オヤジのひとり言

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島利兵衛物語 その1

2013年02月17日 | オヤジのひとり言

京都の地方紙にこんな記事が・・

郷土偉人伝

小説 島 利兵衛 物語 ―寺田薯悲劇―      

 島 利兵衛 は現在の京都府城陽市長池の人である。

菜種問屋を営んでいた。

城陽市は京都市からも、さほど遠くない都の隣接地である。

彼は農民から菜種を買い入れ油屋に納めていた。

当時の菜種は、

灯油にする菜種油を作る大変貴重な原料であった。

いわば現在の石油以上、

電灯と同等の価値が有る大切な資源である。

菜種油に灯心を浸して火を点け、灯りを灯すのだが、

臭いが強くてほかの油より高級とされ重宝されていた。

その菜種は米と同じく平地の田畑で作る。

長池の大和街道周辺は斜面の畑地が多い。米は作りにくい。

 長池。観音堂。中村。奈島。十六.多賀。

という山畑の多い地域を対象に、

利兵衛 は、菜種や薬草栽培の利益を説いて

自らも遠隔地からその種子を取り寄せては栽培を奨励していた。

それは単なる菜種問屋ではなく、

今風に言えば社会改良家である。

利兵衛 は、博識で植物学にも造詣が深く、

豊富な知識で米が作れぬ農家には薬草などの栽培を奨めたのである。

農家は新たな収入源をもらうことになり大変ありがたがった。

利兵衛に感謝し尊敬していたのは当然である。 

特に観音堂村の東の二本松付近は「底抜け地」と言われ、

いくら掘っても床地がない(植えたものが育たない)土地なので

果実種の栽培に不適地だと言う事で、

この地区には特に力を入れていた。 

たとえば仮に果樹を植えても木だけは、

たいそう大きくなっても果実は実らない。

そこで利兵衛 は、ハッカ、ハブ草、天門冬など、

地力に合い、価格の高い薬草の栽培を勧め、

その育て方を丁寧に教えたりした。

生活困窮者には金銭や物資を惜しまずに与え、

何とか収入を増やす助けをした。

収穫された薬草を相場よりも高価で引き取るなど

救済の道を講じたりもする。 

徳川幕府はキリシタンの法を厳禁にし、

貿易も禁じて、関連して輸入種の薬草栽培なども禁じていた。

西洋アレルギーもここまでやるかという執念を感じる措置である。

長池や周辺の村々では高値で取引されるも栽培していた。

利兵衛 は迂闊であったが、原初は中国系のものであった。

国産のものよりひとまわり大きく価格も高かった。

ご禁制の薬草とは知らずに

栽培を勧めて買い取るなど商いをしていたのだった。

(つづく)・・

 

今回はここまで・・        

続きは次回に・・        

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1 コメント

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Unknown (はし)
2019-06-03 11:04:55
しま、りへいさんと言う読みかたで合ってますか?
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