小林秀雄の名著”モーツアルト”にこんなくだりがある。モーツアルトの手紙の一節である。”構想は、あたかも奔流のように、実に鮮やかに心のなかに姿をあらわします。しかし、それが何処から来るのか、どうして現れるのか私には判らないし、私とても、これに一緒に触れることはできません・・・美しい夢でもみているように、凡ての発見や構成が、想像のうちに行われるのです。いったん、こうして出来上がってしまうと、もう私は容易に忘れませぬ、という事こそ神様が私に賜った最上の才能でしょう”
芸大美術館で開催されているシャガール展で、生前のシャガール自身が語っている、映像をみることができる。そこで、彼はこう述べている。”絵描きになったときから絵の描き方を忘れてしまった。心の中に湧き上がるものをそのままカンパスに描いているだけだ。神様が自分を通して描かせている”この言葉を聞いたとき、これはモーツアルトと同じだと思ったのだ。
そうゆう目でみると、シャガールの絵は面白い。故郷ロシアを離れ、パリに行き、ユダヤ人だったため、さらにアメリカに亡命する。流浪の人生を送っているのだ。悲しいだけではなく、最愛の妻ベラとの幸福な日々もある。シャガールの絵は、彼自身の人生模様と無縁ではない。そのときどきの心模様が多彩な色彩として、画面を覆わせる。ふいに、故郷、ロシアの(現在のベラルーシ共和国)の教会や田園風景が画面の端に出てきたりする。そして、人の顔も抽象的なときもあれば具象的なときもある、人が逆立ちしてたり、空を飛んでいることもある。ときには頭だけが離れて飛んでいる。
だから、どの絵もそれぞれ、まるでモーツアルトの曲を聞くように、楽しませてくれる。ただどれかひとつといったら、この絵だろうか。米国に亡命してから1944年に急逝し、しばらく絵も描けないほど悲嘆にくれていたが、翌年57歳のとき、再開し、愛妻ベラを偲び、31年に描いた”サーカスの人々”を二分割して、その左画面を描き直した作品”彼女を巡って”だろうか。悲しみがあふれてくるような絵だった。手元に置き、何度も何度も描き直したそうだ。
そして、第5室においては、なんと、モーツアルトとのコラボがみられるのだ。シャガールは舞台美術にも手を染めていて、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のこけら落としに上演された、モーツアルトの”魔笛”の舞台装置から全出演者の衣装まで、すべて任されたのだ。その衣装デザイン、舞台背景の下絵等が展示されているのだ。モーツアルトとシャガール、ふたつのファンタジックな世界の融合は、すばらしい舞台になったらしい。”魔笛”上演史上に残る、名演目になったとのことだ。それはそうだろう、これ以上の天才によるコラボは空前絶後だろう。ぼくは、ここの展示室に一番長くいた。長椅子があり、その前で、耳を澄まさないと、きこえないくらいの小さな音で、音楽がながれていた。もちろん”魔笛”だ。ぼくは、この音楽を聞きながら、シャガールの衣装をきた俳優さんたちが踊り、歌う姿を想像していた。
(ちらしから)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます