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千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その393
以心崇伝 はその後徳川家康に駿府へ招かれ、
以降幕府の外交文書の作成を任されたり、
続いて板倉勝重とともに寺社行政全般の管轄を任され、
ついにはそれまでの外交・寺社行政のみならず、
家康の「政治全般に関する参謀」とも言える役目を果たすようになるのです。
こうした崇伝に対する幕府の評価は、
元和年間それまで禅僧のトップであった「鹿苑僧録」に代わり、
崇伝を「僧録司」に任命し、
禅僧界の頂点に据えたことにもよく現われている。
崇伝は、幕府外交の実質的責任者として、
慶長から元和、寛永年間に掛けて、
南蛮貿易や宣教師の来日に関する幕府の、
基本的な姿勢主導すると共に、
彼の意見は徳川家康の政治顧問として、
先の「広方寺鐘銘事件」の幕府の強硬姿勢に見られるように、
幕府の理論的な裏づけにもなっていた。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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