■訳してみよう万葉集■<その48>
●題材歌
石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
―志貴皇子―(巻八・一四一八)
●現代訳
①巌の面を音立てて流れおつる 滝のほとりには もう蕨が萌え出づる春になった 喜ばしい
②寒い冬も過ぎて (石ばしる)小滝のほとりに はや蕨の萌え出る春になったなあ
③岩の上を奔流する滝のほとりの蕨が 萌え出てくるうれしい春になったことだ
④岩の上をほとばしる滝のほとりのさ蕨が萌え出る春に ああなったことだ
⑤岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらぴが、むくむくと芽を出す春になった、ああ。
⑥岩を叩き水しぶき散る清い瀧のほとりの蕨が 芽を出し始める春になったんだ
⑦ ―
①斎藤茂吉<万葉秀歌>
②森岡美子<萬葉集物語>
③山本健吉<万葉秀歌鑑賞>
④中西 進<万葉集・全訳注原文付>
⑤伊藤 博<万葉集・現代語訳付き>
⑥日めくり万葉集
⑦植田祐子<超訳万葉集>
これらを踏まえて 私はこう訳しました。
《蕨の芽 渓流の水の 岩陰で 見たで見つけた 春や 春来た》
さあ あなたの訳は 如何ですか?
さて <その47><その48><その>を「万葉歌みじかものがたり」にすると・・・
《石ばしる》
天智天皇 第七皇子 志貴皇子
天武・持統時代に 青年期
時代の子故の 生き方を求められる
(歌道への 精進
これしか なかろう
宴も ほどほど 集い 歌披露も避け
独り歌 独り修行が 身守り要
したが 歌作り 中々の 至難道)
葦辺行く 鴨の羽交ひに 霜降りて 寒き夕は 大和し思ほゆ
《鴨の背に 霜降りてるで 寒むそうや しみじみ大和 恋しいこっちゃ》
【慶雲三年難波行幸】
―志貴皇子―(巻一・六四)
大原の このいち柴の いつしかと 我が思ふ妹に 今夜逢へるかも
《何時来たら 逢えるんやろか 待ってたが とうと逢えたで 今夜のお前》
―志貴皇子―(巻四・五一三)
神奈備の 石瀬の社の 霍公鳥 毛無の岡に 何時か来鳴かむ
《石瀬社 鳴くほととぎす 何時やねん 毛無の岡に 鳴き来るのんは》
―志貴皇子―(巻八・一四六六)
春は まだ浅い
雪の残る 山道を
独り辿る 志貴皇子
皇子は 早春が好きだ
水は 冷たく
空気も 研ぎ澄まされている
木々を渡る風も キリとして 頬に心地よい
(いつしか 一人歩きが習いになって仕舞うた
歌の道に 勤しんできたが
やっと 実を着けつつあるか
気楽がいい 官職はそこそこでよいのだ)
皇子は 語りかける
(山はいい お前は 何も言わない
川もいい さらさらと こだわり無さ気だ
音が 心無しか 高こうなったな
雪解けが 始まったらしい
春は まだ少し先か・・・)
おや
おお 見つけたぞ
渓流滝のそば
わらびだ! 蕨の芽だ!
お前は 雪陰に 隠れていたのか
まさしく 春の芽だ
石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
《蕨の芽 渓流の水の 岩陰で 見たで見つけた 春や 春来た》
―志貴皇子―(巻八・一四一八)
満足の 歌成り歓びを 微笑み
皇子は 春の気を 胸奥深に 吸い込む
●題材歌
石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
―志貴皇子―(巻八・一四一八)
●現代訳
①巌の面を音立てて流れおつる 滝のほとりには もう蕨が萌え出づる春になった 喜ばしい
②寒い冬も過ぎて (石ばしる)小滝のほとりに はや蕨の萌え出る春になったなあ
③岩の上を奔流する滝のほとりの蕨が 萌え出てくるうれしい春になったことだ
④岩の上をほとばしる滝のほとりのさ蕨が萌え出る春に ああなったことだ
⑤岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらぴが、むくむくと芽を出す春になった、ああ。
⑥岩を叩き水しぶき散る清い瀧のほとりの蕨が 芽を出し始める春になったんだ
⑦ ―
①斎藤茂吉<万葉秀歌>
②森岡美子<萬葉集物語>
③山本健吉<万葉秀歌鑑賞>
④中西 進<万葉集・全訳注原文付>
⑤伊藤 博<万葉集・現代語訳付き>
⑥日めくり万葉集
⑦植田祐子<超訳万葉集>
これらを踏まえて 私はこう訳しました。
《蕨の芽 渓流の水の 岩陰で 見たで見つけた 春や 春来た》
さあ あなたの訳は 如何ですか?
さて <その47><その48><その>を「万葉歌みじかものがたり」にすると・・・
《石ばしる》
天智天皇 第七皇子 志貴皇子
天武・持統時代に 青年期
時代の子故の 生き方を求められる
(歌道への 精進
これしか なかろう
宴も ほどほど 集い 歌披露も避け
独り歌 独り修行が 身守り要
したが 歌作り 中々の 至難道)
葦辺行く 鴨の羽交ひに 霜降りて 寒き夕は 大和し思ほゆ
《鴨の背に 霜降りてるで 寒むそうや しみじみ大和 恋しいこっちゃ》
【慶雲三年難波行幸】
―志貴皇子―(巻一・六四)
大原の このいち柴の いつしかと 我が思ふ妹に 今夜逢へるかも
《何時来たら 逢えるんやろか 待ってたが とうと逢えたで 今夜のお前》
―志貴皇子―(巻四・五一三)
神奈備の 石瀬の社の 霍公鳥 毛無の岡に 何時か来鳴かむ
《石瀬社 鳴くほととぎす 何時やねん 毛無の岡に 鳴き来るのんは》
―志貴皇子―(巻八・一四六六)
春は まだ浅い
雪の残る 山道を
独り辿る 志貴皇子
皇子は 早春が好きだ
水は 冷たく
空気も 研ぎ澄まされている
木々を渡る風も キリとして 頬に心地よい
(いつしか 一人歩きが習いになって仕舞うた
歌の道に 勤しんできたが
やっと 実を着けつつあるか
気楽がいい 官職はそこそこでよいのだ)
皇子は 語りかける
(山はいい お前は 何も言わない
川もいい さらさらと こだわり無さ気だ
音が 心無しか 高こうなったな
雪解けが 始まったらしい
春は まだ少し先か・・・)
おや
おお 見つけたぞ
渓流滝のそば
わらびだ! 蕨の芽だ!
お前は 雪陰に 隠れていたのか
まさしく 春の芽だ
石ばしる 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
《蕨の芽 渓流の水の 岩陰で 見たで見つけた 春や 春来た》
―志貴皇子―(巻八・一四一八)
満足の 歌成り歓びを 微笑み
皇子は 春の気を 胸奥深に 吸い込む