11月13日
立冬に入ってから似合わない天候が続きこの日も暖かく日中は汗ばむ陽気でした。
先日NHKで谷中界隈を放映しているのを見て私の故郷京都も寺町でしたがこの谷中も坂道、お寺が多いと説明をしていたのを見聞きして行って見たくなり出かけてきました。
千代田線の西日暮里で下車。急な坂道が早速目前に出てきて道なりに歩いて行くと、早速お寺があり朝日に照らされているお地蔵様が目に入りました。近くの神社では七五三の子供の姿も見えました。
又2時間ドラマの撮影隊の姿もありましたが何のドラマかを聞こうとしましたが関係者はきびすを返してしまい、なんだかわかりませんでした。
『富士見坂』と看板があり、名前の謂れを読んでみると富士山が丁度ビルとビルの間に見えるそうです。今日は霞が掛かっていて何も見えませんでした。
私と同じ様にこの場所に立ってみている初老の男性がいたので声を掛けてみました。
「やはり初めてなのですか?」
「はい!名古屋から出てきてこの辺の下見にやってきました。」
「何で下見なのですか?」
「新年に、有志のみでこの界隈に来たくて様子を見に来たのですよ!この辺が好きなものばかりなので、連れてきてやりたいので」
「へぇ。それは又ご苦労様ですね!」
まぁ・・・そんな方もいらっしゃるのですね。
日暮里から谷中に抜けるには細い道がうねうねとあってその細い道になんと車が歩行者を気にしながら通り抜けて行きました。
この辺は江戸の風雅が香る街だそうです。地図も持たずに坂道、細い道を楽しんで見ました。通り道に人家に沿って歩きます。
屋上にロボットと何故か駱駝が置いてある家がありました。その家には何か教えているのか作っているのかわかりませんが人の出入りがありました。
谷中界隈は震災、戦災の被害を逃れた為今では珍しい木造長屋が残っているそうで最近では谷中・根津・千駄木周辺を『谷・根・千』と総称するそうです。
谷中にお寺が多いのは『振袖火事』の影響で消失した寺院の多くが谷中周辺に移転した事によるのだそうです。
この土塀は「観音寺の築地塀」端の所に“まちかど賞”景観形式に寄与された事をたたえます。台東区と書かれたものが貼り付けてありました。この塀も災害から免れて現在にその姿をとどめているのでしょう。
よくまあこの様な狭い所にお家がひしめき合って並んでいると感心しながら大通りに出てみると道路の中心に家がで~んとあってその家をはさんで道路が分かれていました。下のほうでつながっていました。この辺はもう谷中銀座の商店街に出て来たようでした。
街行く人が紙に来るんでなんだか食べているので、聞いてみると商店街の中の揚げ物やさんのコロッケが美味しくて有名だとか。食べてみたかったのですが若者のようには歩きながら食べるのは一寸抵抗があるのでやめておきました。
“ご自由にお入りください”と張り紙がしてある古い家があったので、入ってみました。その中では絵手紙や、日本画、古地図 etc.並べて販売していました。
その家の梁は黒光りしていて太く、なんでも明治時代に立てられた様子です。廊下がギシギシときしみ調度品もその時代のままの姿で置かれていてタイムスリップをした様な錯覚にとらわれました。
とても昔懐かしい匂いを感じながらその家を後にしました。家に見とれてしまい、ただ見るだけで何も買ってこなかったことが後で少し気になりました。
何時間歩いたのでしょうか時計を見るともう2時前です。かれこれ3時間は歩き通しでした。楽しいと直ぐに時間が経ってしまうようです。まだ見たいのですが・・・お腹が「早く昼ご飯をたべた~~い』と言い出したので食事所を探していく内にどうやら“上野”の森に入ってきました。
立派な門構えの奥に秋を見つけました。美術館の庭園でした。通りがかりの人がもう少しするともっと紅葉が照って綺麗になりますよ!と声を掛けてくれました。そうだ又来て見ようと思いやっとお昼にありつけました。
夢中で歩くとついつい頑張ってしまいますがさすが腹が減っては足も動いてくれませんでした。
あら~~!文学、元少女ですか
本を読み始めるともう・・・眠くてダメです。ただし推理小説となると読めます