金沢、楽しんでいます。旅行もいよいよ最終日となりました。今日もスマホ投稿です。これも未発表のもの(笑)。
京都深草の石嶺寺の裏山を埋め尽くす若冲の五百羅漢。その二十体が、なんと目白の椿山荘庭園においでになるというお話。何度か、この庭園に隣接するホテルに泊まっているから知っていたが、最近の展覧会で、石嶺寺の若冲の五百羅漢のことが紹介されていたので、思いついて、写真を撮ってきた。
広大な椿山荘庭園。三重の塔も修復が完了。朝日に輝く。
さて、ホテルから出たすぐのところに、ごろごろと朝寝(笑)。
一人ひとり、みていくと。癒される羅漢さんばかり。
何故、椿山荘に。ここは、明治11年に山県有朋によってつくられた。それを受け継いだのが、同郷の成功者、藤田平八郎。この方が大正14年頃に移したものだそうだ。
・・・
京都で起きた天明の大火のあと、72歳の若冲は妹とともに(生涯独身)京都深草の石嶺寺門前で暮らした。ここで若冲は羅漢図を一斗の米の値段に換え、石工に羅漢を彫ってもらった。85歳で亡くなる。お墓も石嶺寺に。
本家の羅漢さま
若冲作 五百羅漢図
若冲の羅漢下絵をもとに、版画にしたもの
そのうち、石嶺寺も訪ねてみよう。
京都深草の石嶺寺の裏山を埋め尽くす若冲の五百羅漢。その二十体が、なんと目白の椿山荘庭園においでになるというお話。何度か、この庭園に隣接するホテルに泊まっているから知っていたが、最近の展覧会で、石嶺寺の若冲の五百羅漢のことが紹介されていたので、思いついて、写真を撮ってきた。
広大な椿山荘庭園。三重の塔も修復が完了。朝日に輝く。
さて、ホテルから出たすぐのところに、ごろごろと朝寝(笑)。
一人ひとり、みていくと。癒される羅漢さんばかり。
何故、椿山荘に。ここは、明治11年に山県有朋によってつくられた。それを受け継いだのが、同郷の成功者、藤田平八郎。この方が大正14年頃に移したものだそうだ。
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京都で起きた天明の大火のあと、72歳の若冲は妹とともに(生涯独身)京都深草の石嶺寺門前で暮らした。ここで若冲は羅漢図を一斗の米の値段に換え、石工に羅漢を彫ってもらった。85歳で亡くなる。お墓も石嶺寺に。
本家の羅漢さま
若冲作 五百羅漢図
若冲の羅漢下絵をもとに、版画にしたもの
そのうち、石嶺寺も訪ねてみよう。
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