ユニーク古典現代訳(大阪弁万葉集改題)

日本の古典を訳します。そのままストンと腑に落ちる訳。なんだ、こうだったのかと分かる訳。これなら分かる納得訳。どうぞどうぞ

古事記ものがたり・中つ巻(17)待つは香坂王 忍熊王ぞ

2013年03月28日 | 古事記ものがたり
■待つは香坂王かごさか 忍熊王おしくまみこ

大和凱旋がいせん 神功皇后こうごう
ひそか通報 届き来る

待ち受け するは 腹違い
香坂王かごさかみこと 忍熊王おしくま
おさな御子討つ 手薬煉てぐすね













しからば策と 神功皇后こうごう
から喪船もぶねを しつらえて

既にその御子 身罷みまかるの
虚報うわさ流して 船団ふね

待ち受け軍は斗賀野とがのにて
戦勝うらの 狩りをする

狩り の様子の 眺めにと
香坂王かごさかみこは くぬぎ

そこにでたる 大しし
きばにてくぬぎ 掘り倒し
落ちた香坂王かごさか み殺す

うらの不吉に つつしまず
忍熊王おしくま軍に 命下す

まつ喪船もぶねを 血祭りと
繰出す 兵の 攻め込むに

不意を突くやに 皇后きみの兵
飛びずる 喪船もぶねより







たちまち起こる 乱戦は
両者拮抗きっこう 勝負けり着かず

計略けいめぐらす 皇后きみの将
建振熊命たけふるくまが 策放つ 

ぞくの将なる 伊佐比宿祢いさひ向け
皇后おおきみ既に 身罷みまかりき
 たたかいするに 大義なし」

音声おんじょう発し 弓弦つるを切り
降伏すの てい

勝ちと思いし そむき兵
弓弦つる取りはずし 武器仕舞しま

静まり待ちし 皇后きみの兵
髪中かみなか隠す 弓弦つるいだ
ここを先途せんどと 射る矢にて
敵は潰走かいそう 蜘蛛くもの子と

追われ忍熊王おしくま 琵琶湖きし

伊佐比宿祢いさひと船に 歌謡い
湖水藻屑もくずと 波の下








最早もはやこれまで 将軍よ
振熊ふるくまが手に 掛かるより
淡海おうみ湖水に 身投げせん

  いざ我君あぎ
  振熊ふるくまが 痛手いたで負わずは
  鳰鳥におどりの 淡海おうみの海に
  かずきせなわ
                ―古事記歌謡(三十九)―



古事記ものがたり・中つ巻(16)神功皇后 海越え渡る

2013年03月25日 | 古事記ものがたり
神功皇后じんぐうこうごう 海越え渡る

おそ戦慄おののき 亡骸なきがら
殯宮もがりに移し 祭壇だん造り
供物くもつ揃えて まつ

罪云う罪を ことごとく
清めけがれを はらい去り

建内宿祢すくねまたく 神託しんたく
たがわず前言まえと 同じにて

「国統治おさめるは 胎内はらなか
 おのこなるぞよ く言うは
 天照大御神あまてらすみこ 意志なるぞ

 我れは伊耶那岐命いざなき 黄泉よみ帰り
 けがみそぎに 生まれたる

 住吉大神すみよしかみの三つ柱
 底筒男そこつつのおと 中筒男なかつつお
 上筒男うわつつのおの 神々ぞ

 なんじ西国にしくに 得んと
 天神てんかみ地神ちかみ 山の神
 川海かわうみ神に 供えして

 我ら住吉すみよし 大神御霊かみみたま
 船まつり乗せ 海渡れ」

神功皇后じんぐうこうごう 舳先へさき立ち
軍船ふねを並べて 進めるに

うおうお つどい来て
背負せおい担ぎて 軍船ふね渡す

追い風吹いて 乗る大波なみ
新羅しらぎ国中くになか 軍船ふね運ぶ

おそ平伏へいふく 新羅国王しらぎおう
 今より我れは 馬飼に

 船を並べて 貢物みつぎもの
 まつかよわん 永久とこしえに」

征伐終えし  神功皇后こうごう
にわか産気さんけの しずめにと
こし巻いて ご帰還に

筑紫伊斗いと村 鎮石いしまつ
無事の出産 されしは
後の応神おうじん 天皇すめらみこ

時に神功皇后こうごう 副食おかずにと
うえ立ちて 衣糸ふくいと
飯粒めしつぶ餌に 鮎を釣る
















 も玉島 乙女等は
四月 来たらば 岩立ちて
糸飯いとめしって 鮎を釣る




古事記ものがたり・中つ巻(15)仲哀天皇 神託誹り

2013年03月21日 | 古事記ものがたり
仲哀ちゅうあい天皇おおきみ 神託そし

景行けいこう天皇おおきみ そのお子で
倭建命やまとたけるの 弟の
若帯日子命わかたらしひこ 即位して
成務せいむ天皇おおきみ お成りなる

国のさかいを 定められ
国造くにのみやつこ 国々に
県主あがたぬしをば あがた








建内宿祢たけうちすくね 取り立てて
役目大臣おおおみ 任命まかすなり

成務せいむ天皇おおきみ 後継ぐは
倭建命たけるみことの お子様の
帯中津たらしなかつの 日子ひこみこと 
仲哀ちゅうあい天皇おおきみ その人ぞ

















筑紫香椎かしいに でまされ

熊曽くまそを討つに 神託しんたく
皇后息長帯おきながたらし 比売命ひめみこと
   ( 神 功 皇 后 )
神霊れい寄せきの 祈りする

仲哀天皇きみ爪弾つまびく 琴に寄せ
神のおおせは 如何いかなりと
建内宿祢たけうちすくね 問い掛けに 









きたる神が もうさくは
「金銀宝物ほうもつ とみてある
  西ある国を 与うるに」

聞きて仲哀天皇おおきみ 怪訝けげん
「西のぞみても 国見えず
  大き海原 あるのみぞ」







偽言ひがごとなさる 神なりと
思い琴め 黙られる

いたる神は いか
なんじ統治おさめは ならじかし
 落ちや黄泉よみくに 今ただち」

建内宿祢すくね驚き 申し
「琴を遊ばせ 天皇すめらみこ

琴の音色ねいろは 気抜けおと
やがて 細々 消えゆけば

既に仲哀天皇おおきみ 崩御みまかりき




古事記ものがたり・中つ巻(14)白鳥飛ぶよ 大和向け

2013年03月18日 | 古事記ものがたり
■白鳥飛ぶよ 大和向け

訃報しらせ受けたる きさき御子みこ
能煩野のぼの来たりて 御陵はか造り
嘆きいずり 泣き歌う

御陵はかそば田圃たんぼ 稲茎いねくき
からまれる 山芋いもつる
いずり嘆く のこれる我ら

  水漬なづきの田の 稲茎いながら
  稲茎いながらに もとほろう
  ところずら
                ―古事記歌謡(三十五)―











抜け出る御霊みたま 御陵はかの上 
白鳥しらとりなりて 天翔あまがける 

きさき御子みこ等の 追い行くに
篠竹たけの切株 足を
海水みずからめて 足を取る

なおも 泣き追い 謡う歌

ひく小竹原しのはらに 腰難渋なず
空飛びはかなわず 足とぼとぼと

  あさ小竹じのはら 腰なずむ
  虚空そらは行かず 足よ行く
          (足にて行くよ 情けなや)
                ―古事記歌謡(三十六)―











かり海路うなじは 腰難渋なず
川浮く草の ただように
似て浮遊いさようて 海路うなじ行く

  海処うみが行けば 腰なずむ
  大河原おおかわらの 植草くさうえ
  海処うみがは 浮遊いさよ
                ―古事記歌謡(三十七)―

かける白鳥 磯へ飛ぶ
せめて 浜居れ 謡う歌

浜飛び行けば  追い行くを
ああ 白鳥が 磯を行く

  浜つ白鳥ちどり 浜よは行かず
   磯伝う
                ―古事記歌謡(三十八)―

天翔あまがけ白鳥とりは 河内国かわちくに
志紀しきに至るに 造る御陵はか
今云う白鳥しらとり 御陵みはかなり

したがまた白鳥とり 飛び行きて
天空あまぞら高く 雲彼方かなた




古事記ものがたり・中つ巻(13)何故に置き来し 草薙剣

2013年03月14日 | 古事記ものがたり
■何故に置きし 草薙剣くさなぎつるぎ

草薙剣つるぎを前に 倭建命たけるみこ
危難きなんのがれは 叔母倭比売命やまとひめ
さず草薙剣つるぎや ふくろ衣装ふく

これぞ伊勢神宮いせみや おまつりの
祖先天照大御神あまてる ご加護かご

我が腕如何いかに 試しにと
草薙剣くさなぎつるぎ 残し置き
熱田あつたを後に 伊吹山いぶきやま

「山る神を 素手ちて」
らしさんと うでさす
登りかかるに 白いしし










神使つかいなんぞに 用はない
 退治すのは 戻りにと」
広言こうげんするも 白猪ししぞ神

いか白猪しし神 らえとて
突如にわか大粒雹ひょうが 倭建命たける打つ
散々仕儀しぎに 正気
くだりても 身も立たず

しばし休みて 戻る鋭気
疲れ身体に むち打ちて
ていで 着く当芸野たぎの

「我れが心は 空かけ
  鳥の如くに 飛べりしが
 今は足え 蹌踉よろめきて

 浮腫むくみ歩みも まま成らず」

杖突き膝行いざり 伊勢の尾津崎おつ

往路おうろ忘れし 大刀たちそこの
一本ひともと松の 根方ねかた発見
守り しかやと 謡う歌











尾張国おわりのくにの 真向かいの
尾津おつさき立つ 一つ松
おまえ 人なら 一つ松
大刀たちかそやな ふく着さそ
ああ 一つ松 おまえにと

  尾張に ただかえる
  尾津の崎なる 一つ松 吾兄あせ
   一つ松 人にありせば
  大刀たちけましを きぬ着せましを
  一つ松 吾兄あせ
                ―古事記歌謡(三十)―

精魂せいこん尽きて 三重能煩野のぼの

短か生命いのちを 悟りてか
故郷くにを思うて 謡う歌

随一ずいいちの 大和国やまとくに
重なる 山の 青垣が
囲む 大和は 雲はるか
いとしの大和 いとしや大和

  やまとは 国のまほろば
  たたなづく 青垣
  山ごもれる やまとうるわ
                ―古事記歌謡(三十一)―

つつが 帰ったら
平群へぐりの山に 繁り立つ
れい宿りたる かしの葉を
かみし生きよ 我が部下こら

  命の またけん人は
  畳薦たたみこも 平群へぐりの山の
  熊白樫くまかしが葉を
  髪華うずせ その子
                ―古事記歌謡(三十二)―











おおなつかしや 我家いえのある
大和のから 雲流れ来る

  しけやし 我家わぎえかた
  雲居くもい
                ―古事記歌謡(三十三)―

やまいあつさの 極まりて 
お謡いなさる 最期おわり

乙女おとめ美夜受比売みやびの 床傍とこそば
残し置き来た 大刀たち草薙剣つるぎ
祖先御霊みたまの あの大刀たち草薙剣つるぎ

  娘子おとめの 床の
  我が置きし つるぎ大刀たち
  その大刀たちはや
                ―古事記歌謡(三十四)―








謡い終わるや 倭建命たけるみこ
息引き取りて かんあが

急ぎの早馬うまは みやこへと




古事記ものがたり・中つ巻(12)美夜受比売が待つに 月が立つ

2013年03月11日 | 古事記ものがたり
美夜受比売みやずが待つに 月が立つ

更に 奥へと 進まれて
蝦夷えぞ手懐てなずけて 荒神あらがみ
ち平らげて 帰路辿たど

新治にいばり筑波つくば 後にして
足柄山あしがら越して 甲斐国かいくに
酒折宮さかおりみやで 謡う歌

新治にいばり筑波つくば 通り来て
幾夜いくよ幾晩いくばん 過ごしたことか

  新治にいばり 筑波つくばを過ぎて
   幾夜か寝つる
                ―古事記歌謡(二十六)―

火焚ひたじじいが こたえて謡う

重ねた夜は ここのつで
日では十日に 御座おわします

  日々かがべて には九夜ここのよ
  日には十日とうか
                ―古事記歌謡(二十七)―

殊勝しゅしょうな奴と 倭建命たけるみこ
東国あずま国造みやつこ たまいて与う












甲斐から信濃 神坂峠みさか越え
尾張熱田あつたに 待つ美夜受比売みやず

馳走ちそう酒杯さかづき 注ぐ裾
月のさわりの み血跡
見たる倭建命たけるの 謡う歌

香久山渡る 白鳥くびどり
輝き伸びる 細首くびの様な
ぼそかいなの しなやかを
いだきき枕と べしとぞ
いざ共寝ともねをと おもたれど
着たる羽織はおりの 裾のはし
月障つきのぞいて るぞいな

   久方の 天の香具山
  利鎌とかまに さ渡るくび
  弱細ひわぼそ たわかいな
  かんとは 我はすれど
   さ寝んとは 我は思えど
  せる 襲衣おすいの裾に
   月立ちにけり
                ―古事記歌謡(二十八)―












光る日の神 そのお子の 
この国べる 大君よ
年がめぐりて 過ぎ行けば
 も変わりて 過ぎて行く
ほんに 真実まことに 無理からぬ
長の 月日を 待ちかねて
わらわ羽織はおりの 裾にさえ
月出 でくるも 無理からぬ

  高光る 日の御子みこ
   やすみしし 我が大君
  あらたまの 年が来経きふれば
  あらたまの 月は来経きへ
  うべな うべな うべな 君待ちがた
  我がせる 襲衣おすいの裾に
   月立たなんよ
                ―古事記歌謡(二十九)―


古事記ものがたり・中つ巻(11)倭建命に下りる 過酷の使命

2013年03月07日 | 古事記ものがたり
倭建命たけるに下る 過酷の使命

凱旋がいせん倭建命たける 待つめい

ひがしおもむき そむきなす
十二の国を 征服うちて取れ










如何いかなるおおせ に落ちぬ
伊勢大御神おおみかみ 宮たず

「我れを死ねよと おおせしや
 西いまだ 脱がぬくつ
 兵士へいれずに ひがしとは」

愚痴こぼ倭建命たけるに 叔母倭比売命やまとひめ
これ持てあたう 草薙くさなぎ
つるぎと共の ひと












出発いでたち至る 尾張国

国造みやつこ娘 美夜受比売みやずひめ
めたりしが 帰路きろにてと

ひがし進みて 悪神わるがみ
言葉手懐てなずけ また東









来たる相模の 国造みやつこ
倭建命やまとたけるに 告げ言うは
「野の沼まう 荒し神」
退治たのむと けしかける

らしめすと 倭建命たけるみこ
敵にあらずと で向くに
はいる野原に 火が襲う








最早もはやこれまで サラバとて
旅に連れし おきさき
弟橘おとたちばなの 比売命ひめみこと
名を呼ぶ刹那せつな ふと気付く 

叔母倭比売命おばもらいし 袋なか
火打石いしにひらめき 草薙剣けんりて
ぎ刈りて 迎えの火

無事に戻りて 国造みやつこ
切り捨て 殺し 火を放ち
はかしたる 賊ほふ

進み浦賀水道うらがを 渡りしに
海神うみがみ波を 荒れさせて
舳先へさきめぐりて 船行かず

「渡りならずば 受けし任務にん
 果たさで何の 面目めんぼく
 きさきわらわが 犠牲にえとなる」

弟橘おとたちばなの 比売命ひめみこと
言いて波上なみうえ 菅畳すげだたみ
 の畳に 絹畳
敷かせ海へと おりなる

 静まりて 船行くに
弟橘おとたちばなの 比売命ひめみこと
波間隠れ に 謡う歌

相模野さがみの燃えて 迫る火の
窮地最中さなかで わらわの名
呼び し我が君 慕わし君よ

  さ嶺嶮ねさし 相模の小野に
  燃ゆる火の 火中ほなかに立ちて
   問いし君はも
                ―古事記歌謡(二十五)―

渡り終え着く 上総かずさ
とどまり七日 る浜に
流れ寄るくし 形見ぐし
追うてしかと 御陵はか造る



古事記ものがたり・中つ巻(10)熊曽を討ちて 名を貰う

2013年03月04日 | 古事記ものがたり
熊曽くまそを討ちて 名を貰う

垂仁すいにん天皇おおきみ そのお子の
淤斯呂別命おしろわけみこ 即位して
景行けいこう天皇おおきみ お成りなる

一丈いちじょう二寸にすん お身丈みたけ
四尺ししゃく一寸いっすん 膝下ひざした
偉丈夫いじょうふすは 八十やそのお子

















景行けいこう天皇おおきみ 耳届く

大根王おおねのみこの た娘
兄比売えひめ弟比売おとひめ 眉目みめしと

大碓命おおうすみこと 召しるに
 が妻にと 横に取り
別人べつを名借りて 差しいだ

目敏めざと景行天皇おおきみ さと
荒立あらだてじやと 胸納おさめおく

くご席で 小碓命おうすにと
「兄のくご席 ぬを
 さとせ」の仰せ 申し付く









五日いつかつにも 大碓命おおうす
席にでぬを 怪訝あやしみて
如何いかがしや」と 問いくに

小碓命おうす平然 答えるは
かわや入るを 待ち捕え
 手足ぎ取り こも投棄つ」

聞いた景行天皇おおきみ 恐れなし
小碓命おうす気性きしょうの 激しさに 
そば置くいとい 命下す

 西の国にと 我れ聞くに
 熊曽くまそたける 二人あり
 そむく無礼に 断くだせ」

おうめい受け 小碓命おうすみこ
出発いでたち前に 叔母おばぎみ
倭比売命やまとひめみこ 訪ねしに
たまわる衣装 ご懐剣かいけん

西に至りて うかがうに
熊曽建たける屋敷は にぎわいて
むろ落成なりうたげ 膳支度したく











うたげまぎれて 任務にんをぞと
叔母拝領はいりょうの 衣装着け
乙女ふんして はべる席
熊曽建たける目に止め しゃく望む

目伏せ顔伏せ そそぐ手の
ひさごに変わり 懐剣かいけん
兄のたけるの 胸を刺す

逃げる仰天ぎょうてん おとたける
なるかと追いて 尻突刺けば

観念弟建たける 「そも誰ぞ」
大和やまと天皇きみの子 小碓命おうすなり」

「さてこそ強き 皇子みこなるや
 我が名名告なのりを 召されませ」

言うやこと切れ これちて
倭建命やまとたけると 名が変わる

 の噂を 耳にして
帰路 寄りたるは 出雲国

同じたけるの 故ちて
出雲いずもたけるの 懇意こんい得る

イチイがしわ偽刀にせがたな
帯びて誘うは 斐伊いびの川








倭建命やまとたけるは 水浴びて
上がり着替えに 大刀たちえる

おくれ水浴び 知らじかや
着替え帯びるは かし大刀たち

 勇者いずれぞ いざ勝負」
迫る真大刀まだちの 倭建命たけるみこ
抜けぬかたなに 散る出雲建たける

誇る倭建命たけるの 謡う歌

出雲いずもたけるが 大刀たち
つる幾重いくえもに 飾れるが
刀身無しかたなぞ あわれにも

  八つ芽さす 出雲いずもたける
  ける大刀たち 黒葛つづらさわ
   さ身無しにあわれ
                ―古事記歌謡(二十四)―