卍崩しの高欄
修学旅行では法隆寺の記憶は少ないが、この格子だけは歴史などに極めて詳しい同級生のお陰で知ってたし、見た記憶も残っている。そんな事もあってうちの家の手摺の格子はこの卍崩しの高欄を真似て作ったもの。
なので今回本物を見にやってきた。でも格子の写真は思いのほか小さかったのでちょっとガッカリ。というか格子を見に来たのにクローズアップ写真を撮ってなかったのだ。
この格子の模様は五重塔の隣にある金堂も同じだ。寺によって格子は色々なのでそういうものかと尋ねるとそれは時代によるものだという。これは飛鳥時代の建物の特徴だそうだ。なので近くの建物でも平安の頃のは全く違う、というよりこっちはありきたりの組み方だ。
平安の頃に建築された建物の高欄@法隆寺
この格子を建築屋に説明するために書いてると卍崩しというよりは唐草模様の一種のように見えた、というよりラーメン丼の模様だ。なのでうちのベランダを見て中華街のようだとかラーメン屋のようだという口の悪い奴が必ず居るだろうと思ったら、見るなり言ったのが2人居た。
備忘録時代名 | 始まり(西暦) | 期間(年) |
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飛鳥 | 592 | 118 |
奈良 | 710 | 74 |
平安 | 784 | 408 |
鎌倉 | 1192 | 142 |