新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日米企業社会の文化の違いの具体例

2016-07-09 09:40:52 | コラム
品質問題が発生した時に:

アメリカの会社の縦割りの組織では非常に微妙な問題でした。即ち、「営業担当は技術的な案件には手も口も出すな。君らの責任範囲には入っていない。ましてや、クレーム発生の際は担当の者が行くまで手を付けるな。君には処理する為の給与を払っていないのだと承知せよ」という考え方です。例えば、「品質問題の処理をその場ですべし」などという項目は営業担当者の”Job descrition”に入っていることは先ず無いでしょう。しかし、これでは緊急の対応を必要とする重大且つ金額が大きくなる事故の処理は遅れて、日本のように「企業社会の文化」が違う相手には通用しませんし、遅延しては信用を失墜する危険性は極めて高いでしょう。だがしかし、御社の目の前にいるアメリカ社員には「当事者能力」はないかも知れないのです。

そこで、私はある程度の時日をかけても”「この俺が責任は当方にあり」と判定したら、その時点で補償すると決定するようにシステムを変えろ。さもないと、その遅さで国内のサプライヤーとの比較で現場に嫌われてしまえば、一巻の終わりだ”と認識させるように懸命に努めました。そこには日本の会社時代の経験とそれなりの知識があると自負していたからやって実績を積み上げて、事業本部長を納得させようとしたのです。そして、言わばなし崩し的に認めさせましたが、即昇給とはならないのが年俸制の国アメリカの現実です。

特に、私が長年担当した液体容器用の原紙はPEやPVDCのフィルム等をラミネートするので、アメリカの組合員の技術水準では事故が多発しました。それに対応する為には工場からその発生の度毎にマネージャーを呼んでいたのでは、到底顧客を満足させられないのです。だから、私が現場にはせ参じて検証し判断したのです。それは色々な意味で大変な仕事でしたが、やることに意義があり、得意先との信頼関係の構築に役立つと確信していました。私はセールス・エンジニアーではなく、エンジニアー・セールスマンだと戯称していました。

アメリカのこのような縦割りの責任の取り方では、彼我の企業社会の文化の違いを知らない同士で商売をすると、齟齬を来すことが多いのです。しかも「得意先の意向を尊重してその代弁をするような(”representation of the customer to the company”と言います)輩は評価されない」で済めば良い方で、職の安全だって危うくなります。これが英語で言う”job security”の問題なのです。事業本部長には部内の規程や命令に違反するような者を馘首する人事権があるのですから。

紙の販売では印刷と加工を詳細にを良く知らないと、日本の客先では「当事者能力無し」と批判・非難されてしまう危険性が(現在は知りませんが)極めて高かったのです。だが、本社側では「営業マンにそのような問題を取り扱う権限は認めていない」と斬って捨てるでしょう。私が常に「文化の違い」と指摘するのはこのような相互の理解と認識不足を指しています。だが、良き従業員足ろうとすれば”representation of the company to the customer”、即ち、得意先を会社の意向に従って貰うようにすることに徹するのが肝腎で「お客が何を言おうと取り合うな」が大原則です。日本的に考えれば高飛車ですが、それが彼らの思考体系なのです。

そこには上司に逆らえば「君の仕事は昨日までで終わった」との告知が待っています。こういう違いを以て「アメリカは厳しい」と言えば「文化の違いを弁えていない」だけのことでしょう。彼らは単純に「決め事に従わなかったのはダメだ」と考えるだけですから。これを「とんでもない世界だ」と言うのは認識不足です。この次元の問題は彼らの中に入って見て、ある程度以上の期間を経ないと違いを認識出来るまでの境地には到達しないでしょう。これは英語が解るとかいう次元の問題ではないと思っております。

私はもうこういう事を20年以上も唱えてきましたが、「そうでしたか」と言って納得して聞いてくれた人は少数派だったのは残念です。でも、言い続ける気持ちは捨てません。