラグビーには世界の強豪国の代表乃至はそれに準じる強力な者たちが数多くいるのが面白い。私はそのことを興味深く眺めている。

彼らにとっては我が国は余程良い国でそこに惹かれて来るのか、我が国で彼らを自国でよりも優遇しているのか、我が国を絶好の訓練の場とでも見なしているのかなどと考えている。言葉を換えれば、プロ野球でもサッカーでも外国人選手の中に「以て範とする」に足るような、と言うかイチロー君のような教科書にもなりそうな者など滅多にいないにも拘わらず、ラグビーには立派な教材が多くいるように思えてならない。誰かが「飛ばしパスにやられた」と回顧していたが、彼らはパスの展開をその場の状況次第で自在に変化させ、サンウルブズの守りを翻弄していたのが印象的だった。

最後に矢張り大畑大介は解説には不向きであると再度指摘しておく。あれは応援団以外の何物でもない。彼はアナウンサーが嬉しそうにラグビー界の専門用語を使って中継放送するのをたしなめるか、その用語を解説すべき立場にある事を全く弁えていない。私には「オフロード」だの「ジャッカル」などと言われても解らないし、サンウルブズが反則を犯す度に「ペナルティー」と叫ぶのを訂正すべき役目のはずだ。サッカーの松木安太郎が雨降り揚げ句で滑りやすいピッチを「スリッピー」という造語で説明して以来定着させた罪と同等に駄目な解説者だ。あれは英語では”slippery”だと何度も指摘してきたが、最早中継放送の用語の定番になってしまった。

話が逸れてしまったが、サンウルブズは飽くまでも我が国のラグビー選手たちの技量を世界に追いつかせる為にスーパーリーグに参加したのであり、その崇高なる目的の為にはある程度勝敗を度外視しても多くの有望な者たちを敢えて試合に出しているのだと勝手に解釈している。そうであれば、私が毛嫌いしていた頃の古き良き早稲田の弥富などを今更使うことはないのではと思ってしまう。だが、明治出身の田村が、妙なおまじないをしなければフリーで蹴れるペナルティーキックがを蹴ることが出来ない五郎丸君の代役(キッカー)が務まることを立証したのは収穫だったと思って見ている。