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マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

神殺しの物語「地球へ…」

2008年08月11日 | 思考の遊び(準備)
最近、ペトロニウスさんの「コードギアス」関連のお話の中に「神殺し」というワードが出てきて、それについて他の作品も絡め、いろいろと思索されているみたいです。…そもそもの話は「コードギアス」の作中でシャルルゥ皇帝が自らの目的を「神をコロすぅう!ぶらぁああ?」(←ぶらあ言ってない)と宣言したのがとっかかりなんだと思いますが。

それで、最近少し彼と、お話しした時に「神殺しの物語」という事で、僕は想起した作品として「地球へ…」と「エルリック・サーガ」を上げました。あと一個なにか思いついてたんだけど、その時は思い出せなかった…で、今、思い出したんだけど「装甲騎兵ボトムズ」だw…ま、これはいいやっ!おいとこw(←置いていいのか?)
で、ペトロニウスさんは、マンガ版「ナウシカ」や、「もののけ姫」を上げられていました。「ナウシカ」と「地球へ…」は非常に似ている部分と、全然違う部分があって面白いなあ…。あと「ヴィンランド・サガ」の話もあったけど、あれが「神殺しの物語」なのかどうかはちょっと保留。でも、とりあえず「神殺し」と思しき物語を全部、おもちゃ箱に放り込んで、精査しようという感じだろうから「ヴィン~」も検討対象ではありますね。

で、少し時間がなくって「地球へ…」の事でいろいろ言い足りなかったので、ここに書き留めてお香かな?と思いました。

■ 何故、この物語にコンピュータ・テラは出現したのか?



【地球へ…(TVアニメ新作される際のコメント)】
http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0073.html#426
【地球へ…最終回前チャット】
http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0079.html#458
【地球へ…最終回】
http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0081.html#461

ここらへんは2007年に「地球へ…」が新作TVアニメ化されたときにコメントしていた内容ですね。まあ、言いたいことは大体ここに書いてしまっていますが…。

http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0073.html#426
…って今、手元にシングルCDがあるんですが、これが「地球へ…」と「さよなら銀河鉄道999」のテーマ曲カップリングCDなワケですが……どういうカップリングだよorz と一瞬膝を落としつつw いや、やっぱりこの二つこそが、あの時代の僕らの心象風景だったと思うわけです。
つまり果てし無く遠くへ行きたい、行こう!というSFが「銀河鉄道999」だったの対し果てし無く遠くても帰りたい、帰ろう!というSFが「地球へ…」だったんですね。この映画化がほぼ同時期(「さよなら銀河鉄道」が1981年、「地球へ…」が1982年…つーか、まあ「ガンダム」とかもこの時期)今、考えれば「え?それどういう幸せ時代?」と思ってしまうわけですけどね。まあ、僕の中でも「地球へ…」は「999」と並び間違いなく「黄金」なんですよね。


そもそも「地球へ…」って「地球(テラ)へ…」のタイトルが素晴らし過ぎるんですよね!(力説!)はるかな地球を臨むソルジャー・ブルーの瞳と、決然たる「地球へ…」という万感のタイトルに震えがこない人は、多分「地球へ…」の感動は半減されてしまうと思います。逆にここで共感できる人はもう別に余計な説明は要らないくらいなんです。ただ読めと。…「地球」という問答無用の郷愁が、この作品全体を包んでいる情観である事は間違いありません。
でもこれは、それほど懐かしい「地球」から人類が巣立って行く物語なんです。



http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0081.html#461
そして新作が「人間の物語」に徹してくれた事で、改めて原作の良さというものも再確認できた気がします。新作が“人間の”物語/歴史であるとしたら、原作は“人類拡散の”伝説/神話なんですよね。
新作の最終回でキースが「奇麗事を言うな!能力的に劣る人類は劣等種に成り下がれというのか!?」と言ったように、もし「あの場での犠牲を最小」でSD体制のみが打倒(無血革命)されれば人類の未来は恐らくそれしか残されていないんですね。百年経つか経たないかの内に人類は駆逐されてしまうでしょうね。ジョミーとキースはこの懸案を「希望」という名の包装紙で包んで送り出してしまいましたが………それはねえっ…コンピュータ・テラが高確率で予測していたミュウが宇宙の全てを取り仕切る世界ですよ?wハリ・セルダンたちの予言はまだ続いているって事です。

キースが壊したのはSD体制のラスボスじゃない。この予言を破棄したんです。新作との対比で「神話」という意識を持ってつくずく分かりましたが、つまりキースは「神」を殺したんだなあ…。
そして大崩壊を起こし、人類は何の準備もなくSD体制に捨てられてしまうから「生き延びた」んです。ラストにジョミーの言葉に逆らってミュウたちは人類を助けようとして大部分のミュウたちが死んで行く様が描写されます。もともと少数のミュウの大部分が死んで、かつ指導者になれるような人材は残っていないなら、もはや人類に対して大きな影響力は示せません。…というかあの大崩壊でおそらくテクノロジーの消失が起こっている。全ての人類とそしてミュウが「一からやり直す」事を余儀なくされているはずです。
そしてナスカの子等は人間として扱われなかったが故に、崩壊した人類を救済指導するような意欲も持たず、宇宙の彼方に消え去るのです。
つまりあのラストは救いはほとんど無く多くの人命を失うだけかのように見えますが実は人間の持つ可能性は全て掬われ、そして飛散しているんです。……そして、SD体制の名残か、それとも別の何かか分かりませんが、飛散した人類たちは一様に「地球へ」の思慕は持ち続けている…。






ジョミーは死に、キースは死に、トオニイは絶望の中で宇宙の彼方へ消え、ミュウの元老たちは炎に焼かれ、フィシスは地球人と運命を共にする…。登場人物の誰一人として救われていない物語です。でも、だからこそあらゆる可能性を抱えたまま人類は飛散するんです。

そして、そのためにこそ、コンピュータ・テラはいるんですね。ミュウの未来を予言した人類の叡智の結集にして亡霊。…描写を観ていれば分かるんですが、地球とコンピュータ・テラはもうほとんど一心同体です。…というかコンピュータ・テラをキースが「殺す」と、同時に何の伏線もなく地球の大崩壊が起こっている…これってつまり、地球って放っておいたらとっくに崩壊する惑星だったって事じゃないかと思います。それをコンピュータ・テラが延命装置のように働いて崩壊を押さえ込み続けた…それはつまり“彼”は地球が美しくあって欲しいという人類の想いの象徴でさえあったという事です。
そのミュウも人類も一様に持つ想いをSD体制の刷り込みの産物なのか?それとも違う何かなのか?を決して教えてくれる事がない“冷たい物語”でもあるんですけどね。でも、どんなに懐かしい星であっても、どんなに思いを寄せる星であっても、もう巣立ちの時は来ていたんです。それが「地球へ…」という物語における「神殺し」…という事になるかな?


地球へのどうしようもない万感の想いをベースにしながら、
地球から離れて征く人類の物語を描いている。


全く、途方も無い作品です。(というか何回読んでも新発見がある…w)


※ 余談ですが、引用の記事で僕はコンピュータ・テラを作った科学者たちを「ファウンデーション・シリーズ」の人類分かっちゃった数学者ハリ・セルダンにたとえているんですが、じゃあ「ファウンデーション」が「神殺しの物語」かと言うと、ちょっと違うと思う…まあ、ここらへんはまた別の機会としますが所感だけ(汗)



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5 コメント

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「へ」 (ルイ)
2008-08-12 00:16:21
テラ「へ」行きたい、行こうという物語が
テラ「へ」向け、遠くから放つ想いに。
人類レベルで共感できる「動機」で物語を起動させておきながら、最後は少し違う位相にシフトさせる。とんでもないタイトル勝ちの物語ですよね。地球を対象化する事で、ようやく巣立ちの物語になる。それは多分、現実の多くに通じる話で。そのものを見つめる事で、ようやくそのものを切り離せる、見つめなおせるというかな。その為には、ブルーの「地球へ」は、ただひたすらに地球に向かう物語でいい…。

これをTVアニメにしようって時に、あの素朴な人間賛歌に落とし込んだのは、真性のファンからすると「逃げ」にも取られかねないんだけど…僕は、わかる気がするなあ。原作が好きで、原作マンマなら原作に敵うわけがないって視点がないとああいう作品にならないですよねw
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Re:ルイさん (LD)
2008-08-13 01:04:23
やっぱり、僕はソルジャー・ブルーの大ファンで、ブルーがいればご飯三杯はいけるって感じの人間なんですが…w

でも「神殺し」の角度から、この物語を眺めた場合、やはりブルーは飛翔者ではないんですね。ブルーが一言「地球を見捨てよう」と言えば別の物語があったかもしれないのに…どうしても地球に心が縛られてしまう…。

飛散の前の爆縮…ってあんまりいい表現じゃないかもしれませんが(汗)拡散の前の集束なんですよね。…どういう大きさの物語だ?って思いますよ。
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拡散の前の集束 (ルイ)
2008-08-13 19:15:05
良い言葉ですー。僕の言葉でいくと「巣立ち(切り離す)」前の「見つめる」というあたりに置き換えられるのかな?

ブルーは、この物語において間違いなく最重要人物だと思っています。しかし同時に、ブルーが「飛翔者」ではない、というのもその通りだと思う。…でも、言葉を組むと「飛翔者ではないからこそ、ブルーは最重要人物」だと思うのです。ブルーがこの物語に、縦の背骨を一本入れてみせたんですよね。個人の想いの形を取りながら、人類のこれまでの歩みやその想いを象徴してみせたからこそ、その「次」にある巣立ちに重みが出たのでしょう。ブルーが「地球を見捨てよう」って言ったら…ブルーが凄い進んだ人物ですね、って話になって終わりなんですよね。やっぱり身を焦がすほどに、そのもの滅ぼす程に相手の事を思い焦がれて、それに数百年の時と心を捧げて…それを「経て」はじめて「地球へ…」は「地球へ…」になるのでしょう。

んー、どんだけ大きい物語なんでしょうねえ(笑)。
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呪いとしての「地球」と、「ラインハルト様、宇宙を手にお入れください」 (銅大)
2008-08-15 18:18:37
いつも楽しく読ませていただいております。

私も『地球へ……』は連載されていた頃からの大ファンで、劇場版アニメも見に行きました。残念ながら、去年のテレビアニメの方は見ておりませんが。

今回の記事を読んで、旧人類、ミュウのどちらにとっても『地球』への思慕は、SD体制を成立させる呪いのようなものだったのだなぁ、と感じました。

旧人類は、『地球』を守るためにひとつとなり、ミュウもまた『地球』を憧れるがゆえに、旧人類と対立せざるをえない。

ソルジャーブルーが愛したフィシスの中に刻まれた地球のイメージが、キースたちがマザー・コンピュータによって刻まれた地球のイメージと同じで、つまりは両者ともに、SD体制の科学者たち(LDさん曰くところのハリ・セルダン……言い得て妙です)のかけた呪いなわけです。

それで思い出すのが、やはり田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』で、若き英雄ラインハルトの親友、キルヒアイスが死の間際に残した

「ラインハルト様……宇宙を手にお入れください」

という言葉です。
感動的な場面であり、美しい友情のなせる言葉でもあるのですが……私はあれを、呪いだと思っております。
あの呪いにかけられたがゆえに、ラインハルトは止まることができなかった。彼らが憎んだ帝国の体制を打倒するだけでは終わらず、フェザーンを、そして同盟すら滅ぼさざるをえなかった。
あの呪いがなければ、ラインハルトがあそこまで覇道を押し進めたかどうか……帝国の内戦終結後も続いた戦乱が、キルヒアイスが死の間際に残した言葉のせいだとすると。

キルヒアイスは宇宙のその後の歴史を決定した存在だと言えるかもしれません。

……LDさんが『銀河英雄伝説』を読んでいなかったらさっぱり意味不明なこと長々と書いて申し訳ありません。

これからも楽しい記事を期待しております。
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Re:銅大さん (LD)
2008-08-16 19:43:30
こんにちは。はじめまして。

> 「銀河英雄伝説」

読んでいます。とても好きな作品ですw
幕末の吉田松陰とその弟子たちなんかもそうですが、死して残った者を駆り立てる物語ってありますよね。
キルヒアイスが生きていても、多分、ゴールデンバウム王朝は打倒されたのでしょうけど、その後の展開…たとえばロイエンタールの反乱などは別の調停ができたかもしれませんね。

ただキルヒアイスが死んでいないとラインハルトは一生独身だったんじゃねの?って疑いもない事はないかも?w

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