自習・古文書入門。
7月4日は、旧暦で5月15日。戊辰役、上野のお山の戦いで彰義隊が敗走した日です。
当時の瓦版で、古文書学習を続けます。
瓦版 『焼失場所附』 [場]も[所]も、テキストの写しでは異体字で書かれています。
絵は、右側から左へ、官軍(東征軍)が三橋越えに彰義隊を砲撃しています。左手には上野・寛永寺の炎上している様子が大きく描かれています。
なお、原文は、ふり仮名なしです。
「焼失場所附」 釈文
頃ハ慶應四辰どし五月 頃ハ慶應四辰どし(年)五月
十五日 薩州樣 長州樣 十五日、薩州樣 長州樣
細川さ滿 奈べし滿樣 因州樣 細川さ滿(ま)(樣) 奈べし滿(鍋島)樣 因州樣
その外 官ぐん御人数 上野へ その外(ほか) 官ぐん(官軍)御人数 上野へ
御出張 朝六つ半時より 御出張、朝六つ半時より
彰義隊と合戦尓 相成 彰義隊と合戦尓(に) 相成(あいなり)
官軍可多尓て 午のと起 官軍可多(かた)(官軍方)尓(に)て 午(うま)のと起(刻)
黒門やぶる 多ゝ可ひハ 七つ時ニ 黒門やぶる(破る)、多ゝ可ひ(戦い)ハ 七つ時ニ
志づまる やけばしよハ 志(し)づまる(鎮まる)、やけばしよ(焼け場所)ハ
山下どふり やける くるま 山下どふり(通り) やける(焼ける)、くるま(車)
ざ可より 廣とくじまへ ざ可(坂)より 廣とくじ(廣徳寺)まへ(前)
さくら可と申 阿ぶらやの さくら可(か)と申す 阿ぶらや(油屋)の
さ起 木戸ニてとまる ま多 さ起(先)、木戸ニてと(止)まる、ま多(又)
少々者なれて 柳のい奈りの 少々者(は)なれて(離れて)、柳のい奈り(稲荷)の
ところ 少々也ける ま多一ト口ハ ところ(所) 少々也ける(焼ける)、ま多(又)一ト口ハ
廣小路東可ハ 木ぐや 廣小路東可゛ハ(東側) 木ぐや(木具屋)
尓て留る 上の丁御可ち 尓(に)て留る、上の丁(上野町)御可ち(御徒)
内 兩可ハやける ま多 内 兩可ハ(両側)やける(焼ける)、ま多(又)
西可゛ハのこら須やけ 西可゛ハ(西側)のこら須゛(ず)(残らず)やけ(焼け)、
天神下同朋丁 木戸 天神下同朋丁 木戸
ぎハニて ぎハ(際)ニて
やけ止る やけ(焼け)止る
それより それより
お春起やまち お春(す)起(き)やまち(御数寄屋町)
やける 仲丁通り やける(焼ける)、仲丁通り
片可ハ丁 錦袋 片可ハ丁(片側丁) 錦袋
えん となりニて えん(円)(錦袋円) となり(隣)ニて
止る 又一ト口ハ 谷中 止る、又一ト口ハ 谷中
善光寺坂より根づ 善光寺坂より根づ(根津)
総門までやける 御切 総門までやける(焼ける)、御切
手丁 山崎丁 少々やける 手丁 山崎丁 少々やける(焼ける)
また一ト口ハ坂本 また一ト口ハ坂本
壱丁め貳丁め 壱丁め(目)貳丁め(目)
木戸ぎハニて留る 木戸ぎハ(際)ニて留る
三丁め志゛しん者゛ん 三丁め(目)志゛しん者゛ん(自身番)
の そ者゛ 少々 の そ者゛ (側)少々
やける 谷中 やける(焼ける)、谷中
天王寺前 天王寺前
のこら須゛ のこら須゛(ず)(残らず)
やける やける(焼ける)、
後づめ 御可多めハ 後づめ(後詰) 御可多め(固め)ハ
谷中口へ 因州さ滿 谷中口へ 因州さ滿(様)
藤堂さ滿 御てあハせ 藤堂さ滿(様) 御てあハせ(御手合わせ)
これ阿る 上野御山内 これ阿(あ)る、上野御山内
山門より奥の可多 山門より、奥の可多(方)
多い者んやける 尤 多い者ん(大半)やける(焼ける) 尤
ねづへんも 所々 ねづ(根津)へん(邊)も 所々
やけ者゛ これある やけ者゛(焼け場)これある(有之)
この多びの この多び(此度)の
やけ者゛ これ やけ者゛(焼け場) これ
までと □(こと)ニ まで(是迄)と □(こと)(異)ニ
して ぜん して ぜん
多゛んミもんの 多゛んミもんの(前代未聞の)
ちんじゆへ ちんじ(椿事)ゆへ(故)
ゑんごくへの ゑんごく(遠国)への
書状の中へ 書状の中へ
ふうじ賜へバ ふう(封)じ賜へバ
阿りしさ滿 阿(あ)りしさ滿(さま)
其者゛ニ而ミる 其者゛(其の場)ニ而ミる(見る)
尓 おなじ 尓(に) おなじ(同じ)
頃は 慶應四辰年五月十五日
薩州様、長州様、細川様、鍋島様 因州様、その外 官軍 御人数 上野へ御出張
朝六つ半時より、彰義隊と合戦に相い成り、
官軍方にて午(うま)の刻、黒門破る、戦いは七つ時に鎮まる。
焼け場所は、山下通り焼ける 車坂より廣徳寺前、さくらかと申す油屋の先、
木戸にて止まる、
又、少々離れて、柳の稲荷の所、 少々焼ける、また一ト口は、廣小路東側、木具屋
にて留る
上野町、御徒内 、両側焼ける、又、西側、残らず焼け、天神下同朋丁 木戸際にて
焼け止る
それより、御数寄屋町、焼ける 仲丁通り、片側丁、錦袋円隣にて止る
又一ト口は、谷中 善光寺坂より根津総門まで焼ける。
御切手丁、 山崎丁、少々焼ける。
また一ト口は、坂本壱丁目、貳丁目、木戸際にて留る。三丁目、自身番の側、少々
焼ける。
谷中 天王寺前、残らず焼ける。
後詰め、お固めは、谷中口へ 因州様、藤堂様、御手合わせ、これある。
上野御山内 山門より、奥の方、大半焼ける。
尤 根津邊も、所々焼け場これある(有之)。
此の度の焼け場、これまでと異にして、ぜん多゛んミもん(前代未聞)の椿事ゆへ(故)、
ゑんごく(遠国)への書状の中へ封じ賜へば、有りしさま、其の場に見るに同じ。
注
〇因州様 鳥取藩(因幡国・伯耆国) 鳥取池田家(松平)
〇廣徳寺 禅寺(臨済宗大徳寺派) (練馬へ移転。旧地は現・台東区役所)
びっくり下谷の広徳寺 おそれ入谷の鬼子母神
7月4日は、旧暦で5月15日。戊辰役、上野のお山の戦いで彰義隊が敗走した日です。
当時の瓦版で、古文書学習を続けます。
瓦版 『焼失場所附』 [場]も[所]も、テキストの写しでは異体字で書かれています。
絵は、右側から左へ、官軍(東征軍)が三橋越えに彰義隊を砲撃しています。左手には上野・寛永寺の炎上している様子が大きく描かれています。
なお、原文は、ふり仮名なしです。
「焼失場所附」 釈文
頃ハ慶應四辰どし五月 頃ハ慶應四辰どし(年)五月
十五日 薩州樣 長州樣 十五日、薩州樣 長州樣
細川さ滿 奈べし滿樣 因州樣 細川さ滿(ま)(樣) 奈べし滿(鍋島)樣 因州樣
その外 官ぐん御人数 上野へ その外(ほか) 官ぐん(官軍)御人数 上野へ
御出張 朝六つ半時より 御出張、朝六つ半時より
彰義隊と合戦尓 相成 彰義隊と合戦尓(に) 相成(あいなり)
官軍可多尓て 午のと起 官軍可多(かた)(官軍方)尓(に)て 午(うま)のと起(刻)
黒門やぶる 多ゝ可ひハ 七つ時ニ 黒門やぶる(破る)、多ゝ可ひ(戦い)ハ 七つ時ニ
志づまる やけばしよハ 志(し)づまる(鎮まる)、やけばしよ(焼け場所)ハ
山下どふり やける くるま 山下どふり(通り) やける(焼ける)、くるま(車)
ざ可より 廣とくじまへ ざ可(坂)より 廣とくじ(廣徳寺)まへ(前)
さくら可と申 阿ぶらやの さくら可(か)と申す 阿ぶらや(油屋)の
さ起 木戸ニてとまる ま多 さ起(先)、木戸ニてと(止)まる、ま多(又)
少々者なれて 柳のい奈りの 少々者(は)なれて(離れて)、柳のい奈り(稲荷)の
ところ 少々也ける ま多一ト口ハ ところ(所) 少々也ける(焼ける)、ま多(又)一ト口ハ
廣小路東可ハ 木ぐや 廣小路東可゛ハ(東側) 木ぐや(木具屋)
尓て留る 上の丁御可ち 尓(に)て留る、上の丁(上野町)御可ち(御徒)
内 兩可ハやける ま多 内 兩可ハ(両側)やける(焼ける)、ま多(又)
西可゛ハのこら須やけ 西可゛ハ(西側)のこら須゛(ず)(残らず)やけ(焼け)、
天神下同朋丁 木戸 天神下同朋丁 木戸
ぎハニて ぎハ(際)ニて
やけ止る やけ(焼け)止る
それより それより
お春起やまち お春(す)起(き)やまち(御数寄屋町)
やける 仲丁通り やける(焼ける)、仲丁通り
片可ハ丁 錦袋 片可ハ丁(片側丁) 錦袋
えん となりニて えん(円)(錦袋円) となり(隣)ニて
止る 又一ト口ハ 谷中 止る、又一ト口ハ 谷中
善光寺坂より根づ 善光寺坂より根づ(根津)
総門までやける 御切 総門までやける(焼ける)、御切
手丁 山崎丁 少々やける 手丁 山崎丁 少々やける(焼ける)
また一ト口ハ坂本 また一ト口ハ坂本
壱丁め貳丁め 壱丁め(目)貳丁め(目)
木戸ぎハニて留る 木戸ぎハ(際)ニて留る
三丁め志゛しん者゛ん 三丁め(目)志゛しん者゛ん(自身番)
の そ者゛ 少々 の そ者゛ (側)少々
やける 谷中 やける(焼ける)、谷中
天王寺前 天王寺前
のこら須゛ のこら須゛(ず)(残らず)
やける やける(焼ける)、
後づめ 御可多めハ 後づめ(後詰) 御可多め(固め)ハ
谷中口へ 因州さ滿 谷中口へ 因州さ滿(様)
藤堂さ滿 御てあハせ 藤堂さ滿(様) 御てあハせ(御手合わせ)
これ阿る 上野御山内 これ阿(あ)る、上野御山内
山門より奥の可多 山門より、奥の可多(方)
多い者んやける 尤 多い者ん(大半)やける(焼ける) 尤
ねづへんも 所々 ねづ(根津)へん(邊)も 所々
やけ者゛ これある やけ者゛(焼け場)これある(有之)
この多びの この多び(此度)の
やけ者゛ これ やけ者゛(焼け場) これ
までと □(こと)ニ まで(是迄)と □(こと)(異)ニ
して ぜん して ぜん
多゛んミもんの 多゛んミもんの(前代未聞の)
ちんじゆへ ちんじ(椿事)ゆへ(故)
ゑんごくへの ゑんごく(遠国)への
書状の中へ 書状の中へ
ふうじ賜へバ ふう(封)じ賜へバ
阿りしさ滿 阿(あ)りしさ滿(さま)
其者゛ニ而ミる 其者゛(其の場)ニ而ミる(見る)
尓 おなじ 尓(に) おなじ(同じ)
頃は 慶應四辰年五月十五日
薩州様、長州様、細川様、鍋島様 因州様、その外 官軍 御人数 上野へ御出張
朝六つ半時より、彰義隊と合戦に相い成り、
官軍方にて午(うま)の刻、黒門破る、戦いは七つ時に鎮まる。
焼け場所は、山下通り焼ける 車坂より廣徳寺前、さくらかと申す油屋の先、
木戸にて止まる、
又、少々離れて、柳の稲荷の所、 少々焼ける、また一ト口は、廣小路東側、木具屋
にて留る
上野町、御徒内 、両側焼ける、又、西側、残らず焼け、天神下同朋丁 木戸際にて
焼け止る
それより、御数寄屋町、焼ける 仲丁通り、片側丁、錦袋円隣にて止る
又一ト口は、谷中 善光寺坂より根津総門まで焼ける。
御切手丁、 山崎丁、少々焼ける。
また一ト口は、坂本壱丁目、貳丁目、木戸際にて留る。三丁目、自身番の側、少々
焼ける。
谷中 天王寺前、残らず焼ける。
後詰め、お固めは、谷中口へ 因州様、藤堂様、御手合わせ、これある。
上野御山内 山門より、奥の方、大半焼ける。
尤 根津邊も、所々焼け場これある(有之)。
此の度の焼け場、これまでと異にして、ぜん多゛んミもん(前代未聞)の椿事ゆへ(故)、
ゑんごく(遠国)への書状の中へ封じ賜へば、有りしさま、其の場に見るに同じ。
注
〇因州様 鳥取藩(因幡国・伯耆国) 鳥取池田家(松平)
〇廣徳寺 禅寺(臨済宗大徳寺派) (練馬へ移転。旧地は現・台東区役所)
びっくり下谷の広徳寺 おそれ入谷の鬼子母神