
犬は自分の名前というのをどう意識してるんだろ。恐らくタロ=こっちに来い と タロ=(叱られる)かな。ところで命令する時、何度も同じ事を言うのは良くないと言われるが、言う事を聞かないとつい2度3度と言ってしまう。この2度3度が曲者だ。1度言った場合、2度言った場合と区別される事がある。
タロに餌をやった時、ヨシッと言ってもなかなか食べない時がある。声の調子もタロは気にしてるようだ。人間だったら大きな声でも小さな声でも変わらない。受け取る感情の差はあるが、食べていいよと言われれば食べる。でも犬だとそうもいかない。そしてとうとう食べないのかい?というのがヨシッと同じ意味になってしまった。ヨシッと何度言っても食べないのに食べないのかい?と言うと食べ始める。知らない人が聞いてるとなんだか人間の言葉を良く理解してる犬にみえるかもしれない。
難しい命令の1つが来いだ。だいたいこちらに呼ぶ時は叱る時が半分だ。だから呼ばれても怒られるから来なくなる。家出癖がついた時が特にそうだった。見つけた時に繁みの中にこそこそ逃げられるとたとえ相手が犬とはいえ怒り爆発。で、捕まえた時は当然「何処ほっつき歩ってるんだ!」と怒るわけだが、折角戻って来たのにこんなに怒られては溜まらん、ということで余計寄り付かなくなる。結局俺は絶え難きを耐え、家出をしてもヨシヨシと迎えることにした。そんな事を3年くらいしたところ最近になってようやく家出しなくなった。
躾の悪い犬は近所に居るけど、飼い主が「モモちゃん(実名)吼えちゃダメでしょ。」なんてやっている。叱る時にちゃん付けじゃぁ犬に舐められてるんだろうなぁ、と。躾の仕方もあるだろうけど、意思も正確に伝わってないんだと思う。動物にこちらの思いを伝えるのは難しい。だから最近はタロが理解してる意味に合わせるようかと思っている。これもデファクト・スタンダードって言うのかな?
タロに餌をやった時、ヨシッと言ってもなかなか食べない時がある。声の調子もタロは気にしてるようだ。人間だったら大きな声でも小さな声でも変わらない。受け取る感情の差はあるが、食べていいよと言われれば食べる。でも犬だとそうもいかない。そしてとうとう食べないのかい?というのがヨシッと同じ意味になってしまった。ヨシッと何度言っても食べないのに食べないのかい?と言うと食べ始める。知らない人が聞いてるとなんだか人間の言葉を良く理解してる犬にみえるかもしれない。
難しい命令の1つが来いだ。だいたいこちらに呼ぶ時は叱る時が半分だ。だから呼ばれても怒られるから来なくなる。家出癖がついた時が特にそうだった。見つけた時に繁みの中にこそこそ逃げられるとたとえ相手が犬とはいえ怒り爆発。で、捕まえた時は当然「何処ほっつき歩ってるんだ!」と怒るわけだが、折角戻って来たのにこんなに怒られては溜まらん、ということで余計寄り付かなくなる。結局俺は絶え難きを耐え、家出をしてもヨシヨシと迎えることにした。そんな事を3年くらいしたところ最近になってようやく家出しなくなった。
躾の悪い犬は近所に居るけど、飼い主が「モモちゃん(実名)吼えちゃダメでしょ。」なんてやっている。叱る時にちゃん付けじゃぁ犬に舐められてるんだろうなぁ、と。躾の仕方もあるだろうけど、意思も正確に伝わってないんだと思う。動物にこちらの思いを伝えるのは難しい。だから最近はタロが理解してる意味に合わせるようかと思っている。これもデファクト・スタンダードって言うのかな?