かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

寶塔偈(ほうとうげ)

2012-12-31 | 池上本門寺
寶塔偈

此經難持 しきょうなんじー   この経は持(たも)つこと難(かた)し
若暫持者 にゃくざんじーしゃー   若し暫(しば)らくも持(たも)つ者あらば
我即歡喜 がそくかんぎー   我れ、即ち歓喜せん
諸佛亦然 しょぶつやくねん   諸仏も亦、然かならん。

如是之人 にょぜしーにん   かくの如きの人は
諸佛所歎 しょぶつしょーたん   諸仏の歎(ほ)めたもう所なり
是則雄猛 ぜそくゆうみょう   これ則ち雄猛なり
是則精進 ぜそくしょうじん   これ則ち精進なり

是名持戒 ぜみょうじかい   これ戒を持ち 
行頭陀者 ぎょうづだーしゃー   頭陀(ずた)を行ずる者と名づく
則為疾得 そくいしっとく   則ち為(こ)れ、疾(と)く
無上佛道 むじょうぶつどう   無上の仏道を得たるなり。

能於来世 のうおーらいせー   能く来世において
讀持此經 どくじしきょう   この経を読み持(たも)たば
是眞佛子 ぜしんぶっしー   これ真(まこと)の仏子にして
住淳善地 じゅうじゅんぜんぢー   淳善の地に住するなり。

佛滅度後 ぶつめつどーごー   仏の滅度の後に
能解其義 のうげごーぎー   能くその義を解(げ)せば
是諸天人 ぜしょーてんにん   これ諸の天・人の
世間之眼 せけんしーげん   世間の眼(まなこ)なり。

於恐畏世 おくいーせー   恐畏(くい)の世において
能須臾説 のうしゅーゆーせつ   能く須臾(しゅゆ)も説かば
一切天人 いっさいてんにん   一切の天・人は
皆應供養 かいおーうくよう   皆、応(まさ)に供養すべし。


「此經難持坂」の説明。中・上級-お経の話になった場合。
見宝塔品 第十一 [塔の出現]の最終部の偈文。(詩)




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