今も「カレチさん」と、言うのでしょうか。客扱い専務車掌のことを。
毎週木曜の帰宅時の楽しみは、JR大阪駅で週刊「モーニング」を買って車内で読むこと。きょうもいつも通り221系の中で、読んでいて飛び込んできたのが新連載の「カレチ」です。昭和40年代後半――乗客のために一生懸命になりすぎる新米車掌の物語。
第1話のタイトルは「業務連絡書」。主人公は大阪車掌区の荻野憲二で、舞台は大雪の中、大阪駅から青森に向かう485系特急「白鳥」。事情を抱えた若い女性が新潟の東三条で弥彦線のローカルに乗り換える。しかし、特急は25分遅れで運転しており、そのままでは弥彦線は接続待ちせずに発車してしまう。そこで、荻野が取った行動は……。
雪と戦うローカル線の運転士や助役の思い。そして、思いがけない助け舟と関西の鉄道マンの心意気――。とてもよいものを読むことができました。
昭和40年代後半ではありませんが、50年代前半の学生時代、私も白鳥号で京都から何度も青森へ向かいました。北海道へ渡るためで、深夜に青森に着くと青函連絡船が2便続行で出ました。そして午前4時台に函館を出るキハ82系の北斗と北海。山線回りと千歳回りの両方で札幌に行くことができました。この漫画を読んで、本当に本当になつかしい思い出がよみがえりました。
大阪-青森の白鳥がなくなった今、同じ国鉄色で運転される雷鳥のカレチさんの写真を。
2008-7-5 JR京都駅0番線で
Nikon D300,Sigma APO 150-500mm F5-6.3 DG OS HSM,150mm,ISO 800
1/160秒,f5,-0.3段,WB:晴天
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青森駅の桟橋、そして函館の接岸からホームまでの距離。連絡船が接岸するずいぶん前から、タラップ近くで走る準備しませんでしたか?
同じ思い出を共有される方に訪問し、コメントしていただいて、うれしいです。
仏暁に北海道上陸。山線廻り、海線廻りの特急たち。古き良き思い出です。
青函夜行便降りてから特急目指して走りました。