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クロッシング。

人間は生まれながらにして平等であるべきだ。

しかし、生まれる時期と場所によって、その人生があまりにも不平等過ぎる。

 

昨日は、久しぶりに、シネマスコーレに行った。

監督と一緒に。

 

こんなに悲しみに包まれる映画があっていいのだろうか。

悲しみと絶望感。

映画の表現力は絶大である。

 

映画は、時として、現実よりもリアリティがあるが、昨日のクロッシングも、そうであった。

北朝鮮を否定するプロパガンダ映画ではなく、北朝鮮という現実を

よりリアルに描写した映画。それがクロッシングである。

 

2007年。北朝鮮の炭鉱の町に住む3人の家族。

炭鉱で働く元サッカー選手のヨンスを中心にストーリーは展開される。

妻ヨンハは妊娠したまま亡くなるのだが、亡くなる前に、

手がむくんで結婚指輪が痛いと一人息子のジュニにその指輪を託す。

何度も泣けたが、このシーンがその最初。

この指輪は、映画全体を通じて一つのシンボルとなっている。

 

シネマスコーレのキャパは、100名ほど。

あちらこちらですすり泣く声。

男性の声も。

周りの反応や空気が分かるのも、映画館の魅力。

 

朝10:20開演ということで、上映直前まで、サンドイッチやお菓子を食べながらはしゃいでいた微妙な若作りのオバタリアン4人組も、

いざ映画が始まれば、私語一つなく一人ひとり映画に没頭していた。

 

映画力!

 

シネマスコーレでは好評につき、6月末?まで延長。

ただし、上映時間は朝10時と夕方6時であって、午後の昼下がりは

全くない。

 

こうした硬派の映画の宿命でもあろう。

一見の価値あり。

 

 

 

 

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