気ままに

大船での気ままな生活日誌

浅く契る

2007-09-15 08:23:07 | Weblog
若い頃、「浅く契る」という言葉が気に入って、以来、ボクは呪文のようにこの言葉を唱えてきた。人間関係が深入りしそうになると、この言葉が心に浮かんできて、身を引いた。ずかずかと自分の心の中にまで入り込んで来るような人からは意識的に離れるようにした。もちろん、自分が他人の心の中を覗き込むようなことはしない。

まるで兄弟のように、始終つきあい、互いの何から何まで知り尽くしているという友人関係を別に否定するわけではない。そういう関係は、自分の好みではないというだけのことだ。

「浅く契る」人間関係でも信頼できる友人はもちろんできる。そうゆう友人とは煩雑に会って互いの意志を確認する必要はない、5,6年会わなくても、どうということはない。また、たまに会っても、ぺちゃくちゃ喋る必要もない。

そんな友人の一人が昨日、訪ねてきてくれた。ボクの現役のとき以来だから、3年振りぐらいだ。時間どおり、大船駅南口で彼は待っていた。手を挙げると、こぼれるような笑顔が返ってきた。すぐ、3年の月日は飛び去っていった。

鎌倉駅からバスで浄妙寺に行き、そこの境内にある庭園レストランで鎌倉ビールを飲みながら、昼食をとった。そして竹の寺、報国寺を散策し、裏道を抜け、萩の寺、宝戒寺へ。白萩がようやく咲き始めていたが見頃はもう少しあとだろう。でも、白い彼岸花が満開で、満面の笑顔で友を迎えてくれた(写真)。

八幡宮は例大祭が始まっていた。鎌倉囃子が遠くに聞こえる。3日目に予定されている流鏑馬の馬場ももう出来上がっていた。中学の修学旅行以来だという友は、30年も前から使っているニコマートで、舞殿やら本堂やら源平池のハスの白い花などを撮っていた。

小町通りで彼の郷里出身の画家のギャラリーをみつけ、しばらくお店の人と話し込んでいた。駅前の”扉”でアイスコーヒーを飲みながら談笑。来春、退職だという。3人の子供はまだみな、大学生、院生で、仕送りしなければならないので、しばらくは働くつもりだと、笑う。

じゃあ、またな、とボクは彼と握手して大船駅を降りた。振り返ると、会ったときと同様、彼のこぼれるような笑顔が、宝戒寺でみた白い彼岸花のような笑顔が、返ってきた。


コメント
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