夏の輝き、黄昏時の銀色、月光の下の奇蹟、 雨の日に作るえくぼの輪、みんな美しかった。 今はこの暗い、陰気さを愛した。 どういう訳か周りの陰気な、 人待ち顔の景色の中には ―― あたかも、これは咄嗟に 彼女が思った事なのだが ―― あたかも 春が来るのを 恐れているかのような ―― 突き刺す如き悲しみが漂っていた。 【「エミリーの求めるもの」 第10章】 |
昨日の快晴の空から今日は雨となりました。
もう少し季節が先の雨でしたら、
一雨ごとに暖かくなるのでしょうが、
まだ、そんな時期ではありませんものね。
その代わりに此の雨は、PM2.5という、
有り難くないものを連れて来るようです。
かの国では、どうやら鳥インフルエンザも
人から人感染しているようですし、困ったものです。
ところで今日の引用文。
言葉通りに取れば、春は待ち望みこそすれ、
訪れる事を恐れる気持ちは毛頭ありません。
でも、今日の引用文には、
行間に漂う以上の深い意味がありますね。
さて、衣類や雑貨も然る事ながら
結構、溜まると言えば本。
いつものように整理して
いましたら、こんな楽譜が
出て来ました。
所謂(いわゆる)、
「冬ソナ」、「美しき日々」 等、
初期の日本で放送された、
韓国テレビドラマの主題歌、
及び挿入歌のピアノ版。
一旦は、捨てる方の束に。
でも、ちょっと思う事もあり、
再びその中から取り出して
来たという訳です。
でも、こうして改めて
楽譜を手にしますと・・。
今更ながら、当時の
自分が思い出されます。
出版は2004年とありますから
もう10年も前になるのですね。
「十年一昔」 とは良く言ったものです。
先日も記しましたが、この「冬ソナ」だけは
CDを初めとして脚本まで求めましたっけ。
その上、楽譜まで求めていたのですね。
ピアノで弾く事はありましたが、
楽譜を見て弾いた記憶は、さらさらありませんのに。
いつも適当に弾いていましたが、
当時は空で覚えていたという事でしょう。
改めて当時の熱中ぶりが伺えます。
元々、このドラマを見るまで、
全くと言っていいほど関心のなかった韓国。
決めつけていた見識を本気で改めようと思っていましたのに。
所詮、ドラマはドラマ。虚飾だったという事でしょう。
虚飾は剥(は)がれ落ちて行く運命ですものね。仕方ありません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます