ユニーク古典現代訳(大阪弁万葉集改題)

日本の古典を訳します。そのままストンと腑に落ちる訳。なんだ、こうだったのかと分かる訳。これなら分かる納得訳。どうぞどうぞ

憶良編(05)年を取ったらしゃあないか

2010年04月29日 | 憶良編
■平成22年4月29日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★人生の 儚さ詠う 憶良はん あんた相当 苦労をしたな

世間よのなかの すべなきものは 年月は 流るる如し 
取りつつき 追ひるものは 百種ももくさに め寄りきた

《人の世なんて ままらん 月日経つのは あっゅう間
 苦労の種は 次々と》 
少女をとめらが 少女をとめざびすと からたまを 手本たもとかし 
同輩児よちこらと たづさはりて 遊びけむ 時の盛りを 
とどみかね すぐりつれ みなわた かぐろき髪に 何時いつか しもの降りけむ 
くれなゐおもての上に 何処いづくゆか しわきたりし
 
《若い少女むすめが 身を飾り 仲好し同士で たわむれる 年の盛りは またたく間
 緑の黒髪 白髪しらが生え 綺麗きれえな顔に しわ増える》
大夫ますらをの 男子をとこさびすと つるぎ太刀たち 腰に取りき 猟弓さつゆみを にぎり持ちて 
赤駒に くらうち置き はひ乗りて 遊びあるきし 世間よのなかや つねにありける
 
《男盛りを 自慢げに 刀を差して 弓持って 
 馬にまたがり 遊んでも そのまま過ごせる 訳やない》 
少女をとめらが さす板戸を 押し開き い辿たどりよりて 玉手たまでの 玉手さしへ 
の 幾許いくだもあられば
 
いをかけて 目当ての児 腕巻き抱いて 寝る夜は 長く続かん そのうちに》 
つかづゑ 腰にたがねて か行けば 人にいとはえ かく行けば 人ににくまえ 
老男およしをは かくのみならし たまきはる 命惜しけど せむすべも無し

《杖突きながら 腰曲げて 行く先々で 嫌われる 
 年取るうんは そんなこと 生きてる限り 仕様しょうがない》
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇四〕 

常磐ときはなす かくしもがもと 思へども 世の事なれば とどみかねつも
《欲張って あれこれしたい おもうても これが世の中 あきらめなはれ》
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇五〕 



老男およしをは かくのみならし】へ


日めくり万葉集<12月>(その1)

2010年04月26日 | 日めくり万葉集
■平成22年4月26日■
NHKテレビ「日めくり万葉集」で取り上げられた 万葉歌を 「大阪弁」で訳します
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★怖いんや 女惚れたら 命がけ 心してから 掛からなあかん
今さらに  何をか思はむ うち靡き 心は君に 寄りにしものを
《ここへ来て 悩むことなぞ あれへんわ うちはあんたに 惚れて仕舞しもたのに》
                         ―安倍女郎―<巻四・五〇五> 

★浮世絵の 薩埵峠さったとうげに 見る富士は パッと見る富士 そのまま景色

田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
《田子の浦  回って見たら パッと富士 山のてっぺん 雪降ってるで》
                         ―山部赤人―<巻三・三一八> 

★大袈裟に 言うてかもたが 切り返し 受けて天武は 兜をぬぐよ

我が里に 大雪降れり 大原の りにし里に らまくは後のち
《わしの里 大雪降った お前る そっちの田舎 まだまだやろな》
                         ―天武天皇―<巻二・一〇三> 


憶良編(04)眼ぇに入れても痛うない

2010年04月22日 | 憶良編
■平成22年4月22日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★親が居て 自分が居って 子供居る あたり前やが 気付きが出けん

父母を 見ればたふとし 妻子めこ見れば めぐしうつく
世の中は かくぞ道理ことわり もちとりの かからはしもよ 行方ゆくへ知らねば
 
父母ちちはは尊べ 妻や子を 可愛かわいがるのは 当たり前 鬱陶うっとしけども 世の定め》
穿沓うげぐつを る如く きて 行くちふ人は 
石木いはきより し人か が名らさね

《ボロぐつるよに 世を捨てる 人のすること 違うやろ 何処どこ何奴どいつや こらお前》
あめへ行かば がまにまに つちならば 大君おほきみいます 
この照らす 日月のしたは あまくもの むかきはみ 谷蟆たにぐくの さ渡るきはみ 
きこす 国のまほらぞ かにかくに しきまにまに しかにはあらじか

《一人よがりの ひじりみち 行きたいんなら 勝手にせ この世の中で 住み続け  
天道てんとさんに 気に入られ 人の踏む道 望むなら 気まま勝手に するやない》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇〇〕 
ひきかたの あまは遠し なほなほに 家に帰りて なりまさに
ひじり道 遥かに遠い あきらめて さっさと帰って 仕事に励め》                          ―山上憶良―〔巻五・八〇一〕 

うりめば 子ども思ほゆ くりめば ましてしのはゆ 何処いづくより きたりしものそ 
眼交まなかひに もとなかかりて 安眠やすいさぬ

《瓜を食うたら 思い出す 栗を食うても なおそうや  どこから来たんか この子供  目ぇつぶっても 顔浮かぶ  ゆっくり寝られん 気になって》
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇二〕 
しろかねも くがねも玉も 何せむに まされる宝 子にかめやも
《金銀も 宝の玉も そんなもん なんぼのもんじゃ 子供が一番》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇三〕 




【子にかめやも】へ


日めくり万葉集<11月>(その8)

2010年04月19日 | 日めくり万葉集
■平成22年2月日■
NHKテレビ「日めくり万葉集」で取り上げられた 万葉歌を 「大阪弁」で訳します
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★任受けて 誉れの船出 その母は ひたすら祈る 我が子の無事を
旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群たづむら
《宿る野に 霜が降ったら 天の鶴 羽根を広げて うちの子かばえ》
                         ―遣唐使母―〈巻九・一七九一〉 

軽皇子かるのみこ 阿騎野の狩は 亡き父の 草壁皇子の 思い出の地ぞ
ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ
《日が昇る 月沈んでく 西空に 草壁皇子みこの面影 浮かんで消える》
                         ―柿本人麻呂―〈巻一・四八〉 

★澄む秋の 景色の中の 萩と鹿 鳴く声遥か 空透き通る
秋萩の 散りのまがひに 呼びたてて 鳴くなる鹿の 声の遥けさ
《萩花が  乱れ散る中 連れ呼んで 鳴く鹿の声 遠くでしてる》
                         ―湯原王―〈巻八・一五五〇〉 

★葛城の おお臣下なり 橘の 諸兄となって 政治動かす
橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉とこはの木
《橘は ぃ立派やで 花も葉も えだても 緑のままや》
                         ―聖武天皇―〈巻六・一〇〇九〉 


憶良編(03)遠いとこ来て可哀想に

2010年04月15日 | 憶良編
■平成22年4月15日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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いたわしや 友の嘆きは 我が嘆き 身に置き換えて 憶良は詠う

大君おほきみの 遠の朝廷みかどと しらぬひ 筑紫つくしの国に 泣く子なす 慕ひ来まして 
いきだにも いまだやすめず 年月としつきも いまだあらねば 
心ゆも 思はいあひだに うち摩き こやしぬれ

《遠く離れた 筑紫へと 子供みたいな お前連れ  落ち着かんに 月日経ち
 しんみり話も せんうちに お前病気に なってもた》
言はむすべ すべ知らに 石木いはきをも け知らず 家ならば かたちはあらむを 
うらめしき いもみことの あれをばも 如何いかにせよとか 鳰鳥にほどりの 二人並び 
語らひし 心そむきて 家さかりいます

《どしたらえか 分からへん 石や木ィかて 答えよらん あんな元気で ったのに どないせ言うんや このわしに 二人仲良う  暮らそうと  言うたお前は もうらん》
                         ―山上憶良―〔巻五・七九四〕 

家に行きて 如何いかにか吾がせむ 枕づく 妻屋つまやさぶしく 思ほゆべしも
《家帰り どしたらんや このワシは 寝床を見ても さみしいだけや》
しきよし かくのみからに したし 妹がこころの すべもすべなさ
可愛かいらしく あんないっぱい 甘え来た お前気持に こたえられんで》
くやしかも かく知らませば あをによし 国内くぬちことごと 見せましものを
《悔しいな こんなことなら 景色え 筑紫の国中くにじゅう 見せたったのに》
いもが見し あふちのち花は 散りぬべし わが泣くなみだ いまだなくに
栴檀せんだんの 花散りそうや 思いの よすがうなる えもせんのに》
大野山おほのやま 霧立ち渡る わが嘆く 息嘯おきその風に 霧立ちわたる
《大野山 霧が立ってる わし嘆く 溜息ためいきたまって 霧になったで》
                         ―山上憶良―〔巻五・七九五~七九九〕 

 
世の中は むなしきものと 知る時し いよよますます かなしかりけり
《人の世は からっぽなんやと 知ったんや おもうてたより ずうっと悲しい》
                        ―大伴旅人―〔巻五・七九三〕 









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日めくり万葉集<11月>(その7)

2010年04月12日 | 日めくり万葉集
■平成22年2月日■
NHKテレビ「日めくり万葉集」で取り上げられた 万葉歌を 「大阪弁」で訳します
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★子煩悩 愛妻家かな 憶良はん ほんまは違ごて 恐妻家かな
憶良らは 今はまからむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむぞ
《憶良めは ぼちぼち帰らして もらいます 子供も女房よめも 待ってますんで》
                         ―山上憶良―(巻三・三三七) 

★秋侘びの 気持は今も 万葉の 時代も同じ 不思議な思い
うらさぶる  心さまねし ひさかたの 天のしぐれの 流らふ見れば
時雨しぐれ雨 はらはらはらと 流れ降る 侘しい胸に はらはらはらと》
                         ―長田王ながたのおおきみ―(巻一・八二)

★どっちかな 見えるたくしま 言いたいか 乙女機織はたおり 櫛言いたいか
娘子をとめらが 織るはたうえを まくしもち たくしま 波のよ見ゆ 
《乙女らが 櫛で機糸はたいと たくし上ぐ その栲島が 波間に見える》
                         ―古集―(巻七・一二三三) 


憶良編(02)わし帰らしてもらいます

2010年04月08日 | 憶良編
■平成22年4月8日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★筑紫歌壇 老の歓迎 歌披露 覚めてる憶良 お先に御免

あをによし 寧楽なら京師みやこは 咲く花の にほふがごとく 今さかりなり
《賑やかな 平城ならみやこは 色えて 花咲くみたい 今真っ盛り》
                         ―小野老をののおゆ―〔巻三・三二八〕

やすみしし わご大君おほきみの きませる 国のうちには 京師みやこおもほゆ
大君おおきみの 治めてなさる この国で やっぱりみやこが えなと思う》
藤波ふぢなみの 花は盛りに なりにけり 平城ならみやこを 思ほすや君
《藤のふさ 波打つみたい 花見ごろ みやこ恋しか どやそこの人》
                      ―大伴四綱おおとものよつな―〔巻三・三二九、三三〇〕

わがさかり また変若をちめやも ほとほとに 寧楽ならみやこを 見ずかなりなむ
《も一遍いっぺん 若返りたい そやないと 平城ならみやこを 見られへんがな》
わがいのちも つねにあらぬか 昔見し きさ小河をがはを 行きて見むため
《この命 もうちょっとだけ べへんか きさの小川を また見たいんで》
浅茅あさぢはら つばらつばらに ものへば りにしさとし 思ほゆるかも
《何やかや つらつらつらと 思うたび 明日香の故郷さとが 懐かしいんや》
わすれくさ わがひもに付く 香具かぐ山の りにしさとを 忘れむがため
《忘れ草 身に付けるんは 香具山の 故郷さと忘れよと 思うためやで》
わが行きは ひさにはあらじ いめのわだ にはならずて ふちにあらぬかも
《筑紫には ごうはらん 夢のわだ 浅瀬ならんと 淵でってや》
                       ―大伴旅人―〔巻三・三三一~三三五〕 
しらぬひ 筑紫つくし綿わたは 身につけて いまだはねど あたたかに見ゆ
《珍しい 筑紫の真綿まわた わしのに てみてへんが ぬくそに見える》
                       ―満誓まんせい―〔巻三・三三六〕

億良おくららは 今はまからむ 子くらむ そのかの母も を待つらむそ
《憶良めは ぼちぼち帰らして もらいます 子供も女房よめも 待ってますんで》
                       ―山上憶良―〔巻三・三三七〕 




【今は罷らむ】へ


日めくり万葉集<11月>(その6)

2010年04月05日 | 日めくり万葉集
■平成22年2月日■
NHKテレビ「日めくり万葉集」で取り上げられた 万葉歌を 「大阪弁」で訳します
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★夕暮れの 逢魔おうまが時の 占いは 当たる当たらん ゆうら夕占ゆら夕占ゆら夕占

言霊ことだまの 八十やそちまたに 夕占ゆふけ問ふ うらまさに告る 妹相寄らむと
《大勢の 行き交う道で 夕占うらのうた おうおう出たで あの児靡くて》
                         ―柿本人麻呂歌集―〔巻十一・二五〇六〕 

★領布を振る 佐用姫気持ち 分らんで 狭手彦船は 沖遠ざかる
遠つ人 松浦佐用姫まつらさよひめ つま恋ひに 領巾ひれ振りしより へる山の名
《佐用姫はん おっと恋しと 領布振った 付いた山の名 そこから来てる》
                         ―作者未詳―〔巻五・八七一〕 

★酒飲みの 旅人分るか 酒飲まん 人に無理強い 困る気持ちを
あなみにく さかしらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似む
《ああ嫌や  酒も飲まんと 偉そうに 言う奴の顔 猿そっくりや》
                         ―大伴旅人―〔巻三・三四四〕 




憶良編(01)帰ってきてや荒雄はん

2010年04月01日 | 憶良編
■平成22年月日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★男気が あだとなったか 荒雄はん 波間漂い 見えんなった

大君おほきみの つかはさなくに 情進さかしらに 行きし荒雄あらをら 沖に袖振る
《荒雄はん 助け求めて 袖を振る 君命くんめいちゃうのに 男気出して》

荒雄らを むかじかと いひりて 門に出で立ち 待てどまさず
《荒雄はん 帰って欲しと 陰膳ぜんえて なんぼ待っても 戻ってこない》

志賀の山 いたくなりそ 荒雄らが よすかの山と 見つつしのはむ
《志賀山の 木ィ切らんとき 荒雄はん 偲ぶよすがに 置いといてんか》 

荒雄らが 行きにし日より 志賀の海人あまの 大浦おほうら田沼たぬは ざぶしくもあるか
《荒雄はん 船出ふなでしてから らへんで 大浦田沼は さみしいなった》

つかさこそ 指してもらめ 情出さかしらに 行きし荒雄ら 波に袖振る
《お役所が 名指しせんのに 荒雄はん 可哀相やな 男気出して》 

荒雄らは 妻子めこ産業なりをば 思はずろ 年の八歳やとせを 待てどまさず
《荒雄はん 妻子つまこ生活くらし 思わんと いつまで経っても 行ったままかい》 

沖つ烏 かもとふ船の かへり来ば さきもり 早く告げこそ
さきもりはん 鴨う船が 戻ったら 早よ早ようて 待ってるよって》

沖つ鳥 鴨とふ船は の崎 みてと きこぬかも
《也良の崎 岬まわって 鴨とう 船が来たう 知らせが来んか》

沖行くや あか小船をぶねに つとらばけだし人見て ひらき見むかも
《荒雄はん 土産を積んだ 船出して 見舞いにしたら 見てくれまっか》 

大船に 小船をぶね引きえ かづくとも 志賀の荒雄に かづきあはめやも
《荒雄はん 大船小船で 探したが 何処へ行ったか 見つけられへん》 
                    ―山上憶良―〔巻十六・三八六〇~三八六九〕 







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