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千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その391
豊臣秀吉の死後、
徳川家康が実権を握る課程で、
家康方が豊臣方にたいして行なった数々の働きかけは、
「大坂冬の陣」、
「大坂夏の陣」をはじめよく知られているところですが、
とりわけ政治的な攻撃としてよく知られているのが、
慶長19年 ( 1614 ) に起こった「方広寺鐘銘事件」です。
それは・
慶長7年、豊臣秀頼は父秀吉の追善供養のため、
方広寺に大仏殿を建立することを計画し、
その仕上げとして巨きな鐘を鋳造させたのですが、
家康は、完成を祝う大仏開眼供養の直前になって、
その梵鐘の鐘銘を問題視し鐘の取壊しと供養の延期を要求したのです。
疑いを掛けられた豊臣方は当然、鐘銘の弁明に奔走するが、
家康は説明に訪れた使者に鐘銘の問題は受け入れず、
新たに浪人の雇用など他の豊臣方の非を取り上げるなど、
まさに「豊臣潰し」とも取れる行動に出たのです。
この事件は、豊臣方にとって大きな痛手となっただけではなく、
直後に起こる「大坂冬の陣」の原因の一つになりました。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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