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本の迷宮

漫画感想ブログです。「漫画ゆめばなし」(YAHOO!ブログ)の中の本の感想部分だけを一部ピックアップしています。

子供の国 (水木しげる)

2007-01-18 09:28:59 | 漫画家(ま行)
「異界への旅4」にこの作品が載っている。
この本は呉智英が<水木しげる作品集>として作品を選んだもの。


時は戦国時代。
孤児になった子どもたちが、
自分たちの幸福は自分たちで作らなければならないと考えて自ら「こどもの国」を作り生活を始める。
しかし、自分のことしか考えない大統領<ニキビ>
平民の<三太>はクーデターを起こし政権をとる。
その後、こしまきデザイナー<カルダン>(この役はねずみ男)が「くさった政治」を提案し、
再び<ニキビ>が大統領に返り咲く・・・。
ところが、・・・


「子供の国」っていうタイトルだが、これは勿論現実の大人の国を風刺した作品。
「子供の・・・」と、したのは、そもそも大人たちがやってることって子供のケンカと同じレベルだっていう意味もあるのかもしれない。



これをガロに掲載した頃、ちょうど白土三平の「カムイ伝」もガロに連載されていたようだ。


「異界への旅」の2巻で呉智英氏との巻末対談が載っている。

呉:でも、その怒りが水木さんは風刺の方に向かいましたが、白土三平さんのように直截的に表現する人もいます。
水木:農民一揆とかね。
あれも怒りです。
しかし、水木先生はね、集団ということがキライなんだな。
集団はツマラン。
ひとりでやろう、ひとりで自由にやれることが好き。
(中略)
呉:そのあたりが白土三平さんとのちがいですかね。
水木:「みんなで」というのが自分の性に合わんのです
「みんなに共通」のものを作らなきゃならんっていうのが、どうもねぇ。


「カムイ伝」と「子供の国」を読み比べるのも面白そうだ。


水木さんの、飄々としたとぼけた味わいのある風刺漫画、
呉智英氏の言葉を借りれば
「明るいニヒリズム」
は水木さんの生き方そのものなのかもしれない。


となりの島 (水木しげる)

2007-01-17 08:51:11 | 漫画家(ま行)
「異界への旅2」にこの作品が載っている。
この本は呉智英が<水木しげる作品集>として作品を選んだもの。


南海に浮かぶ島がふたつ。
ひとつは無人島だったのだが、ある日そこに日本人一家がやってくる。
彼らは「ナントカ商事 南方支店」の看板を立てる。
となりの島に住んでいる人たちがそれを見て、
隣人を招いて仲良くしようと言ってるのだと思って訊ねていくが、
日本人一家は彼らに文明の利器を高く売りつけようとする。
しかし彼らはそういうものは必要ないと言って欲しがらない。

日本人たちは、どんどん高いビルを建てて島は南方の商業基地として発達する。

隣の島の人たちは思う。
「むこうの島のやつらよく働くね」
「働けば働くほど不幸になるらしいや」
「やたらに働く”病人”たちだ」
「おかしいんじゃないか
占いばあさんでも呼んで悪霊を払ってもらえ」

しかし日本人たちは”忙しいのが美徳”だと言って彼らの言葉に耳を傾けない。

・・・で、結局

ある日、島は大きな音をたててくずれ・・・・・・
そしてもとの静かな無人島にもどった・・・・・・

島の住民たちは思う。

「そうぞうしい人達だったなあ・・・・・・」



実にわかりやすい風刺漫画である。
日本人と島の人たちの対比が面白い。


この本に載っている版のフキダシの中をよく見ると
「原住民」という言葉を使っているフキダシの中の文字だけが他のフキダシの中の文字とちょっと違う。
たぶん、最初は「土人」という言葉を使ってたのだろう。


水木さんが「土人」という言葉を使う時は彼らに尊敬の意味を込めて言ってるのだが、
出版する場合”差別用語”として変更されたんだろうな~。


”差別用語”っていうものは実に難しい問題だと思う。
同じ言葉を使っても、差別の心があって使ってるのか
それとも尊敬の心で使ってるのかわからないから、
仕方ないのかな・・・?


テレビくん (水木しげる)

2007-01-16 10:49:36 | 漫画家(ま行)
この「異界への旅」という本は呉智英が<水木しげる作品集>として作品を選んだもの。
「異界への旅」という作品があるわけではない。


この作品集の中に「テレビくん」が収録されている。


「テレビくん」は水木しげるが初めて大手出版社に描いた作品である。

タイトルは「テレビくん」だが、主人公ではない。
主人公は、三太という貧しい少年。
テレビくんは、テレビの中に自由に入ってテレビに映っているものを取ってくることが出来るという不思議な能力を持っている。

三太の学校に転校してきたテレビくんの秘密を三太が知るが、三太にプレゼントをしてテレビくんは去っていく・・・という話。


特別、ドキドキハラハラするようなものでもない。
絵柄も少年漫画にしては、格好いいわけでもなく、どちらかというと違和感さえある。
ラスト、三太は相変わらず貧しいままだし、テレビに入れる能力を得るわけでもない。
それでも何だか妙に心に残る作品。。。


この作品が発表されたのは1965年。
ほとんどの家庭にテレビがある時代だ。


今の子どもはテレビの中に入りたい・・・入れないかな~?という幻想を抱くことがあるのだろうか?
小さいときは誰でも一度は思う願望?
ま~、今時の子はどう考えるのかちょっとわからないが、
1965年当時は、「テレビくん」のようにテレビの中に入ってCMの新発売のお菓子を食べることが出来たらな~~~!って考えてた子どもが絶対にいたと思うのだ。


テレビの中で食事をして、テレビの中の品物も自由に持ち出せて、テレビの中で昼寝する!!


まるで夢のような話ではないか!!!(漫画の話だけどね・・・笑)


そう考えると、この一見地味な作品が急に輝きを増してくるように思えるのだ。


・・・で、ちょっと蛇足だが、
テレビくんが三太にあげたプレゼント。
普通ならおもちゃ関係を思うだろう。
何だと思う?
なんと「オーバーと下着」なのだ!!
オーバーは、まだいいとして、「下着」だよ「下着」!!
実に実用的で必需品!!


この作品を描くまで、水木しげるは貧乏だったらしい。
当時の水木しげるが一番欲しかったのは下着だったのかな~~~??


ねずみ男の冒険 (水木しげる)

2007-01-15 09:22:58 | 漫画家(ま行)
(1964~5年 70年代 ガロ等に掲載・・・)


裏表紙の説明文より

現実的で、計算高くて、小ずるくて・・・・・・しかしその個性で人々に愛され続けてきた”ねずみ男”が、
江戸時代、戦国時代、そして現代へととびまわり、人間たちの虚栄とおろかさを照らし出す。
ねずみ男を狂言まわしに、人間世界の不条理を笑いとばす、水木しげるの風刺まんが傑作集。


”風刺まんが”というのは、風刺が効いてなければつまらない。
かといって、内容が面白くなくても勿論つまらない。
水木しげるの風刺まんがは面白い上に風刺が効いている。


風刺まんがにはねずみ男のキャラが非常にマッチしている。


ある時は”怪しげな仙人”、ある時は”こしまきデザイナー”、またまたある時は”新興宗教の教祖様”・・・。
そして彼は、善人を騙し、誑かす。



どの話もなかなか良いのだが、なかでも「勲章」が好きだ。


天女の羽衣を盗んで空を飛ぶねずみ男。
空を飛ぶねずみ男を見て簡単に勲章を与える太政大臣。
勲章を貰った途端ちやほやする女たち。


その様子をずっと冷静に見ている”芋を食ってる子”
彼は羽衣を天女に返してやる。
しかし、ねずみ男の薄汚れた<皮衣>でも<勲章>をつけた途端、
誰もが素晴らしいものだと信じて疑おうとはしない。

ねずみ男「バカタレ!勲章をもっている人間がウソをつくものか」
群集「そうだ」
「それに彼は名士だ」

真実を語った少年は群集に殴り倒される。

少年は呟く。
「勲章だとか名士だとかなんだか
肩書きさえついてれば世間のやつは
中味も調べないで信用しちゃうんだからたまんないよ
ホント」


水木しげるの”世間”を見つめる冷静な目がいい。


戦中、戦後を生きてきた作者の目に映ってきた”世間”というものを
ピリッと辛く風刺していく様は実に愉快だ。


劇画ヒットラー (水木しげる)

2007-01-14 09:44:23 | 漫画家(ま行)
(週刊漫画サンデー 昭和46年<1971年>5月15日号~8月28日号)


<裏表紙の説明文より>
画家への夢が破れた、ハニカミヤで誇大妄想狂の青年は、働く気力をなくし、浮浪者収容所で日々を送っていた。
はた目には人生の落伍者にみえた青年アドルフ・ヒットラーが、ドイツ民衆を熱狂させ世界制覇の野望にもえる独裁者となったのはなぜなのか、
いったいヒットラーとはどんな人間だったのか。
骨太な筆致で描く伝記漫画。


水木しげるは<妖怪漫画家>のイメージが強いが結構幅広いジャンルの漫画を描いている。
この作品には当然、妖怪は出てこない。・・・いや、ヒットラーが妖怪だと解釈すればこれも<妖怪漫画>と言えるかもしれないが・・・(笑)


水木しげるのイメージする<ヒットラー>!
それが真実のヒットラー像をどこまで表現しているのかは、
<真実のヒットラー像>を知らない私には何とも言えないのだが、
<ハニカミヤで誇大妄想狂の青年>が彼の中にある<狂気>とともに
全世界を彼の頭の中にのみ存在していた<誇大妄想の世界>に変貌させていく様は
読むものをぐいぐいと引きずり込んでいく迫力がある。


あくまでも淡々と抑えた筆致で描いていく<ヒットラーの狂気の世界>
精密に描かれた背景。
水木しげる風にデフォルメされてはいるが本人以上に本人に似ている人物。
特に、ヒットラーは時が経つにつれてどんどん顔つきが変わってくる・・・その表現の素晴らしさ!!


しかし・・・ヒットラーってちょっとねずみ男に似てるのよね。
ヒットラーもやっぱりある意味<妖怪>だったのかな~~?


栞と紙魚子と夜の魚 (諸星大二郎)

2006-12-23 11:09:13 | 漫画家(ま行)
(平成13年発行)

この本の最終ページにある宣伝文より

奇々怪々な人々が棲息し、
摩訶不思議な事件が頻発する
胃の頭町を舞台に、
女子高生コンビの
栞と紙魚子が大活躍!!

読めば病み付き!!
諸星大二郎の異色の
『栞と紙魚子』
既刊好評発売中!!


本当にこのシリーズを読むと病みつきになりそうである。
ユニークな登場人物たち(人間ではないものもいるけどね)、
独特の世界観。
これを読むと、この話の舞台である「胃の頭町」に行きたくなる!!
どこに行けば、「胃の頭町」はあるのだろう?



今回の話の中で一番気に入ったのは
「古本地獄屋敷」
それはどういう屋敷なのかと言うと・・・

古本屋の所に処分したい本があるから取りに来てくれという電話があって
古本屋のオヤジがはりきって飛んで行くと、
ほとんど価値のない古本で埋まった家があってオヤジが逃げ帰って来る・・・
或いはその家に入って行ってそのまま行方不明になってしまう・・・。
という不思議な屋敷。

とても広くて右を見ても本
左を見ても本・・・
まるで迷路のような屋敷で、そこには本をさがして12年なんていう男や
20年ずっと目的の本を引き抜くために別の本を読み続けている男たちがうろついているのだ!!

そして、<本雪崩>なんていうものも起きてしまうという物凄い屋敷なのだ!!


抜け出る事が出来なくなるかもしれないけれど、
行ってみたいと思った「古本マニア」は絶対いる筈だ!!
実は私もちょっと行ってみたい・・・と思ってしまった。(笑)



栞と紙魚子 殺戮詩集  (諸星大二郎 )

2006-12-21 09:49:00 | 漫画家(ま行)
(ネムキ 1998年~1999年掲載)

栞と紙魚子シリーズ3冊目。


相変わらず奇々怪々な人々が当たり前のように棲息している胃の頭町。


「頸山の怪病院」では、生首、ビン詰め臓器、旧帝国軍人の幽霊、毒ガス、細菌兵器の研究・・・
お決まりのアイテム?が出てくる、出てくる・・・。(笑)


「殺戮詩集」で初登場した女流詩人の<菱田きとら>
その後も良く出てくるのだが最初から彼女の異様なパワーは凄い!!
こんな人にストーカーされると・・・怖いよね~~~~。


しかし・・・この作品では良く食べてるけど・・・ムルムルって、美味しいのかな~~~?
私はあんまり食べたくないんだけど~~。(笑)



栞と紙魚子の生首事件 (諸星大二郎)

2006-12-20 23:28:20 | 漫画家(ま行)
(ネムキ 1995年 VOL.23~28)


この作品は諸星大二郎、初の少女漫画なのだそうだ。
とはいえ、少年漫画とどこが違うのかと言っても主人公が<女子高生>というだけで、いつもの諸星カラーは全く同じである。


どの話も面白いのだがこの本の中では、表題となっている「生首事件」が一番好きだ。


主人公のひとり栞が偶然公園で見つけた生首を家に持って帰ってくる・・・。

「最初ぎょっとしたけど
こりゃすごい物みつけたと思って
思わず持ってきちゃったの・・・」

友人の紙魚子に語る栞だが・・・普通、そんなもの持って帰るか~~~!?(笑)


・・・で、結局
「生首の正しい飼い方」という本を参考にその生首を飼うのだが・・・
最終的には結局手放すことにする。


栞は紙魚子に言う。

「ほら 押入れの中で生首を飼うなんて
おたくっぽくて暗いじゃない」



ヲイヲイ、そ~ゆ~問題じゃないし・・・
そういう会話って普通は女子高生の会話じゃないと思うぞ~!


その夜、二人は川に生首(竜之介と紙魚子が名づけた)を捨てるが、バラバラ殺人事件の犯人は一体どこにいるのだろうか~??
「いまだに頭部がみつからず<未解決>のままです。」
・・・って、それでいいの~~!?(笑)


う~~~ん!!
かなりシュ~ルなストーリーである。
不思議な不思議な<諸星ワールド>だ。

とにかく、栞と紙魚子のコンビが実にいい!
そして、彼女たちが遭遇する奇妙な人たちも実に面白い!!
シリーズ作品として長続きするわけだ。



栞と紙魚子と青い馬 (諸星大二郎)

2006-12-20 13:20:10 | 漫画家(ま行)
「好奇心旺盛で怖いもの知らずの栞と博学で理屈っぽい紙魚子。
女子高生コンビが遭遇した奇妙な人達、不思議な事件。」…と、本の帯に書いていた。(笑)が、全くその通り。
よくこの作品を言い表している。

何か私のイメージとして、この作者が女子高生を主人公にするなんて、ちょっと意外な気がしたのだが、読んでみると、いつもの諸星ワールド。
しかも、かなりとっつき易い。「絵」だけ見て、趣味じゃないからと、敬遠している人がいれば、お勧めしたい作品だ。
きっと気に入るに違いない。…と、勝手に思っている私です。(笑)

胃の頭町に行ってみたい…けど、ちょっと怖いかな?


グリムのような物語 トゥルーデおばさん  (諸星大二郎)

2006-12-19 09:44:08 | 漫画家(ま行)
(ネムキ 2002年~2005年掲載)

グリム童話は結構、残酷なものが多いので有名だ。

そういうグリム童話をモチーフに諸星大二郎が描いた作品なんだから、
<ブラックメルヘン>になっているのは当然だ。



この本に収録されている8編の中では私は「ラプンツェル」が気に入っている。


諸星流にアレンジされた「ラプンツェル」は、所謂<ひきこもり少女>のお話だ。


確かに塔の中にいるラプンツェルはひきこもり状態と言える。


この作品世界での主人公”ちさと”の精神世界が塔の中なのだ。
ラストで、長い髪を自ら切り、塔の外に出て行く”ちさと”。
こういう希望の持てるラストがいい。



グリムとか日本の昔話とかには、結構残酷な話が多い。
しかし、子供向けには残酷なシーンは削られていたりすることが多い。


現実ではお話以上に残酷な事が行われていたりする。
子供の頃に残酷な話を読んだからそうなったのか?
それとも残酷な話を読んだことがなかったから、
これをこうしたらこうなる・・・という<想像力>が欠如した結果なのか?


果たして、どちらなんだろうか????


妖怪ハンター 魔障ヶ岳 (諸星大二郎)

2006-12-14 07:53:20 | 漫画家(ま行)
(2003年~2005年 小説現代「メフィスト」掲載)

帯に書いている言葉より

魔障ヶ岳の山中にあるという古代の祭祀遺跡「天狗の秘所」を調査に訪れた稗田礼二郎らが出会ったものとは……?
以降、調査に同行していた学者や山伏の身辺に異変が次々と起こる。
”御神宝”「天狗の宝器」とはなんなのか?
妖怪ハンター稗田礼二郎がすべての謎を明らかにする!


不思議な女が、魔障ヶ岳の山中にある洞窟の中にいる何かに「名をつけろ」と言う。
一人は”魔”、一人は”神”、もう一人は”人間”の名をつける。


稗田礼二郎だけはその”モノ”に名をつけなかった。


稗田礼二郎は語る。

「そもそも言葉が生まれて初めて
世界は世界としての姿を持ち始めたのだ
鬼も神も魔も
人間が名付けることによって生まれた
それ以前はただのモノだ」



名前を付けるという行為(或いは本当の名前を知られてしまう事)が、非常に重要だということを描いた作品は多い。



「イティハーサ」(水樹和佳)・「陰陽師」(夢枕獏)・「モンスター」(浦沢直樹)・「千と千尋の神隠し」等など…
ちょっと考えただけで色々と思い浮かぶ。
そういえば「ゲド戦記」も真の名を知られるとそのものに支配されるという設定だった。



そもそも<真の名>というのは一体何を指すのだろうか?
戸籍に載っている名前?
それだと、「ゲド戦記」のように支配するのだったら
例えば親が付けたのなら親が子供を支配することになるのだろうか?
自分自身が自分で付けた名前ならば、自分を支配出来るのは自分だけ、ということになるのだろうか?

まあ、何にしろ<名前>というものは非常に重要なものであることは間違いない。


もし、魔障ヶ岳の山中にある洞窟の中にいる何かに「名をつけろ」と言われたら、どうしようか?
名前をつけないのが一番いいのはわかっているけど・・・つい、何かを考えて名をつけてしまいそうな気がする・・・。


アダムの肋骨  (諸星大二郎)

2006-12-13 09:18:51 | 漫画家(ま行)
SFマンガ界の鬼才・諸星大二郎が描くSF・怪奇傑作短編集!!

短編が8編入っているのだが、妙に記憶に残ってるのが

「男たちの風景」(1977年の作品)である。

今回久し振りに読み返してみて結構細部まで覚えていたことに自分でちょっと驚いた。

ある惑星にやって来た地球の男の話なのだが、
そこでは
「美しく浮気好きな女たち」
「醜くひからびたその夫たち」
「びっくりするほど美しい若者たち(男)」
・・・が、いる。

美しい若者たちは
結婚して一年もたつころには
皮膚はたるみしわはふえ・・・
五 六年で腰はまがる
肌の色は黄色っぽくなる・・・
おまけに性格もしつこく
疑い深くなってまるで別人になる
特に子どもなんか
出来るともうだめだね

・・・という感じになるのだ。

そう、「男」と「女」を入れ替えてちょっとオーバーにすると今の地球の人間と同じようなものなのだ。

若い頃この話を読んで何となく「イヤだな~~でも、その通りかも?」
・・・と思った。

それから20年以上経ち・・・
結婚して子どももいる自分・・・確かに若さは無くなったよな~~~・・・
性格も変わった???
えぇ~~~~~~っ!!そんなぁ~~~~!!
イヤだなぁ~~~~~~!!

何か妙に頭の片隅に引っ掛かる作品なのだ・・・。(苦笑)

表題作の「アダムの肋骨」もまた
妙に頭の片隅に引っ掛かる作品である。

どの作品も人間の深層心理が味わい深く描き出されていて
また何年か後に読み返した時にどう感じるか非常に楽しみだ。

碁娘伝 (諸星大二郎)

2006-12-09 00:24:28 | 漫画家(ま行)
(2001年発行)

1985年~2001年に描かれたものを収録。

<帯に書かれた言葉より>
鬼才、諸星大二郎が放つ中国痛快活劇!!
唐の天宝の頃
碁娘(ごじょう)という
女ありと言う
碁を打つ美女の
妖怪と言い
客を翻弄する
花魁(おいらん)であるとも言い
清廉なる者を助くる
侠女とも言う
剣を振るい
剣を振るうが如く
碁を打つ
その技
神技に入るとも
人は言う



一言で言えば、碁を打つ美貌の女殺し屋の話。

「碁」の漫画と言うと「ヒカルの碁」が有名だけど、
これも「碁」の漫画。
残念ながら私には「碁」の知識がないのだが、
「碁」の知識がある人がこれを読んだら
より面白さを感じる事が出来るのだろうな~って思う。
知識がなくても十分面白い。


作者はあとがきでこう語っている。

このシリーズは、小難しい理屈やややこしいことは抜きにして、
痛快な娯楽活劇を目指したつもりです。
痛快になったかどうか分かりませんが、
こういうものも面白いと思ってもらえるようなら、
碁と剣を華麗に操る美女の物語、
機会があればまた描いてみたいものです。


十分、痛快だったから是非とも続きを読んでみたいな~~~!
諸星先生!続きを描いて下さいませ!お願いします!!


異界への旅1 (水木しげる)

2006-12-03 19:26:23 | 漫画家(ま行)
この「異界への旅」という本は呉智英が<水木しげる作品集>として作品を選んだもの。
「異界への旅」という作品があるわけではない。



この作品集の中に「テレビくん」が収録されている。


「テレビくん」は水木しげるが初めて大手出版社に描いた作品である。

タイトルは「テレビくん」だが、主人公ではない。
主人公は、三太という貧しい少年。
テレビくんは、テレビの中に自由に入ってテレビに映っているものを取ってくることが出来るという不思議な能力を持っている。

三太の学校に転校してきたテレビくんの秘密を三太が知るが、三太にプレゼントをしてテレビくんは去っていく・・・という話。



特別、ドキドキハラハラするようなものでもない。
絵柄も少年漫画にしては、格好いいわけでもなく、どちらかというと違和感さえある。
ラスト、三太は相変わらず貧しいままだし、テレビに入れる能力を得るわけでもない。
それでも何だか妙に心に残る作品。。。


この作品が発表されたのは1965年。
ほとんどの家庭にテレビがある時代だ。


今の子どもはテレビの中に入りたい・・・入れないかな~?という幻想を抱くことがあるのだろうか?
小さいときは誰でも一度は思う願望?
ま~、今時の子はどう考えるのかちょっとわからないが、
1965年当時は、「テレビくん」のようにテレビの中に入ってCMの新発売のお菓子を食べることが出来たらな~~~!って考えてた子どもが絶対にいたと思うのだ。


テレビの中で食事をして、テレビの中の品物も自由に持ち出せて、テレビの中で昼寝する!!


まるで夢のような話ではないか!!!(漫画の話だけどね・・・笑)


そう考えると、この一見地味な作品が急に輝きを増してくるように思えるのだ。



・・・で、ちょっと蛇足だが、
テレビくんが三太にあげたプレゼント。
普通ならおもちゃ関係を思うだろう。
何だと思う?
なんと「オーバーと下着」なのだ!!
オーバーは、まだいいとして、「下着」だよ「下着」!!
実に実用的で必需品!!

この作品を描くまで、水木しげるは貧乏だったらしい。
当時の水木サンが一番欲しかったのは下着だったのかな~~~??



カイロ団長・洞熊学校を卒業した三人 (ますむらひろし 原作:宮沢賢治)

2006-12-02 09:31:57 | 漫画家(ま行)
(コミックFantasy No.21~No.26掲載)

ますむらひろしは、2001年、第11回宮沢賢治学会イーハトーブ賞(一連の宮沢賢治作品の漫画化などの業績による)を受賞している。

「風の又三郎」「グスコーブドリの伝記」「銀河鉄道の夜」「雪渡り」「十力の金剛石」「猫の事務所」「どんぐりと山猫」など数多くの宮沢賢治の作品を漫画に描いてきた。

所謂、名作文学を漫画にするのは失敗例が多いが、これに関して言えば、数少ない成功例という事が出来るだろう。

宮沢賢治の良さを生かしつつ、ますむらひろしカラーを出して、
宮沢賢治の作品でありながら、ますむらひろしの作品にもなっている。
敢えて言うなら、宮沢賢治の作品の輝きをひときわ増しているような感さえするのだ。

どうして、それが可能だったのか?

原作に出来る限り忠実であろうとした姿勢が、それを可能せしめたように思うのだ。

「銀河鉄道の夜」で人間ではなくて、敢えて「猫」にした。
それは原作にちっとも忠実ではないかと言う人がいるかもしれない。
じゃあ、「銀河鉄道の夜」を原作版と漫画版を読み比べて欲しい。
全然、違ったものになっているだろうか?
そうはなっていないと思う。

それは何故か?

エッセンス、ハート、想い・・・が同じなのだ。だから、原作に忠実であり、かつまた自分自身の作品ならしめているのだ。



「カイロ団長」
実は私は大のカエル嫌いなのだ。。。
だから、これを読むのにはちょっと苦労した。
これは決してカエルではない、カエルではない・・・と自分自身に暗示をかけながら何とか読むことが出来た。(笑)



あとがきでますむらひろしは、こう語っている。

宮沢賢治の生涯を知れば知るほど、この作品の第一行目の言葉は深く響いてくる。
『あるとき、三十疋のあまがへるが、一緒に面白く仕事をやって居りました。』
ここに、賢治の「労働への夢」が込められている。
仕事というものは、他者と<一緒に>、そして<面白く>やりたいものだと、彼は夢見た。



この「労働への夢」は、今でもやっぱり<夢>だよね~。
いつ、夢でなくなるのだろう?実現する時が来るのだろうか???




「洞熊学校を卒業した三人」で登場する蜘蛛を描く為に、
ますむらひろしが多大な苦労をして突き止めようとした事があとがきに詳しく書かれている。
こういう姿勢が、彼の作品を素晴らしいものにしているのだろう。
かなり、グロい作品だし、カエルが出てくるので、非常に苦労したが、(笑)
良い作品であることは間違いない!