
キリスト教信者からよく聞く言葉である。そんな目に遭っても神は試練をと思うのが理解出来ない。こういうのにはその真意はなんてのがある。そうならば誤解されない文言にして欲しい。そもそも神は善人なのか。一神教のことは良く分からないけど多神教だと疫病神なんてのが居る。
足の親指が骨髄炎にならなければ分からなかったことが沢山ある。入院中は動くなって言われてたので退院したら身体はガタガタ。これは困ると身体の事を考えた。入院なんてのが無ければ身体がガタガタになることは無かった。だけど今頃はあちこち故障して、それを全て加齢のせいにしてたかも。そりゃ少しは考えるだろうけど徐々に悪くなった場合は考えるきっかけが無い。考えてる量も少ない。
5年という時間はかかったけどお陰で以前より良くなった部分はある。勿論加齢で衰えた部分もあるけどトータルでは±ゼロかややマイナスくらいかな。なので多少嫌なことがたま~にあった方が良いのかも。それを『神は試練を与えたもうた』と言うのかもしれない。でも挽回不能なことはヤダね。でも神は乗り越えられない試練は与えない説がある。本当かな、信じる者は救われる、か。でも相手が神でないと足を掬われることがある。
足の親指が骨髄炎にならなければ分からなかったことが沢山ある。入院中は動くなって言われてたので退院したら身体はガタガタ。これは困ると身体の事を考えた。入院なんてのが無ければ身体がガタガタになることは無かった。だけど今頃はあちこち故障して、それを全て加齢のせいにしてたかも。そりゃ少しは考えるだろうけど徐々に悪くなった場合は考えるきっかけが無い。考えてる量も少ない。
5年という時間はかかったけどお陰で以前より良くなった部分はある。勿論加齢で衰えた部分もあるけどトータルでは±ゼロかややマイナスくらいかな。なので多少嫌なことがたま~にあった方が良いのかも。それを『神は試練を与えたもうた』と言うのかもしれない。でも挽回不能なことはヤダね。でも神は乗り越えられない試練は与えない説がある。本当かな、信じる者は救われる、か。でも相手が神でないと足を掬われることがある。