本の迷宮

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スローターハウス5 (カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤典夫・訳)

2007-05-18 08:57:27 | 小説
(1978年発行)


<裏表紙のあらすじより>
時の流れの呪縛から解き放たれたビリー・ピルグリムは、自分の生涯を未来から過去へと遡る、奇妙な時間旅行者になっていた。
大富豪の娘との幸福な結婚生活を送り……異星人に誘拐されてトラルファマドール星の動物園に収容され……やがては第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり、連合軍によるドレスデン無差別攻撃をうけるビリー。
時間の迷路の果てに彼が見たものは何か?
現代アメリカ文学の旗手が描く不条理世界の俯瞰図



この作品は彼の戦時中の体験にもとづいた半自伝的小説だと聞いていたので、
そのつもりで読み始めたのだが、最初は一体どんな話なのか上手くつかめなかったのです。



実は私は本を読む時に奇妙な癖がある。
最初の部分を読んで、ラストを読んで中間部分を読んで、また最初の部分の続きを読んで・・・という風にバラバラな順序で読むのだ。
そんな読み方して、よくわかるもんだ、と呆れる人もいるが、何故か最初から順番通りに読むのはガマンできないのです。一瞬のうちに全てのストーリーを知りたいんですよね。(笑)
・・・で、この本もいつもの調子でバラバラで読み始めたのだけど、ストーリー展開がイマイチよくわからない。
当たり前である。
この作品は、時間の経過を順番に書いているのではなく、バラバラに分断させていたのだ。
要するに、いつもの私が読んでいる方法と同じように書いてたのです。



なるほど、そうだったんだと納得したのだけど、その後素直に順序よく読めばいいものをやはり、バラバラに読んでいったんだけどね。(笑)



<戦時中の体験にもとづいた半自伝的小説>なんだから、普通に事実をありのままに書けばいいようなものなのに、この作者はそういうことをしない。
何故なんだろう?と思ってたら訳者が、それに対する答えのようなものをあとがきで書いていた。
非常に納得のいく説明だったので、ここに少し抜粋してみる。

ヴォネガットはメイン・テーマをストレートにうちだすような能のないことはしていない。
というより、それを正面きって書こうにも言葉がないのだ。
彼が戦時ちゅう捕虜として体験したドレスデン爆撃は、個人の理性と感情では測ることもできないほど巨大な出来事なのである。
(中略)
しかし彼は作家として、この言葉に表すことの不可能な出来事を小説にせずにはいられなかった。
予備知識を何も与えられずに読まされたら、こんなにめんくらう小説もないだろう。
時間的経過にのっとった物語形式をわざと分断させた(読みづらくはないけれども)奇妙な構成、
事実とファンタジイの渾融、空飛ぶ円盤、時間旅行といったSF的趣向、ほとんど無性格に描かれた登場人物たち・・・しかしヴォネガットには、このようなかたちでしか自分の体験を語る方法はなかったのだ。



恥ずかしながらわたしは<ドレスデン無差別爆撃>というものを知らなかった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ドレスデン爆撃(ドレスデンばくげき、独:Luftangriffe auf Dresden、英:Bombing of Dresden)とは
、第二次世界大戦において米軍と英軍によって1945年2月13日から14日にかけて、ドイツの都市ドレスデ
ンに対して行われた無差別爆撃を指す。この爆撃でドレスデンの85%が破壊され、3万とも15万とも言われ
る一般市民が死亡した。第二次世界大戦中に行われた都市に対する空襲の中でも最大規模のものであった

ソ連軍の侵攻を空から手助けするという一応の名目はあったが、実際は戦略的に意味のない空襲であり、
国際法にも違反していたことから、ナチスの空襲を受けていたイギリス国内でも批判の声が起こったとい
う。



この作品の中では「広島をうわまわる規模」という表現が用いられている。
実際には死者数など、ドレスデンも広島も諸説あるようなので、一概には言えないが、とにかく物凄い惨状だったことは間違いない。



この作品中に出てくるトラルファマドール星人の物の捉え方が実にいい。

「わたしはトラルファマドール星人だ。
きみたちがロッキー山脈をながめるのと同じように、すべての時間を見ることができる。
すべての時間とは、すべての時間だ。
それは決して変ることはない。
予告や説明によって、いささかも動かされるものではない。
それはただあるのだ。
瞬間瞬間をとりだせば、きみたちにもわれわれが、先にいったように琥珀のなかの虫でしかないことがわかるだろう」



「今日は平和だ。
ほかの日には、きみが見たり読んだりした戦争に負けないくらいおそろしい戦争がある。
それをどうあ、われわれにはできない。
ただ見ないようにするだけだ。
無視するのだ。
楽しい瞬間をながめながら、われわれは永遠をついやす・・・ちょうど今日のこの動物園のように。
これをすてきな瞬間だと思わないかね?」
「思います」
「それだけは、努力すれば地球人にもできるようになるかもしれない。
いやな時は無視し、楽しい時に心を集中するのだ」



すべての時間を見ることが出来るというこのトラルファマドール星人は主人公に
「哀しい時は無視して、楽しい時のみをながめる」
と語る。



ドレスデン爆撃を経験した作者は、そういう風にすることでしか哀しみを乗り越えることが出来なかったのかもしれない。
私は、ごく普通の人生しか経験したことはないが、それでも、フト思うことがある。
「あの時、あの場所にいる私は永遠にあの時空間では幸せな気持ちでいるんだろうな・・・」
とか、或いは「あの時空間にいる私はその瞬間では永遠に哀しい気持ちでいるんだよな~」
とか・・・。
悲しんでいる過去の自分を慰めに行く事は出来ないが、
トラルファマドール星人の言う通り、
そういうものは無視して楽しい瞬間瞬間だけを見て生きるっていうのがいいのかもしれない。



この作品中で何度も何度も繰り返し使われる言葉、

「そういうものだ」



この短い言葉の中に含まれる深い深い想いが読むものの胸に迫ってくる。




主人公ビリーが新聞社に投書するために書いた文章を一部抜粋してみる。
物語の最初の方に出てくる文章だったので、
一番最初に読んだ時にはわかったような、わからないような・・・という感じだったのだが、
二回目に読むと実によくわかった。この部分が一番作者が言いたかったことなのかもしれない。

わたしがトラルファマドール星人から学んだもっとも重要なことは、
人が死ぬとき、その人は死んだように見えるにすぎない、ということである。
過去では、その人はまだ生きているのだから、葬儀の場で泣くのは愚かしいことだ。
あらゆる瞬間は、過去、現在、未来を問わず、常に存在してきたのだし、常に存在しつづけるのである。
(中略)
トラルファマドール星人は死体を見て、こう考えるだけである。
死んだものは、この特定の瞬間には好ましからぬ状態にあるが、ほかの多くの瞬間には、良好な状態にあるのだ。
いまでは、わたし自身、だれかが死んだという話を聞くと、ただ肩をすくめ、
トラルファマドール星人が死人についていう言葉をつぶやくだけである。
彼らはこういう、”そういうものだ”。



先日、作者のカート・ヴォネガットは亡くなられたが、過去ではまだ生きている。
だから、私もこうつぶやかせていただこう。
”そういうものだ”


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2 コメント

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はじめまして (くま)
2007-08-22 15:56:55
はじめまして、くまといいます。
今迄読んだことがない面白そうな本や漫画、読んだことがあって大好きな漫画、がとても分かりやすく面白く紹介されているのを拝見して、思わずコメント入れさせて頂きました。

今少しづつ過去の記事を読ませて頂いてたんですが、途中一番興味が湧いたのが、この小説です。

と言いますのも、読んだことがなかったんですが、トラルファマドール星人の物の捉え方のお話に、私もちとさんと同じような「その時その時の一瞬は永遠なんだろうな~」って感覚を、最近別な本を読んで、思い出してたところでしたので…。
もしかして生き物は死ぬと、こういうトラルファマドール星人のいるような場所に、一旦帰っていくのかな~などと思えたりもしてまして。

興味深い本を教えて頂いてありがとうございます。
またお邪魔させてください。 
返信する
はじめまして♪ (ちと)
2007-08-22 20:45:18
コメントありがとうございます。

獣木野生とか、今市子とか、浦沢直樹とか、山岸涼子とか・・・くまさんと結構趣味が近いようでとっても嬉しいです!

またゆっくりとそちらへ伺いますので、これからも宜しくお願いします。
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