森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
カレンダー
2007年1月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |||
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | ||
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | ||
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | ||
28 | 29 | 30 | 31 | |||||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
澤地久枝 -憲法60年、考えて思慮を深め、人とつながる
『朝日新聞』(1・4)に澤地久枝さんの「明るい年にしていくために」という文章が掲載されている(以下に全文)。日本国憲法施行60周年の今年、澤地さんの「今年こそ」にかける思いがここに書かれているけれど、それは同時に、我われによびかけられているものだ。
「考えて思慮を深め、おのれ一人の思いからはじめて、おなじ思いの人とつながる発信。負けることのできない、あやうい政治の動きになお、希望をもちつづける熱源は、一人ひとりの心、決意にこそかかっている」。
いいえて妙だ。つまるところ、よく考え共同を広げる、ということだ。
今年は大事な選挙戦がひかえている。早速、小沢一郎が新年会のあいさつで、つぎのように語っている。
「今日も閣僚の不祥事が報じられている。国務大臣や税調会長が相次いで辞任し、3カ月間で安倍政権は末期的な症状を呈し始めている」と批判。辞任した本間正明・前政府税調会長や佐田玄一郎・前行革担当相の問題も含め追及を強める考えを示した。
小沢氏は、夏の参院選について「自民党にとっても民主党にとっても、本当に生きるか死ぬかの戦いだ。何としても野党で過半数を取り、政治転換の第一歩にしたい。それが代表としての最大の使命だ」と述べた。
== 以上、「朝日新聞」(1・1)から引用 ==
「末期的な症状を呈し」ているというのはまだしも、野党が多数をとるのを目標とすることには首をかしげたくなる。民主党がまず、護憲なのかそうでないのか、国民の前にはっきりさせなければならないだろう。参院選が憲法改定の是非を最大の争点とするのであれば、護憲派が多数を占める状況をつくり出すことが目標になる。だとすれば野党=護憲でない以上、小沢の言葉にただちに賛成することは、私はできない。
澤地さんが強調している、「考えて思慮を深め」るという点で別の視点からスラヴォイ・ジジェクがこう指摘している。「今こそ理論を」という小さな見出しの項から引用する(Z;ジジェク、R;対談者・岡崎玲子)。
R 新しい社会運動などに身を投じる衝動を、抑えなければならないと強調されているのはなぜですか。
Z もちろん私は左派ですから、提案しているのは、「即時に行動を起こさなければならない」という強迫観念に屈してはならないということです。理論に費やす時間はない、人が餓死しているのだから……といったものです。それを疑ってかかる理由は、これが支配的な資本主義イデオロギーの一部を構成するようになっているからでもあるのです。
R メディアによっても奨励されていますね。
Z それだけではありません。最近もビル・ゲイツが述べていました。「未だに人々が下痢や結核でなくなっているのにコンピュータがなんだというのだ」。彼らは、こうした言葉を繰り返しています。「我々が裕福な西側の社会に生きている間も、飢えて、不必要に死んでいく人がいることを忘れてはならない」。きっとこれは、イデオロギーに組み込まれているのでしょう。特に我慢できないのが、感情的な表現によって強迫に置き換える手法です。「私が一語一語を発する間にも、アフリカで十名の子供が死んでいるのを知っているか? 一文(ママ)につき一人の女性がレイプされている」。当然これは事実ですが、我々が間を置いて熟考することを防ぐのが真の機能です。一歩下がって、頭を使わなければなりません。
何でもよいから動かなければならないという衝動が支配的イデオロギーの一環を成しているのは、まさに犠牲となるのが、我々が距離をとって状況を把握し思考を働かせる時間であるためにほかなりません。……
「オーマイガッド、早く実行に移さなければ」という緊急事態の文化は、信用ならないのです。
(スラヴォイ・ジジェク『人権と国家』、集英社新書) == 引用おわり ==
ジジェクにまつまでもなく、憲法改定、核保有をめぐる議論のなかで我われは改憲派のこの種の主張を幾度となく耳にしてきた。そして、我われもまた、先を急ぐあまり事を即断する傾向にえてして直面する。澤地さんの主張は、そしてジジェクの指摘もまさに今、我われが熟考すること、そうしなければならないこと、その上で共同を広げることを教えている。
【関連エントリー】
澤地久枝または「満を持す」ということ
■blogランキングに仲間入り。あなたのクリックが励みになります。もっとガンバレの声を右記バナーのワンクリックで。⇒
――――――――――――――――――――――――
二人のすぐれた文学者の指摘を、この年頭にしっかり思い返したい。戦争体験世代が命をかけてつかみとった「真理」の意味を。
06年の秋以降、生活が苦しくなったという人たちが増えた。保険料があがり、医療費の自己負担は増え、年金の手とりは減って、この国が「富国強兵」ラインを行く結果が、生活をむしばみはじめている。
昭和前期の、戦争前夜の世相と似ていますか、という質問は多い。人々が口をつぐみ、世のなりゆきをうかがって腰を引く、その点では、まったくよく似た世の中がまたしても姿をあらわした。
この国には今も「お上」に対する脅えが生きているのか。ことなかれでゆくことこそ、安全コースという守りの姿勢はなぜなのか。
このままでは、歴史はくりかえされる。教育基本法をゆがめ、自衛隊法を変えて公然たる軍隊にし、戦争できる方向が選択された。そこに主権者である国民の意志はどれだけ反映されているのか? 主権在民をマンガにする政治がまかり通ったのだ。
戦死者ゼロ、福祉国家を目ざした現憲法下の実績の否認がはじまろうとしている。さらにこの反動的選択は、同盟国アメリカの要望への答えであること。つまりは主人持ちの政治であること。命をさしだすだけでなく、アメリカの膨大な軍事費への助っ人の一面をもつことをかくさない。
大国の誇りにこだわりながら、この国の政治家たちは、従属の現実を無視する。そのアメリカは、イラク侵略の泥沼にあえぎ、まさにもてあましている。小泉前首相はイラク出兵を速断しながら、責任をとらずに退陣、安倍内閣はその政治路線の具体化に忙しい。
国内の民情悪化とその疲弊は避けがたくなった。選挙で議席を失えば、政治家はタダの人。確実に政治は変わる。政治のあまりの悪さ、露骨さに、危機感をもつ市民が全国に生まれた。もうこれ以上の逆コースは認めない。悪法は押し返し、憲法本来の国にもどろうという市民の意思。悪政はおとなしい市民たちを揺さぶり、無視できない運動を拡大しつつある。希望のタネ、希望の灯は、市民運動によって守られる。
市民は自衛する。武器なきたたかいだ。考えて思慮を深め、おのれ一人の思いからはじめて、おなじ思いの人とつながる発信。負けることのできない、あやうい政治の動きになお、希望をもちつづける熱源は、一人ひとりの心、決意にこそかかっている。「憲法を泣かせるな」を、施行60年目にあたる今年の合言葉にしよう。
歴史の犠牲となった死者たちを生かす道は、私たちの掌中にある。いかに状況が錯綜し、本質をかくしても、二人の文学者の言葉は、本質を見抜く鍵、真理として私たちを支えている。
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
井筒和幸 -右回りの蚊取り線香みたいに最後までいってしまう
井筒さんは、憲法改定にむかう日本の姿を「僕が若い頃はこんな、憲法改正がどうのなんてことはなかったのに、今は変えてきゃいいんだという。でもいっぺん変わってしまうと、どんどん右回りの蚊取り線香みたいな国になって、火がついたまま最後までいってしまうからね」ととらえています。巧みなたとえです。核心を衝いています。
なぜ改憲しないといけないのか。その際、改憲派がもちだす理由づけにたいして、これまた分かりやすく反論しています。
日米安保で表される日本とアメリカの関係をしっかりとらえ、その特徴を明快に語っているのが井筒発言の特徴の一つでもあると私は思うのです。
== 以下、引用 ==
日本には戦後まもなくは軍備も何もなかったのが、日米安保もあって、どんどん予算が拡大してきた。その結果、憲法との整合性もなくなってきてもう限界だから、この際憲法を変えてしまおうと言う。でも、武力行使もよほどの場合でないかぎりしてはならない、それを日本は戦争で思い知ったわけで、それでずっとやってんねんから、平和憲法のままでええねんけどね。ドコの国が何をしようが手をあげて、ウチは何もしませんと、そういう姿勢を貫くのが一番いいことやけどね。
じゃあ自衛隊をどうするんですか、と言うけど、隠して膨れてきたやつをこう、だんだんに、今度はアメリカに対して、隠れて減らしていくんですよ。減らすことによって脅威が増えるかといったら、そんなことはないんだから。ウチら海外には派遣しないことに憲法で決まってるから、だから適当に武器買っておきますわ、と言いながら、予算を減らしていけばいい。でも「国防軍」とか「自衛軍」みたいに言葉をすり替えるようにしてやっていくと、それがまた色めき立って、色がついて、それこそ違う国になってくるね。そういうふうにさせたらいかんわけね。
でも北朝鮮問題があるじゃないか、と言うけど、北朝鮮が日本に弾なんか打ってこないですよ。実際思ってるわけじゃなくて、かなりアメリカに言わされてるねんけど、そんなのは悪のファンタジーですよ。よほどのおかしな政治家でないかぎり、そんなもの想定してみんな生きてるわけやないしね。文民のレベルで防げるはずや。それやのに、アメリカの極東の防衛ライン上日本は51番目の州になっているから、駐屯もさせたいし、地域の摩擦があるなら自国で軍備を持っておけよ、という解釈にもっていっているわけでしょう。そういうアメリカの横やりに迎合している、そんだけのことや。
日本人はよそに「かまいに」いくんだと、そうしないとちゃんとした国じゃないんだ、というように話をすり替えてんのが気持ち悪いね。
友だちがコンビニの前で、わけがわからない奴に襲われたらかばうでしょう、と憲法を変えたい奴は必ずそういうふうに言う。でもそういうときは警察に電話するんだよ、かまいにいったら逆にいかんねんって。そしたら「世界の警察というのは軟弱やないか、それに世界の警察とは、つまりアメリカでしょう、そのアメリカがやられてるんやから」という理屈に戻すんや。でも、その当のアメリカがカツアゲにあってるわけやない。自分でかまいにいってる奴をかまいにいくというのが、一番おぞましいことですよ。それに「友だちだったら」と言うけど、アメリカを友だちと呼んだらいかんのですよ。例がまちがっとる。アメリカが無理しても助けたい相手はいますよ、「民主主義」とか自分とこの企業とかね。なのに助けにいかないのは卑怯だという稚拙な話にすり替えるのは、一番よくないですよ。そういうビジョンしか持ってない。そのくせ今、憲法をもっと速やかに変えるために、国民投票のしくみ自体をいじろうとしているわけでしょ。
僕が若い頃はこんな、憲法改正がどうのなんてことはなかったのに、今は変えてきゃいいんだという。でもいっぺん変わってしまうと、どんどん右回りの蚊取り線香みたいな国になって、火がついたまま最後までいってしまうからね。
日本人の手で憲法をとか言うとるけど、それは本当の先進国ならもう考えなくていいことのはずや。もうちょっとこう自立した大人主義というか、日本独自の個人主義を徹底させることが大事やと思うね。そういう文化国家にならないとね。 (『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』、岩波書店)
== 引用終わり ==
さて、井筒さんが言及している日本とアメリカの関係についての、つぎの「朝日新聞」(12・29、(「日米、軍事機密保全を強化へ 政府が協定締結方針」)の記事が目につきました。日米関係が軍事同盟を軸に重要な局面に入りりつつあるように思うのです。
政府は、米国が求めてきた防衛秘密の保全に関する規則を包括的に定める「軍事情報一般保全協定」(GSOMIA)の締結に応じる方針を決めた。これにより日米間で高度な軍事情報の共有が可能になり、米艦船の修理を中心に日本企業への委託も増える。一方で秘密保全の対象が作戦や訓練、武器技術など全般に拡大し、罰則の範囲も広がりそうだ。日米の軍事一体化が進み、国民の知る権利が制約される恐れがある。 == 以上、引用 ==
機密保全に関する日米両国間の今回の協定が締結されるということは、朝日記事が指摘しているように、「日米の軍事一体化が進み、国民の知る権利が制約される恐れがある」ということです。私は、単に国民の「知る権利」が制約されるという側面からだけでなく、作戦や訓練をはじめ軍事行動において日米一体化が図られるという側面からもとらえておくことが重要だと思います。そうであるからこそ、両国間の協定化が日米両国にとっては必要だし、機密性を高めることが不可欠なのです。米軍基地再編やMDなどの共同開発にはどうしてもそのことが欠かせないのです。
まさに日本がアメリカの世界戦略に組みこまれていく上でまた、一つの階梯をのぼったことになるでしょう。井筒さんの発言はこうした動きの危険性を指摘しているのではないでしょうか。私には、アメリカにからめとられて、井筒さんの指摘どおり日本が「どんどん右回りの蚊取り線香みたいな国になって、火がついたまま最後までいってしまう」気がしてならない。
■blogランキングに仲間入り。あなたのクリックが励みになります。もっとガンバレの声を右記バナーのワンクリックで。⇒
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
格差社会 -階級という言葉は「死語」なのか
まさにこれは、かつて石川啄木が詠ったつぎの歌を想起させる。
はたらけど はたらけど
猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る
そして、別エントリーで言及したが、従来「中流」などと呼ばれた、たとえば500万円を超える層、前後する層にもいま、矛盾が集中するようになった。
ふりかえってみると、「一億総中流」などという「美名」で日本の社会が表現されたときにも、決して一様に安定的な生活が送れたわけではない。しかし、それぞれの程度で「安定していた」と実感できる時期であったこともまた疑いを入れないだろう。それはこんにち、景気回復が報じられ、そのとき比較される「いざなぎ景気」の時期に、データにみるかぎり、働くものの所得はほぼ倍化したことも背景としてあったのである。
ところで、いまの景気が「回復」していると実感している人がいったいどれだけいるのだろう。景気回復基調にある期間が「いざなぎ」を超えたといわれるこの時期、働く人びとの賃金はほぼ横ばいというのが事実である。だから、ほとんどが実感がなく、景気が回復しているというのであるのなら、ちょうどそれは、「勝ち組」とよばれるエリートたちがかつては考えがたいような高額の収入をえている事実があるように、その富が社会の一部に集中していることを示しているといえるだろう。
日本の亀裂は、こうした個人の所得の大幅な格差に表れている。そして財界のトップである御手洗富士夫が誇らしげに経団連「御手洗ビジョン」を昨年末、打ち上げた。この財界の姿勢は、日本の社会的格差に目をつぶるだけでなく、それを当然視し、さらに今後、それを拡大させようという意味においてあらためて問われなければならない議論だ。「御手洗ビジョン」は、格差を是正しようという立場を確実に「敵視」している。そして一部の大企業の利潤追求をいっそう求めようとしている。
だから、こうした現実に接すると、もはや日本に階級はないとこれまでといわれてきたことを、ほんとうにそうなのか、疑ってみる必要がある。「一億総中流」などと70年代から90年代にかけてよばれ、階級は「死語」となっていた時期がある。しかし、その時期、我われが抱いていたものは「中流」・「平等」という幻想ではなかったのか。90年代に入り、日本社会は変容をとげ、だれもが格差社会を目にし、耳にすることになった。
そこで橋本健二が日本における階級の問題を説いている(『階級社会 現代日本の格差を問う』、講談社選書メチエ)。橋本は、「階級」という言葉が「死語」だったころと格差社会とよばれる今日とを比較し、言葉としての使用頻度を調べている。それによれば、1920年以降1987年までの階級という言葉の使用状況と1985年以降今日までのそれと明らかな差異がある。このデータは「階級」をテーマとした雑誌記事を集約したものだが、85年以降は格段に取り上げられるテーマとして階級が浮上したことを示している。むろん雑誌数自体が周知のとおり増えているが、数の推移だけでなく、橋本が指摘するのは記事の内容の変化だ。橋本は、中産階級・中流階級の不安や没落に関わる記事が90年代以降増え、2000年代以降は一変して、明らかに「階級社会」という言葉が使われてきた変化を示している。
これらの記事はむろん、日本の国民の意識と無縁ではなく、日本の社会にみられるようになった、たとえば外資系の会社で年収数億円もの収入を得るビジネスマンがいる一方で、リストラや賃金カットに見舞われ、収入が以前とはちがって激減するなど、個々の生活基盤がまったくなくなったり、不安定になった人びとが生まれでたことを反映している。そして、同じ企業のなかでも働くものの扱いに数倍もの格差が生まれたのだ。それだけではなく、この時期に、非正規雇用とよばれる不安定層が生まれ、それが格差をさらに広げたのである。同じ労働をしているのに支払われる賃金が大いに異なる、いわゆる同一労働・同一賃金の「原則」もないがしろにされ、最低賃金も生活保護以下水準というゆがみも残されたのである。
この時期に、海外生産と輸出、さらに国内でのこうした「労働ダンピング」によって一部の大企業は膨大な内部留保を蓄積してきたといえる。
話をもどすと、「御手洗ビジョン」はこの90年代以降の動きにそって、日本社会のゆがみを無視し、大企業の横暴勝手をいっそうすすめるものだともいえる。同ビジョンのいう「希望の国」とはいいきってしまえば、そのことを指している。
だから、こうした動きに抗うとすれば、働くものが一致団結し「階級的」な共同を広げることが不可欠といわなければならない。
昨年末、日教組の組織率が話題になったが、逆にいえば以上の事実は、労働組合への結集の条件を広げるものともいえるだろう。むろん労働組合が旧態依然とした情勢把握と運動の提起にとどまるのであれば、その条件が雲散霧消するのは必然でもある。
【関連エントリー】
格差社会の一面 -4 貧困の現実に直面する「階級社会」
格差社会 -労働ダンピングで何が起こるか
■blogランキングに仲間入り。あなたのクリックが励みになります。もっとガンバレの声を右記バナーのワンクリックで。⇒
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
「御手洗ビジョン」 -大企業の横暴勝手表す
経団連(御手洗富士夫会長)は今後10年間の日本のあるべき姿を描いた「希望の国 日本」(「御手洗ビジョン」)を発表しました。
ここで、2011年までに消費税を7%に増税し、その後10%にする二段階増税を提言しています。また、法人税など企業にたいする実効税率を現行40%から30%に引き下げる方向を示しています。これは、いいかえると税制の面で大企業にはやさしく、庶民からはさらに搾り取る方針だということです。これまで政府税制調査会や自民党税調が打ち出したり、検討している方向と軌を一にしています。
A4版で138ページに及ぶ「御手洗ビジョン」では、税制だけでなく、教育や国・地方のあり方、憲法などの変革についても言及し、憲法改正も2010年初頭までに実現する課題として位置づけています。さらにホワイトカラーエグゼンプションの推進も。
この「ビジョン」の基調は、以下にみるように、経団連のいう「改革」にたいする2つの考え方を対比し、大企業の考え方を「ベストのシナリオ」と持ち上げていることです。もう一つの道を弊害重視派とよび、さも所得格差の拡大、都市と地方間での不均衡など不平等の問題を指摘すること自体に問題があるといわんばかりの認識を明らかにしています。要するに、所得格差拡大是正や税や社会保障を通じた所得再分配の拡充を重視しようという立場はみられません。つまるところ、この「ビジョン」どおりにすすめば、そこにあるのは、まちがいなく格差が拡大する、そして大企業の自分勝手な、やりたい放題の社会です。大企業にとってそれは「希望の国」といえても、国民には絶望を与えるものでしかありえないものです。
なんど読み返しても腹が立つ文書です。国民がこんなにナメられてよいのか、そう強く思わざるをえません。
以下に、「御手洗ビジョン」の「はじめに」(図は省略)の部分を引用します。
21世紀に入ってから日本は改革を進めてきた。道のりは苦しく険しいものだったが、ようやくその成果が現れてきている。
嵐の日々は過ぎ、そこここに木漏れ日が射している。眼差しを上げて行く手を望めば、明るい青空も見える。
バブル崩壊の後、長く低迷していた経済は力強さを取り戻している。2002年度以来、実質成長率は4年連続プラスとなっている。雇用情勢も大きく改善している。長引いたフロー、ストック両面でのデフレもようやく収束しつつある。
企業部門の立ち直りはめざましい。ヒト、モノ、カネの3つの過剰にあえいでいた990年代とはさま変わりし、引き締まった筋肉質の企業体質が形成されている。
政府部門の改革も進んでいる。難攻不落に思えた郵政事業は民営化されることになった。年金など社会保障制度の見直しもようやく始まり、地方分権改革も動き出した。
そして今、我々の前で道は大きく二手に分かれている。
一方には、先行きをさまざまに思い悩み、弊害が最も小さくなる道を進むことを主張するひとびと(弊害重視派)がいる。弊害重視派は、所得格差の拡大、都市と地方間での不均衡など不平等の問題を厳しく指弾する。そして、改革を中断しても、その是正を急ぐことを訴える。税や社会保障を通じた所得再分配の拡充や公共事業の拡張が弊害重視派の処方箋である。
他方には、ベストのシナリオにチャレンジするひとびと(成長重視派)がいる。成長重視派は、いわゆる弊害は、グローバル化や少子高齢化などがもたらす歪みであり、改革の手綱を緩めれば、かえって事態は悪化すると考える。改革を徹底し、成長の果実をもって弊害を克服する、これが成長重視派の基本スタンスである。
もちろん、現実には、折衷的な立場が最も多い。しかし、いずれを重視するかで、道は分かれる。矢が的のすぐ傍らを通り過ぎるのと、的に命中するのでは結果は大きく異なる。
経団連は、現実を直視し、冷静慎重に制度設計を行うことが必要と考える。その上で、2006年5月の定期総会において、「INNOVATE 日本」の旗印の下、科学技術を基点とする狭義のイノベーションのみならず、経済や社会のシステム、そしてその根底にある教育や国・地方のあり方、憲法などの変革(広義のイノベーション)に果敢に取り組み、より豊かな経済社会を実現する、との方針を打ち出したように、弊害重視派の指摘に耳を傾けつつも、基本的に成長重視の選択を提言する。
今後10年間を視野に入れた本ビジョン「希望の国、日本」では、なぜ経団連が成長重視の選択をするのか、その目標はなにか、目標の実現のためになにをなすべきか、を明らかにする。
追記;「しんぶん赤旗」(12月30日)によれば、法人課税の実効税率が実際は現在でも30~33%に引き下げられています。連結経常利益ランキング上位100社の実効税率は平均30.7%となっています。これは、これまで研究開発減税や受取配当益金不算入、外国税額控除などの減税により、法人の負担率40%より大幅に軽減されていることを示しています。今回の経団連の要求はこれをさらにすすめいっそうの大企業・法人の税負担軽減を要求するものといえます。
■blogランキングに仲間入り。あなたのクリックが励みになります。もっとガンバレの声を右記バナーのワンクリックで。⇒- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
改憲と平和、安倍年頭所感
新年早々、安倍首相は年頭所感で改憲手続き法案の「通常国会で成立を期す」と表明しました。すでに自らの任期中に改憲をめざすことを明らかにしている安倍首相。改憲手続き(法案成立)は欠くことのできない課題です。
これに呼応して1月27日に開かれる自民党大会では、重点政策のトップに「憲法改正手続き法案の早期成立を実現し、新憲法制定に向けての国民的論議を喚起する」と改憲手続き法案を国会で成立させる構えを打ち出しています。
憲法改定を軸に今年1年、政治は動いていくでしょう。
改憲でターゲットにされているのはいうまでもなく9条ですが、それは「戦争をできる国」をいかにつくるかという志向と深く結びついています。では、戦争のない日本はいま平和といえるのか、憲法改定でそれはどうなるのか、政府与党が改憲に動こうとするいま、いま一度考えてみるのも悪くはありません。
15年戦争に敗れて以来、日本では戦争はありませんでした。戦争がない状態を平和だとすれば、この60数年、日本は平和だったということになるかもしれません。しかし、われわれは戦争の時代をまた生きています。世界に目を転じれば、いつもどこかで戦争は起きています。しかも、この時代は日本がアメリカとの軍事同盟を結ぶ一方で、世界の各地でアメリカが軍事的に介入してきた時代でもあったのだから、日本の平和を、世界で起きている戦争と切り離して考えるわけにはいきません。日本の戦争のない状態は、他者の戦争体験のもとでの苦悩と切り離せはしない。その苦悩とは、自らの生死をも決定されかねない戦争からの解放への渇望にほかなりません。この苦悩とともに、われわれ日本人は平和を享受してきたともいえます。
戦争がない状態を平和とよぶ、限定した平和のとらえ方に対置させて、平和の意味を拡張するとらえ方について最上敏樹さんが教えて論じました(1)。最上さんがあげているヨハン・ガルトゥングによる構造的暴力論は、人を殴ったり殺したりする直接的暴力でなく、望むべくして望んだものでなく不利益をこうむることを構造的暴力と定義するものでした。最上さんによればこれをつぎのように評価することができます。
「それまでの平和論の見落としていた点を浮き彫りにし、新たな地平を開くものでした。それまでは「戦争のないこと」が「平和」だとされていたのに対し、戦争がなくとも「平和ならざる状態」はある、という視点を理論化するものだった」。
要するに平和の意味の拡張とは、貧困や開発や人権や平等など、非軍事的な問題に関心をむけ、その総体によって平和をとらえることを意味しています。換言すれば、これは、アマルティア・センが主張する<人間の安全保障>の不在のことです。
だから、この考え方にそって考えれば、日本に戦争はなかった、それゆえに日本は平和だったと先にのべたこと自体をあらためて問い返さなければならないでしょう。
非軍事的な問題にまで平和の意味を拡張して考える際に、日本に固有の軍事的な問題-戦争は起こらなかったが、戦後日本に横たわる問題-を考えておかねばならないと私は思います。
いま、戦争が起きなかったという意味での日本の状態を<日本の平和>と表現すれば、それは、日本国憲法と安保体制という矛盾する2つの法体系の緊張のなかで保持されてきました。別の見方をすると<日本の平和>は、日本国憲法と安保体制の関係によってもいうまでもなく規定されるといえるでしょう。いいかえると日米安保条約の変遷とともに<日本の平和>は変容するのです。日米安保条約の変遷とは、敗戦をへての条約の締結と米軍の日本本土の半占領と沖縄の占領、条約改定、安保再改定と沖縄返還および沖縄半占領、自動延長という連鎖であらわせます。だが、重要なことは、安保条約のこの変遷のなかでも日本のアメリカへの従属という関係が貫かれていることです。日本のアメリカへのねじれた従属-従属による矛盾を覆い隠すような現状肯定性として表れる-が保たれてきたのです。そのねじれは、日本の従属の実態が国民全体に知られず、実感もなかったことにより国民が反・従属に向かわなかったこと、さらに、端的にいえば長く米軍占領下に置かれてきた沖縄でさえ、雇用の少なくない部分を米軍基地が占め、経済的にも基地に依存してきたためにみられる「現状安住性」に由来する、と私は思うのです。ところが、その沖縄では、県民は、米軍による直接的、間接的のみならず精神的苦痛にさらされているのであって、軍事的な安全保障と人権の無保障という非対称的な関係に向き合わざるをえなかった(2)。<平和>でありながら、日米の軍事的関係を介在して生まれる<人間の安全保障>への、一つの非軍事的な領域の侵犯の事実にわれわれは眼をむけざるをえないと私は考えています。
日本とアメリカの関係をめぐっては、日米安保体制の変遷にくわえて、冷戦の終結とその後のアメリカの一国支配体制の深化のなかで、日本とアメリカの関係も変容をとげています。たとえば、それは、米軍基地再編にからむ最近の3兆円要求にみられるような、日本の軍事的・経済的負担を求めるアメリカの圧力の強化に象徴的に表れています。こうしたアメリカからの軍事的・経済的肩代わり要求を前に、日本国憲法と安保体制が並存することによる矛盾を日本政府はいま、手続上は日本国憲法を安保体制に組み込むことによって、法的に整合を図ろうとしているのでしょう。いうまでもなくそれは9条の改変を前提しており、法的に軍事的介入の余地を拡大したという意味で、戦争から逃れでたいという他者の苦悩からの解放を不可能とするものであることにちがいはありません。しかも、日本において、<人間の安全保障>の侵犯を予定するものであることは疑いを入れません。
このように二国間の軍事同盟が介在する<人間の安全保障>の侵犯が現実に日本にはある。いまひとつの非軍事的な問題としての「平和ならざる状態」が日本にもある。それは政府も認めざるをえなかった社会的格差の問題や貧困や人権や平等など今日日本に現れている問題です。「平和ならざる状態」とは、日本には日米二国間の軍事的関係性による<人間の安全保障>にかかわる問題と非軍事的な<人間の安全保障>が共存しているともいえます。改憲はまさにいよいよ「平和ならざる状態」をつくりだすことにほかならない。
憲法改定の目的が「戦争をする国」づくりにあるとすれば、平和とのかかわりでこのように改憲の意味を考えることができるのではないかと思うのです。
【関連エントリー】
(1)拡張する平和の意味
(2)目取真俊、沖縄県知事選をふりかえる
- トラックバックピープル・安倍晋三もよろしかったらご覧ください。
- AbEndフォーラムもあわせてご覧ください。
a happy new year
謹賀新年
お世話になったブックマークのみなさん……
憧れの風
あんち・アンチエイジング・メロディ
薫のハムニダ日記
風に吹かれて
カナダde日本語
紙屋研究所
きまぐれな日々
雑談日記(徒然なるままに、。)
さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する
四国のカミキリムシ
とある昆虫研究者のメモ
なるほど♪ママダイアリー
東谷山のお猿さん
非国民通信
BLOG BLUES
ミクロネシアの小さな島・ヤップより
らんきーブログ
(五十音順)
旧年中はたいへんお世話になりました。今年もよろしくお願いします。
また、ABendのみなさん、今年も力をあわせ頑張りましょう!
そして、たくさんのコメントやTBをいただいた皆さん、さらに弊ブログにお立ち寄りいただいたたくさんの皆さんにこの場をかりて御礼申し上げます。ありがとうございました。
本年から、こちらのブログは主に政治・経済、思想について扱っていき、もう一つのブログではカミキリを中心にとりあげていく予定です。かわらぬご支援を宜しくお願いいたします。
…… これお・ぷてら ……
次ページ » |