ユニーク古典現代訳(大阪弁万葉集改題)

日本の古典を訳します。そのままストンと腑に落ちる訳。なんだ、こうだったのかと分かる訳。これなら分かる納得訳。どうぞどうぞ

憶良編(18)憶良大夫(ますらお)死んでたまるか

2010年07月19日 | 憶良編
■平成22年7月19日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★今わきわ 必死憶良は 足掻あがきする 死んでたまるか このままここで

をのこやも 空しくあるべき 万代よろづよに 語りくべき 名は立てずして
丈夫ますらおと 思うわしやぞ のちの世に 名ぁ残さんと 死ねるもんかい》
                       ―山上憶良―〔巻六・九七八〕 





壮士をのこやも】へ


憶良編(17)負けてたまるか病ごときに

2010年07月15日 | 憶良編
■平成22年7月15日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★病気して 気ィ弱なって 仕舞たけど 負けてられんで 子がさいんや

たまきはる うちかぎりは たひらけく 安くもあらむを 
事も無く くあらむを 世間よのなかの けくつらけく

《生きてるうちは  病気せず 楽に死にたい おもうても
 世の中うっとし ままならん》
いとのきて 痛ききずには 鹹塩からしほそそくちふが如く 
ますますも 重き馬荷うまにに 表荷うはに打つと いふことのごと 
老いにてある わが身の上に 病をと 加へてあれば 

《塩を生傷なまきず 塗るみたい 追い荷重荷に 積むみたい
 老い身に病気 重なって》 
昼はも 嘆かひ暮し よるはも 息衝いきづきあかし 
年長く 病みし渡れば 月かさね 憂へさまよ
 
《夜は溜息 昼嘆き 長患いの 続くうち》 
ことことは 死ななと思へど 五月蠅さばへなす さわどもを 
てては しには知らず 見つつあれば 心はえぬ
 
《いっそ死のかと おもたけど 餓鬼どもって 死なれへん
 子供見てると 胸痛む》 
かにかくに 思ひわづらひ のみし泣かゆ
《なんやかや 考えあぐねて 泣くばかり》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八九七〕 
慰むる 心はなしに 雲がくり 鳴き行く鳥の のみし泣かゆ
《安らかな  気持ちなれんと ピイピイと 鳥鳴くみたい ずっと泣いてる》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八九八〕 
すべも無く 苦しくあれば で走り ななと思へど 児らにさやりぬ
《苦しいて あの世行こかと おもうても 子供邪魔して 死ぬことでけん》
                        ―山上憶良―〔巻五・八九九〕 
富人とみひとの 家の児どもの み くたつらむ きぬ綿わたらはも
《金持ちの  家の子供は 着もせんと え服 ってる 絹や綿入れ》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇〇〕 
荒栲あらたへの 布衣ぬのきぬをだに 着せかてに くや嘆かむ むすべを無み
《捨てるよな  ボロ服さえも 着ささんと 嘆いてみても どうにもならん》 
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇一〕 
水沫みなわなす いやしき命も 栲繩たくなはの 千尋ちひろにもがと 願ひ暮しつ
《泡みたい  すぐ消えるよな 命でも 長生きしたい おもうて暮らす》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇二〕 
倭文手しつたまき 数にもらぬ 身にはれど 千年ちとせにもがと 思ほゆるかも
安物やすもんの 飾りみたいな このわしも せめて長生き したいと思う》 
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇三〕 







うちかぎりは たひらけく】へ


憶良編(16)無事に帰りや遣唐使

2010年07月12日 | 憶良編
■平成22年月日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★誉れある 決死船出の 遣唐使 無事帰れよと この歌捧ぐ

神代より らく 
そらみつ やまとの国は 皇神すめがみの いつくしき国 言霊ことだまの さきはふ国と 
語りぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり

《大和の国は  神代から 威厳あふれる 神の国 言霊ことだまかなう さちの国
 語り継がれて 今の世の あまねく人の 知るところ》 
さはに 満ちてはあれども 高光る 日の朝廷みかど かむながら めでの盛りに 
あめした まをし給ひし 家の子と えらび給ひて
 
数多あまたの人の る中で 天皇すめらみことの 思し召し めでたき者と 選ばれて》 
勅旨おほみこと いただき持ちて もろこしの 遠き境に つかはされ まかいま 
《お言葉持って からの国 遠きつかいに 出かけらる》
海原うなはらの にもおきにも かむづまり うしはいます もろもろの 大御神おほみかみたち 船舳ふなのへに 導きまを 
きしおき治める 海神うみがみは 船に先立ち お導き》
天地あめつちの 大御神たち やまとの 大国霊おほくにみたま ひさかたの あま御空みそらゆ あまかけり 見渡し給ひ 
天地神あめつちがみと 大和神やまとがみ 空駆け渡り お見守り》
ことをはり 還らむ日には またさらに 大御神たち 船舳ふなのへに 御手みてうち懸けて 
墨繩すみなはを へたる如く あちかをし 値嘉ちかさきより 大伴の 御津みつ浜辺はまびに 
ただてに 御船みふねてむ
 
《お役目終えて 帰る日は 神々すべて 打ち揃い 舳先へさきつかまえ 引き戻す
 値賀島ちかじま通って 難波なにわはま ひとすじ道に 戻りませ》
つつがく さきして 早帰りませ
《無事な行きを 祈ります》
                         ―山上憶良―〔巻五・八九四〕 
大伴の 御津みつの松原 かききて われ立ち侍たむ  早帰りませ
《大伴の 御津みつの松原 掃き清め わし待ってるで 早よ帰ってや》
                         ―山上憶良―〔巻五・八九五〕 
難波津に 御船みふねてぬと 聞きこば ひもけて 立走たちばしりせむ
難波なにわ津に 船帰ったと 聞いたなら 取るもん取らんと 駆けつけまっせ》
                         ―山上憶良―〔巻五・八九六〕 





言霊ことだまさきはふ国と】へ


憶良編(15)大事な息子死なしてしもた

2010年07月08日 | 憶良編
■平成22年7月8日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★うろたえる 憶良嘆きは 如何ばかり 老いて生した子 死なして仕舞しも

世の人の たふとび願ふ 七種ななくさの 宝もわれは 何為なにせむに 
わがなかの 生れ出でたる 白玉の わが子古日は

《みんな欲しがる 宝はいらん うちに生まれた 可愛かわいい古日》
明星あかほしの くるあしたは 敷栲しきたへの とこ去らず 立てれども れども 共にたはぶ
《朝に起きたら 枕もとよる どこにっても じゃれ付いてくる》
夕星ゆふづつの ゆふへになれば いざ寝よと 手をたづさはり 父母も うへさがり 
三枝さきくさの 中にを寝むと うつくしく が語らへば

《日暮れが来たら 早よ早よよと おとうもおかあも 並んで一緒いっしょ
 可愛かわいらしに うんやこの児》
何時いつしかも 人と成りでて しけくも よけくも見むと 大船おほぶねの 思ひたのむに 
思はぬに 横風よこしまかぜの にふぶかに おほぬれば
 
おおれ 善し悪し別に 楽しみやなと おもうていたに 悪い病気に かかってしもた》 
すべの 方便たどきを知らに 白栲しろたへの 手襁たすきを掛け まそ鏡 手に取り持ちて 
あまつ神 仰ぎ乞ひみ くにつ神 伏してぬかづき 
かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり われ乞ひめど

《どしたらえか 分からんよって 白いたすきに 鏡を持って
 天の神さん 頼むと祈り くにの神さん なんとかしてと 気ィ狂うほど おがんでみたが》
須臾しましくも けくは無しに 漸漸やくやくに 容貌かたちくづほり あさあさな 言ふことみ 
たまきはる 命絶えぬれ 

一寸ちょっとうは なること無しに 生気うなり 息絶え絶えで 幼い命 無くしてしもた》
立ち踊り 足り叫び 伏し仰ぎ 胸うち嘆き 手にてる が児飛ばしつ 世間よのなかの道
《飛び上っては 地団太じだんだ踏んで ぶっ倒れては 胸きむしり 抱いたあの児を 思わず投げた
 あってえんか こんなこと》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇四〕 

わかければ 道行き知らじ まひむ 黄泉したへ使つかひ ひてとほらせ
《礼するで あの世の使い 背負せおたって ちっちゃいよって 道知らんから》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇五〕 

布施ふせ置きて われは乞ひむ あざむかず ただきて 天路あまぢ知らしめ
布施ふせ添えて おがみますんで 天国に 間違いうに 連れてったって》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇六〕 





【わが子古日は】へ


憶良編(14)貧者お互い寒さは辛い

2010年07月05日 | 憶良編
■平成22年7月5日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★世の中の 貧しき者の 代わりなり 憶良一言 申し上げます

風雑まじり 雨降るの 雨まじり 雪降るは すべもなく 寒くしあれば 
《雨風吹いて 雪までじり 我慢もできん 寒さの夜は》
堅塩かたしほを りつづしろひ 糟湯酒かすゆざけ うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに 
しかとあらぬ ひげかき撫でて
 
《塩をつまんで うす酒すすり せきして鼻たれ 無いひげでて》
あれきて 人は在らじと ほころへど 
《ワシは偉いと  言うてはみても》
寒くしあれば 麻衾あさぶすま 引きかがふり ぬのかたぎぬ 有りのことごと 服襲きそへども 寒き夜すらを
《寒いよってに 安布団ふとんかぶり 有るもん全部 重ねて着ても それでもさむて たまらん晩を》
われよりも 貧しき人の 父母は さむからむ 妻子めこどもは ふ泣くらむ 
この時は 如何いかにしつつか が世は渡る

《もっと貧乏びんぼな お前の家は 父母おやは飢えてて 妻や子泣いて 毎日どないに 過ごしてるんや》 
天地あめつちは 広しといへど ためは くやなりぬる 日月ひつきは あかしといへど ためは 照りや給はぬ 
世間せけんひろても わしには狭い 明るい日や月 わしには照らん》  
人皆か のみや然る わくらばに 人とはあるを 人並ひとなみに あれれるを 
みんなそやろか ワシだけやろか ワシも人間ひとやで 人並みやのに》
綿も無き 布肩衣ぬのかたぎぬの 海松みるごと わわけさがれる 襤褸かかふのみ 肩にうち懸け 
《綿なし服は 海藻かいそうみたい 肩に掛けたら びらびら垂れる》
伏廬ふせいほの 曲廬まげいほの内に 直土ひたつちに わら解き敷きて 父母は まくらかたに 
妻子めこどもは あとかたに かくて うれさまよ
 
《傾く家の 土間どまわら敷いて 父母おやは枕に 妻子つまこは足に 固まりうて うれいて嘆く》
かまどには 火気ほけふき立てず こしきには 蜘蛛くもの巣きて いひかしく 事も忘れて 
ぬえどりの 呻吟のどよるに
 
《釜に蜘蛛くも 火のないかまど めしき忘れて うめいてばかり》
いとのきて 短き物を はしると へるが如く しもと取る 里長さとをさが声は 
寝屋戸ねやどまで 立ちばひぬ かくばかり すべ無きものか 世間よのなかの道

むち持つ役人 手加減なしに 寝てるとこ来て がなって叫ぶ 世の中これで えんか ほんま》
―山上憶良―〔巻五・八九二〕 





【鼻びしびしに】へ


憶良編(13)春の一日呑気に暮らそ

2010年06月28日 | 憶良編
■平成22年6月28日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★若き日を 思いに辿る 憶良はん 昔の歌が 懐かし響く

白波の 浜松の木の むけぐさ 幾代までにか 年はぬらむ
《松の木に 幣布きれ結び付け 祈るんは ずうっと前から 続く習慣ならわし
                         ―山上憶良―〔巻九・一七一六〕 
天翔あまがけり ありがよひつつ 見らめども 人こそ知らね 松は知るらむ 
《空飛んで 皇子みこの魂 かよて来る 人間ひと見えんでも 松は知っとる》
                         ―山上憶良―〔巻二・一四五〕 

秋の野に 咲きたる花を および折り かき数ふれば 七種ななくさの花
《秋の野に 咲いてる花を 数えたら 秋ずる花 種類は七つ》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五三七〕 
はぎの花 尾花をばな 葛花くずばな 瞿麦なでしこの花
女郎花をみなへし また藤袴ふぢばかま 朝貌あさがほの花

《萩の花 すすき葛花 撫子なでしこの花
女郎花おみなえし ふじばかまばな 桔梗ききょうばななり》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五三八〕 

春されば まづ咲く宿の 梅の花 独り見つつや 春日暮らさむ 
《春来たら 最初さいしょ咲く花 梅の花 独り見るには 惜しい春やな》
                       ―山上憶良―〔巻五・八一八〕 





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憶良編(12)天の川原の逢瀬が過ぎる

2010年06月21日 | 憶良編
■平成22年6月21日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★一日の 逢瀬の為に 一年ひととせを 待ち焦がれする 二人可哀想かわいそ

牽牛ひこぼしの つま迎へぶね 漕ぎらし あま川原かはらに 霧の立てるは
《彦星の  迎えの船が 出たんやな 天の川原に 霧出てるがな》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二七〕 

天の川 ふつの波音なみおと 騒ぐなり わが待つ君し 舟出すらしも
《天の川 波ざわざわと 騒いでる うち待つあんた 船したんや》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二九〕 
ひさかたの あまの川瀬に 船けて 今夜こよひか君が わがまさむ
《天の川  船浮かばして 今夜こんや来る あんたと逢える うち待つ岸で》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五一九〕 
かすみつ 天の川原に 君待つと いゆきかへるに の裾ぬれぬ
《霞んでる 川原かわらまで出て あんた待つ 行ったり来たり 裾まで濡らし》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二八〕 
あまかは 相向き立ちて わが恋ひし 君ますなり ひも解きけな
《天の川 隔て離され 焦がれ待つ あんた来る来る 早よ支度したくせな》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五一八〕 
秋風の  吹きにし日より いつしかと わが待ち恋ひし 君そ来ませる
立秋あきの風 吹いた時から 待ちに待つ うち待つあんた ようやっと来る》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二三〕 

玉かぎる 髣髴ほのかに見えて 別れなば もとなや恋ひむ 達ふ時までは
《喜びの 逢瀬おうせ束の間 夜明よあけたら また焦がれや 今度逢うまで》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二六〕 





わがまさむ】へ


憶良編(11)年に一度の逢瀬を待って

2010年06月14日 | 憶良編
■平成22年6月14日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★七夕の ロマンは今に 続くけど 科学知らずの ロマン遥けし

牽牛ひこぼしは 織女たなばたつめと 天地あめつちの 別れし時ゆ いなうしろ 川に向き立ち  思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに 
《彦星はんと 織姫おりひめはん 太古の昔 仲裂かれ 思い交わせず 嘆きおる》
青波あをなみに 望みは絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ 
かくのみや  いきき居らむ かくのみや 恋ひつつあらむ

《逢いたい気持ち 波はばむ 白い雲見て 涙する 溜息ためいきもらし 恋焦がる》
ぬりの 小舟をぶねもがも たままきの かいもがも 
あさなぎに いき渡り 夕潮に いぎ渡り 
ひさかたの あま川原かはらに あま飛ぶや 領巾ひれ片敷き 
玉手たまでの 玉手たまでさしへ あまた夜も ねてしかも 秋にあらずとも

《赤い船欲し 櫂も欲し 朝は川越え 夕べ漕ぎ  天の川原かわらに 領布ひれ敷いて 腕をからめて 寝てみたい 七夕あきだけごて 幾晩も》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二〇〕 

風雲は 二つの岸に 通へども わが遠妻とほづまの ことそ通はぬ
《風や雲 岸から岸へ 渡るのに いとしお前の 声届かへん》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二一〕 
たぶてにも げ越しつべき あまがは 隔てればかも あまたすべ無き
《石投げて 届きそやのに 天の川 水が邪魔して こんなに遠い》 
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二二〕 
天の川 いと川波は 立たねども 伺候さもらかたし 近きこの瀬を
《天の川 波も立たんと 近いのに たずねもでけん 口惜くやしいこっちゃ》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二四〕 
袖振らば 見もかはしつべく 近けども 渡るすべ無し 秋にしあらねば 
《袖振るの 見えてるやんか それそこに なんで渡れん 七夕あきちゃうからか》
                         ―山上憶良―〔巻八・一五二五〕 





【渡るすべ無し】へ


憶良編(10)都見るのん楽しみしてた・・・

2010年06月07日 | 憶良編
■平成22年6月7日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★都への 楽しみ旅が 暗転し 熊凝くまこり哀れ 道辺に倒る

うち日さす 宮へのぼると たらちしや 母が手はなれ 
つね知らぬ 国の奥処おくかを 百重山ももへやま 越えて過ぎ行き 
何時いつしかも 京師みやこを見むと 思ひつつ 語らひれど
 
《都へ行くと 故郷くにあとに 知らぬ他国の 奥山やま越えて
 早く都を 見たいなと 噂しながら 来たけども》 
おのが身し いたはしければ 玉桙たまほこの 道の隈廻くまみに 
手折たをり 柴取り敷きて とこじもの うちして 
思ひつつ 嘆きせらく
 
《思いも掛けず 病気なり  道のほとりに 草や柴
 敷いて作った 仮床かりどこに 身を横たえて 思うには》
国に在らば 父とり見まし 家に在らば 母とり見まし  
世間よのなかは かくのみならし いぬじもの 道にしてや いのちぎなむ

故郷くににおったら おっあん 家におったら おっさん
 枕そば来て 看取みとるのに ままにならんと 道のはた 犬が死ぬよに くたばるよ》
                         ―山上憶良―〔巻五・八八六〕 

たらちしの 母が目見ずて おほほしく 何方いづち向きてか が別るらむ
かあちゃんに 会わんとくか 鬱々うつうつと 何処どこをどうして 行ったらんや》
常知らぬ 道の長手ながてを くれくれと 如何いかにか行かむ かりては無しに
《行ったこと ない道続く あの世旅 弁当べんと持たんと どないに行くか》
家に在りて 母がとりば 慰むる 心はあらまし 死なば死ぬとも 
《家って おかあが看取り するんなら 例え死んでも くやめへんのに》
出でて行きし 日を数へつつ 今日けふ今日けふと を待たすらむ 父母らはも
《出てからも 今か今かと 指折って 待ってるやろな  おとうとおかあ
一世ひとよには 二遍ふたたび見えぬ 父母を 置きてや長く が別れなむ
《この世では もう会われへん ととかか 残してくのか ひとりあの世へ》
                    ―山上憶良―〔巻五・八八七~八九一〕 






【京師を見んと】へ


憶良編(09)わし残るんか寂しいで

2010年05月31日 | 憶良編
■平成22年5月31日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★旅人はん 都へ帰る わしひとり 筑紫残され 寂しいこっちゃ

あま飛ぶや 烏にもがもや 都まで 送りまをして 飛び帰るもの
《飛ぶ鳥に なってあんたを 都まで 送って行って 戻ってきたい》 
人もねの うらぶれるに 龍田たつた山 御馬みま近づかば 忘らしなむか
《こっちみな しょんぼりやのに 龍田山 近くに見たら 忘れんちゃうか》
言ひつつも 後こそ知らめ とのしくも さぶしけめやも 君いまさずして
さみしさは あんたるうち まだ浅い ほんまのさみしさ ってもたあと》
万代よろづよに いまし給ひて あめの下 まをし給はね 朝廷みかど去らずて
《ずううっと 長生きされて 国のため 活躍してや 朝廷みかどに居って》
                      ―山上憶良―〔巻五・八七六~八七九〕 

あまざかる ひな五年いつとせ 住ひつつ 都の風俗てぶり 忘らえにけり
きょうはなれ ここの田舎に 五年り みやこ風情ふぜいを 忘れてしもた》
かくのみや いきらむ あらたまの く年の かきり知らずて
《いつまでも 溜息ためいきついて 暮らすんか 今年も来年つぎも その翌年つぎとしも》
ぬしの 御霊みたま給ひて 春さらば 奈良の都に 召上めさげ給はね
《頼みます あんたの引きで 春来たら 奈良の都に 呼び戻してや》 
                      ―山上憶良―〔巻五・八八〇~八八二〕 





【都の風俗(てぶり)】へ


憶良編(08)神功皇后韓国渡る

2010年05月24日 | 憶良編
■平成22年5月24日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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領巾ひれ振りの 旅のついでに 足伸ばし 深江八幡 鎮石いし見に寄った

けまくは あやにかしこし 足日女たらしひめ 神のみこと 韓国からくにを たひらげて 
御心みこころを しづめ給ふと い取らして いはひ給ひし 真珠またまなす 二つの石を 
世の人に 示し給ひて 万代よろづよに 言ひぐがねと

神功じんぐうの 皇后はんが 韓国からくにの 征伐行く時 持ってった 心しずめの 祈り石
 二つを見せて 世の人に 後々あとあとまでも 言い継げと》
わたの底 沖つ深江の 海上うなかみの 子負こふの原に み手づから 置かし給ひて 
かむながら かむさびいます 奇魂くしみたま 今のをつつに 尊きろかむ

《海を望める 子負こふの丘 自らまつる 神の石
 年月としつきって 今見ても なんと尊い この石よ》
                         ―山上憶良―〔巻五・八一三〕 
天地あめつちの ともに久しく 言ひげと 此の奇魂くしみたま 敷かしけらしも
《この話 ずうっとずっと 伝えよと お置きになった 神宿り石》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八一四〕 




【二つの石を】へ


憶良編(07)佐用姫はんは袖を振る

2010年05月17日 | 憶良編
■平成22年5月17日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★憶良はん やっとれたな 佐用姫が 袖振った言う 領布ひれ振り岳に
○山の名の由来歌 
遠つ人 松浦まつら佐用さよひめ 夫恋つまごひに 領布ひれ振りしより へる山の名
佐用さよひめはん おっと恋しと 領布ひれ振った 付いた山の名 そこから来てる》
○後の人 付け加えての歌 
山の名と 言ひ継げとかも 佐用さよひめが この山のに 領布ひれを振りけむ
《山に名を 付けて伝えて いはって 佐用さよひめはんが 領布ひれ振りはった》
○更に後の人 付け加えての歌 
万代よろづよに 語り継げとし このたけに 領布ひれ振りけらし 松浦まつら佐用さよひめ
《いつまでも 語り継いでと この山で 領布ひれ振ったんや 佐用さよひめはんが》
                         ―?―〔巻五・八七一~八七三〕 

○更に更に後の人 付け加えての歌 
海原うなはらの 沖行く船を 帰れとか 領布ひれ振らしけむ 松浦まつら佐用さよひめ
《沖へ行く 船還ってと 命がけ 領布ひれ振りはった 佐用さよひめはんが》
行く船を 振りとどみかね 如何いかばかり こほしくありけむ 松浦まつら佐用さよひめ
《恋し船 めさすことが 出けへんで 悔しかったろ 佐用さよひめはんは》
                         ―山上憶良?―〔巻五・八七四~八七五〕 





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憶良編(06)ほんまはわしも行きたいのんや

2010年05月10日 | 憶良編
■平成22年5月10日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★仕事やと 言うて断わり 憶良はん ホンマはわしも 行きたかったな

松浦県まつらがた 佐用比売さよひめの子が 領巾ひれりし 山の名のみや 聞きつつらむ
《佐用姫が 領布ひれ振ったう 山の名を 聞かすだけかい 独り残して》
帯日売たらしひめ 神のみことの らすと 御立みたたしせりし 石をたれ見き
帯日売たらしひめ 釣りするうて 立った石 見るんは誰や わしも見たいわ》
百日ももかしも 行かぬ松浦まつら 今日けふ行きて 明日はなむを 何かさやれる
《百日も 掛るわけない 松浦路まつうらじ 行って帰るに さわりがあるか》
                         ―山上憶良―〔巻五・八六八~八七〇〕 





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憶良編(05)年を取ったらしゃあないか

2010年04月29日 | 憶良編
■平成22年4月29日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★人生の 儚さ詠う 憶良はん あんた相当 苦労をしたな

世間よのなかの すべなきものは 年月は 流るる如し 
取りつつき 追ひるものは 百種ももくさに め寄りきた

《人の世なんて ままらん 月日経つのは あっゅう間
 苦労の種は 次々と》 
少女をとめらが 少女をとめざびすと からたまを 手本たもとかし 
同輩児よちこらと たづさはりて 遊びけむ 時の盛りを 
とどみかね すぐりつれ みなわた かぐろき髪に 何時いつか しもの降りけむ 
くれなゐおもての上に 何処いづくゆか しわきたりし
 
《若い少女むすめが 身を飾り 仲好し同士で たわむれる 年の盛りは またたく間
 緑の黒髪 白髪しらが生え 綺麗きれえな顔に しわ増える》
大夫ますらをの 男子をとこさびすと つるぎ太刀たち 腰に取りき 猟弓さつゆみを にぎり持ちて 
赤駒に くらうち置き はひ乗りて 遊びあるきし 世間よのなかや つねにありける
 
《男盛りを 自慢げに 刀を差して 弓持って 
 馬にまたがり 遊んでも そのまま過ごせる 訳やない》 
少女をとめらが さす板戸を 押し開き い辿たどりよりて 玉手たまでの 玉手さしへ 
の 幾許いくだもあられば
 
いをかけて 目当ての児 腕巻き抱いて 寝る夜は 長く続かん そのうちに》 
つかづゑ 腰にたがねて か行けば 人にいとはえ かく行けば 人ににくまえ 
老男およしをは かくのみならし たまきはる 命惜しけど せむすべも無し

《杖突きながら 腰曲げて 行く先々で 嫌われる 
 年取るうんは そんなこと 生きてる限り 仕様しょうがない》
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇四〕 

常磐ときはなす かくしもがもと 思へども 世の事なれば とどみかねつも
《欲張って あれこれしたい おもうても これが世の中 あきらめなはれ》
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇五〕 



老男およしをは かくのみならし】へ


憶良編(04)眼ぇに入れても痛うない

2010年04月22日 | 憶良編
■平成22年4月22日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
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★親が居て 自分が居って 子供居る あたり前やが 気付きが出けん

父母を 見ればたふとし 妻子めこ見れば めぐしうつく
世の中は かくぞ道理ことわり もちとりの かからはしもよ 行方ゆくへ知らねば
 
父母ちちはは尊べ 妻や子を 可愛かわいがるのは 当たり前 鬱陶うっとしけども 世の定め》
穿沓うげぐつを る如く きて 行くちふ人は 
石木いはきより し人か が名らさね

《ボロぐつるよに 世を捨てる 人のすること 違うやろ 何処どこ何奴どいつや こらお前》
あめへ行かば がまにまに つちならば 大君おほきみいます 
この照らす 日月のしたは あまくもの むかきはみ 谷蟆たにぐくの さ渡るきはみ 
きこす 国のまほらぞ かにかくに しきまにまに しかにはあらじか

《一人よがりの ひじりみち 行きたいんなら 勝手にせ この世の中で 住み続け  
天道てんとさんに 気に入られ 人の踏む道 望むなら 気まま勝手に するやない》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇〇〕 
ひきかたの あまは遠し なほなほに 家に帰りて なりまさに
ひじり道 遥かに遠い あきらめて さっさと帰って 仕事に励め》                          ―山上憶良―〔巻五・八〇一〕 

うりめば 子ども思ほゆ くりめば ましてしのはゆ 何処いづくより きたりしものそ 
眼交まなかひに もとなかかりて 安眠やすいさぬ

《瓜を食うたら 思い出す 栗を食うても なおそうや  どこから来たんか この子供  目ぇつぶっても 顔浮かぶ  ゆっくり寝られん 気になって》
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇二〕 
しろかねも くがねも玉も 何せむに まされる宝 子にかめやも
《金銀も 宝の玉も そんなもん なんぼのもんじゃ 子供が一番》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八〇三〕 




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