オヤジのひとり言

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除夜の鐘

2011年12月31日 | オヤジのひとり言

今年も余すところ、今日1日

 

今日大晦日の夜に、京の町では耳を澄ますと・・

 

あちこちの寺院で撞く除夜の鐘の音が聞こえてくる。

 

この鐘の音色について面白い話を聞いたことがある。

 

 

 ドォ~ン。ドン。ドドォ~ン。カ~ン。カァ~ン。カ~ン。

 

古く平安の昔。都の内裏近くにあった役所(陰陽寮)では、

 

二時間おきに太鼓の音で「時」を告げていた。

 

 そして、30分ごとには鐘を鳴らす。これが「刻」。

 

この「時の太鼓」「刻の鐘」を合わせて「時刻」と呼んだ。

 

 

清少納言の「枕草子」に、

この時刻を告げる鐘楼に悪乗りした若い女官たちが登ったと言う話が出てくる。

 

洛中洛外のあちこちの寺院でも、「六時の作法」といって、

 

1日に6回梵鐘を撞いていたそうです。

 

この各お寺の鐘の音が、

 

それぞれに上無調、下無調、盤渉調などと雅楽の音階に合わせて調音されていたと言う。

 

今と違って、当時の街はそう騒音もなく煩くない。

 

さぞかし、素晴らしい音のハーモニーが京の町の彼方此方で鳴っていたことでしょうね

 

それにしてもそれぞれの寺の梵鐘に音階がつけられていてコーディネイトされていたとは驚きです。

 

「では、誰がコーディネイトしていたのか?」

 

う~ん・お寺のお坊さんではありません。

 

その正体は、今も市内に地名が残っている「釜座の鋳造職人」たちだったのです。

 

その当時から優れた技術を持つ彼らは、全国津々浦々。

 

数ある寺院の梵鐘をほぼ一手に造っていたのです。

 

 

日々の仕事に追われがちな現代人。

 

街全体を思い巡らしながら、

 

自分の仕事に取り組んでいた先人たちから学ぶべきことは多いようです。

 

ではっ・・・良いお年を・!!

 

 


祇園祭り・山鉾巡行は

2011年12月30日 | オヤジのひとり言

12/30

 

千年の古都のタイムトンネル 

京都の歴史 その弐百八拾弐

  

祇園祭り・山鉾巡行は

 

717日午前9時、四条烏丸に集桔した各町の山・鉾は、

 

くじ引かずの長刀鉾を先頭に隊列を組み、

 

四条烏丸を東へ、

 

河原町通りを北へ、

 

御池通りを西へ

 

寺町通りの辻から客鉾町へ還って行きます。

 

 かって、山鉾は、17日( 前の祭り )と

 

1週間後の24日( 後の祭り )の2組に分かれて巡行していましたが、

 

現在では一つにまとめて巡行されています。

 

また、その経路も市内の道幅の広いメインストリートに変えられたが、

 

それらは何れも観光と交通事情によるもののようです。

 

おばあちゃんに聞くと、

 

岸和田のだんじりみたいに

 

軒先すれすれを通る鉾の中を二階から見えたとも

 

そんな祭りも今は観光化してしまった・・mmmm?

 

今回はここまで・・   

 

続きは次回に・・    

 

電話かFAXで、メールでお気軽に・・

 

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 必ずや立ち上がってくれると・信じてる。

 

5年10年掛かるかも知れないけれど・

 

ずっと・ずっと・応援してる・

 

みんなでがんばろう!! 日本

 

 


「日本三名鐘」、三井寺の梵鐘

2011年12月30日 | オヤジのひとり言

12/30

  

京の年の瀬・除夜の鐘③

 

「日本三名鐘」の一つ、大津・三井寺(園城寺)の梵鐘をご紹介いたします。

  

近江八景のひとつ、三井寺の晩鐘で知られています。

 


また「音(声)」の三井寺として、日本三名鐘のひとつにも数えられています。

 


平成8年7月には、環境庁より「日本の音風景百選」に認定されています。

 


この鐘は、慶長七(1602)年、

 

古鐘「弁慶の引き摺りの鐘」の後継ぎとして鋳造されたもので、

 


鐘楼(国の重要文化財)とともに、

 

県の文化財に指定されています。
 

直径123.6センチ、

高さ205.4センチ、

重量2、250キロ(600貫)です。

 


108煩悩に因んで、

 

鐘の上部には乳といわれる108個の突起が付いている

 

ちょっと変わった鐘です。

 

どうやらこの108個の乳が微妙な音を生み出しているようです。

 

つづく・・

 

 

 

 


奈良・東大寺の梵鐘

2011年12月29日 | オヤジのひとり言

12/29

 

京の年の瀬・除夜の鐘 

 

さて殿は・・

「日本三名鐘」の一つ、奈良・東大寺の梵鐘をご紹介します。
 

「姿(形)の平等院」、

 「音(声)の三井寺」に、

「勢」の東大寺の代わりに、

「銘」の神護寺を加えて、

 三名鐘とする文献もあるようですが。

 神護寺の鐘も、東大寺の鐘も、

両方加えて、

「日本四名鐘」にすれば良いんじゃないかと思うんですが、

 

 なぜか「日本三景」、

「日本三名園」など、

 

「三」にこだわる国民性からなのでしょうか、
 

東大寺が省かれることがあります。
 

省かれたとしても、

 

東大寺の鐘が、他の三鐘に比べて、劣るということではないようです。

 

 姿形、音色ともに、他の三鐘に勝るとも劣らぬ、名鐘です。

「奈良の大仏さま(盧舎那大仏)」で知られる東大寺は、華厳宗大本山です。
 

はじまりは、728年に聖武天皇が、皇太子の基(もとい)王を弔って建立した、

   金鐘山寺(きんしょうせんじ)に遡ります。

   745年に平城京に遷都して、盧舎那大仏造立工事が始まりました。

    749年に大仏の鋳造が完成し、752年に大仏開眼供養が行われました。

 
梵鐘は、前年の751年に鋳造されたと伝えられています。

東大寺の鐘は、重さ26.364トンもある大鐘で、

  「日本三名鐘」の一つとされている。

  栄西によって再建されたものです。

現在の鐘楼は、鎌倉時代(1207~10年)に、

梵鐘も、鐘楼も、国宝に指定されています。

また、室町時代の文献には、南都(奈良)八景の第一として、

 あるいは奈良時代の大鐘)」と呼ばれて来ました。

さすが大仏様・鐘も大きいですなぁ~

 

 

 


J2京都、横浜M破り決勝へ…サッカー天皇杯

2011年12月29日 | オヤジのひとり言

 J2京都、横浜M破り決勝へ…サッカー天皇杯  

 

 

 サッカー天皇杯全日本選手権・準決勝は

 

29日、FC東京1-0C大阪、長居 )で

 

J2王者のFC東京が、J2勢として史上初の決勝進出を決めた。

  

 FC東京は前半開始直後からシュートを連発。

 

しかしルーカスが決定機を外すなど、ゴールネットを揺らせなかった。

 

 後半32分、MF谷澤がペナルティエリア外正面から、

 

豪快にゴール左上に叩き込み、貴重な得点を奪った。

 

 C大阪は終了間際に猛攻を仕掛けるも、FC東京に阻まれ追いつけず。

 

FC東京は97、08、10年に続く4度目の挑戦で準決勝を突破。

 

 

  サッカー天皇杯準決勝のもう1試合、

 

東京・国立競技場で行われた横浜M―京都は、

 

延長の末にJ2の京都が4―2で勝ち、    

 

第82回大会以来9大会ぶりの決勝へ進出した。  

 

 42分に横浜MがFW渡辺のゴールで先制したが、

 

京都は50分にMF工藤のミドルシュートで同点に追いつき、

 

72分にFWドゥトラがFKを直接決め、勝ち越した。  

 

しかし、 

試合終了直前、横浜Mはゴール前のこぼれ球をFW大黒が押し込み、延長へ。

 

116分、京都は途中出場のFW久保がゴールを決めると、

 

終了間際にもMF駒井が決定的な1点を加点し

 

格上の強敵横浜マリノスふ振り切って決勝進出を決めた。   

 

 

 J2勢の決勝進出は初で、

 

元日の国立での決勝は

 

来季からJ1へ昇格するF東京―京都という初のJ2同士の対戦となった。

 

 

元旦の決勝で  京都   か 東京か??

 

楽しみがまた一つ増えました。 

 

京都サンガは今乗っている・・この勢いで9年ぶりに天皇杯戴きます。

 

 

よいお年玉を待ってまーす!!!・・・

 

元サッカー少年のオヤジ・・

 

 

 


「 祇園祭り 」宵山歩きのツボ・

2011年12月29日 | オヤジのひとり言

12/29

 

千年の古都のタイムトンネル 

京都の歴史 その弐百八拾壱

  

此処でとっておき・「 祇園祭り 」宵山歩きのツボ・を教えちゃいます。

 

 宵山の夜は四条通りも車両通行止めになって、歩行者天国になります。

 

しかし、それでも15万人とか20万人とか相当の人出です。

 

近年は、山鉾巡行の前日の宵山。

 

宵山の前日の宵宵山。

 

さらには、宵宵宵山まで設けて、人出の緩和策を図っているのですが、

 

いずれにしても、当日は少し早めに出て、

 

人の混み合う四条新町、室町の鉾町を早い目に周って、

 

駒形提灯に灯が入った頃からは、

 

四条通りより北の舁き山の会所の多い界隈を観て周ると、

 

比較的楽に楽しめます。

 

女性の方は履き慣れた履物を・

 

着慣れない浴衣と履きなれない下駄は・結構つらいようです。

 

それと・

 

この季節、梅雨の空ける頃ですが、必ず夕立に遭うので、

 

折りたたみの傘の用意はお忘れなく。

 

今回はここまで・・   

 

続きは次回に・・    

 

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5年10年掛かるかも知れないけれど・

 

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みんなでがんばろう!! 日本

 

 

 

 

 


宇治・平等院の梵鐘

2011年12月28日 | オヤジのひとり言

12/28

  

京の年の瀬・除夜の鐘④ 

 

おまたせ!!

 

「日本三名鐘」の一つ、宇治・平等院の梵鐘をご紹介します。

 

宇治の平等院は、

 

平安時代の和様の完成体として、

 

庭園、建築、美術、工芸品が保存されている文化遺産です。
 

平等院の梵鐘は、

 

「姿」の平等院として、

 

日本三名鐘のひとつにも数えられています。

 

 

無銘ながら、

日本の鐘の中でも、

 

最も華麗な装飾文様を鋳表したものとして有名です。
 

銘文がない為、

 

製作時期については平安後期とする説が有力ですが、

 

諸説あって、

 

 

 

平等院発行の資料にも11~12世紀と記されていて

あいにく断定されていません。

 

 

口径123cm、高さ199cm、重量約2トンです。

姿だけでなく音もなかなか好いですよ。ホント

 

除夜の鐘オタクの・・オヤジ

 

 

 

 

 


今年もありがとうございました.

2011年12月28日 | オヤジのひとり言

12/28

今年もありがとうございました.

今年も余すところあと僅かになりました。

今年は皆さんにとってどのような一年だったでしょうか??

東日本大震災や原発事故による被災者の方に改めてお見舞い申し上げます。

弊社は創立25周年と言う節目を迎え、改めて今まで支えてくださっている皆様からの

暖かいご支持ご支援を改めて実感した1年でした。

今年一年を皆様と共に振り返り、感謝をもって締めくくりたいと思います。

来年が皆様にとりましてより良い年になりますよう、

お祈り申し上げます。

では、好いお年を!!!

 

なお新年は1月5日より通常通り営業させていただきます。・・よろしくぅ・・

 

 


日本三名鐘の一つ、京都神護寺の梵鐘

2011年12月27日 | オヤジのひとり言

12/2

 

 京の年の瀬・除夜の鐘②

 「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 (子規)」と俳句に詠まれているとおり、

日本の鐘(梵鐘)は、仏教寺院に強く関わっています。

 梵鐘は、中国で生まれ、仏教の伝来に伴って、朝鮮半島や日本にも伝わり。

東洋の梵鐘の特徴は、 

優美な形、 

東洋独特の装飾、 

荘厳な響きと余韻にあります。
 

「涼しさや 鐘を離るる 鐘の声(蕪村)」と詠まれ、

 「一里鳴って、二里響き、三里渡る」と言われているように、梵鐘の音には余韻があります。
 

「銘の神護寺」

 

あるいは「勢の東大寺」、

 

「姿(形)の平等院」、

 

「音(声)の三井寺(園城寺)」、
 

いわゆる「日本三名鐘」をはじめ、

日本にも、国宝や重要文化財に指定されている梵鐘が少なくありません。

 

日本三名鐘の一つ、京都神護寺の梵鐘をご紹介します。

この寺院の歴史は古く、

和気清磨呂が河内にあった神願寺とこの地にあった高雄山寺を合併して,

 神護寺と称したのが始まりです。

  809年から14年の間、唐から帰朝した空海(弘法大師)も住持し、

真言宗立教の基礎を築いた所でもあります。

現在の諸堂は大師堂(重文)を除き、応仁の乱で焼失したために、

1623年桜門、毘沙門堂、五大堂、鐘楼が再興され、

昭和10年に、金堂と多宝塔が新築されました。
 

神護寺の鐘は、貞観17年(875年)に鋳造されたもので、国宝に指定されています。
 

日本三名鐘の一つとして、「銘の神護寺」と呼ばれています。

 

詞書を橘広相、八韻の銘一首を菅原是善、藤原敏行が文字を揮毛したことに由来します。

当時の三絶によって銘が刻まれたことから、

 「三絶の鐘」とも呼ばれています。

つづく・・


みなさん今年のクリスマスをどのように過ごされましたか?

2011年12月27日 | オヤジのひとり言

みなさん今年のクリスマスをどのように過ごされましたか?

アフラックが、今年10月に全国の10~50代の男女1122名を対象に実施したクリスマスについての調査によると、

クリスマスの過ごし方としては「家族と過ごしたい」が約半数、

続く2位も「家族と食事に行きたい」が20.2%となり、

年齢を問わず家族と過ごすことに価値を見出している人が多いことがわかりました。

 今年の震災以降の社会トレンドである家族との絆を大切にするという傾向がここでも反映されているのではないかと思われます。

 一方、クリスマスにかける予算総額は、

1万円未満と回答した人が全体の77.3%で、

クリスマスにもらって嬉しかったプレゼントの想定金額が1万円未満と回答した人も計60.2%にのぼり、

「クリスマスプレゼントにおカネをかけるのは当たり前」という昔の価値観は薄れてきているようです。


 バブル世代の私たちの若い頃は、

クリスマスといえば、1年で最大にして最も熱いイベント、

当時の日本中の若い男女には、

「クリスマスを1人で過ごすのは絶対にイヤだ!」という

強迫観念ともいえる空気が蔓延していました。

 何がなんでもクリスマスまでに恋人をつくって、

銀座、青山あたりでフレンチのフルコースを楽しみ、

夜景のきれいなスポットで贈るプレゼントはシルバーのイヤリングかネックレス(指輪はやや“重たい”ので避ける)、

赤プリ(今年営業を終了した『赤坂プリンスホテル』の略称)に泊まって

シャンパンを開け、その後は……というのが

バブル時代のいわば“王道”といえるクリスマスの過ごし方。 

しかし、

クリスマス発祥の地の欧米では、クリスマスは伝統的に家族で過ごすもので、

日本でも1970年代から80年代初頭までは、

プレゼントはそうした欧米の伝統に則って親から子へ贈るものでした。

日本では一体いつ頃から、

クリスマスが恋人と過ごす日になっていったのでしょうか? 

歴史を紐解いてみると・・

そのきっかけになったのが、1980年に松任谷由実が発表したアルバム

『SURF&SNOW』の「恋人がサンタクロース」という曲だといわれています。

曲名と同じフレーズがとても有名になり 

続いて83年、

現在もクリスマスソングの定番とされる山下達郎の「クリスマス・イブ」がヒットし

「ひとりきりのクリスマス・イブ」はみじめだと思う風潮が一気に世に広まりました。

84年にはWham!(ワム!)が「Last Christmas」を発表、

クリスマスは恋人と過ごすというライフスタイルが

音楽とともに日本の若者たちに定着していったのです。 

それ以来、

男性誌も女性誌もクリスマスが近づくとこぞって

「恋人をメロメロにするクリスマスの過ごし方」

「クリスマスまでに彼(彼女)を見つけるには」

といった特集が組まれるようになり。

 当時のクリスマスプレゼントの定番アイテムとして

女性たちから絶大な支持を受けていたのがティファニーのハートブケスレット。

このアメリカの老舗ブランドが、

日本で今でも語り継がれる伝説を作ったのがバブル経済真っ盛り、

日経平均株価が市場最高値を付けた1989年のことでした。

 この年のクリスマス、

ティファニーの銀座三越店が売り切れで贈り物が買えなかった男性客のために、

恋人への釈明用の「売り切れ証明書」を発行したという

まことしやかな噂が広がったことは有名な話です。

 このように、バブル期のクリスマスは、20~30代の男性にとって、

いわば自身の男としての存在価値が問われる非常に重要な意味を持ったイベントだった。

だからこそ、一晩で10万円以上の出費を覚悟することもやむなしとして、

数ヵ月前、いや、1年以上も前から(たとえその時点で特定の彼女がいない場合でも)

イブの赤プリを確保するなど、

さまざまな準備を念入りに整えるのが当たり前だとされていました。

そして突然のバブル崩壊。

このゴージャス、いや、今思えばクレイジーなクリスマスの過ごし方も

いつしか消えて行ったのでした。

そんなバブル期のクリスマスを経験した者からすると、

調査結果で示された「20代男子のクリスマスにかける平均予算が1万2880円」

という今の時代と当時の大きなギャップを改めて痛感せざるを得ない。

 現代のいわゆる「草食系男子世代」から見れば、

われわれ「バブル男子世代」が当時クリスマスにかけていた意気込みは

滑稽ですらあるかもしれません。

そんな現代の「草食系男子」たちは

「嫌消費世代」ともいわれています。

が一部で高級商材が売れているというお話はあるものの、

世間一般では、「クルマが売れない」

「お酒が売れない」

「外食市場が伸びない」という企業の嘆きが聞こえて来ます。

最近のこうした嘆きは「クルマを買うなんてもったいない」

「アルコールは赤ら顔になるから飲みたくない」

「デートは高級レストランより家で鍋がいい」といった、

現代の若者世代の消費行動特性に大きく起因しているようです。

「持続可能でサスティナブルな社会」が指向される流れのなかで、

バブル期の大量生産、大量消費というライフスタイルはもはや時代遅れのようです。

 クリスマスを過ごすためにローンを組んでまでクルマを所有し、

本番前のロケハンにと日々おしゃれなレストランや夜景スポット、

雰囲気のよいバーをリサーチして……。

ある意味、バブル期のクリスマスは、

さながら

「女性への(主に経済的な)プレゼンテーション力を競う

“男性力検定”」的な側面もあったため、

男性の間では収入面でステップアップするために仕事も自分磨きもがんばろう、

というモチベーションになっていたことも事実のようです。

 ところが、クリスマスが男性にとって

「自分の男としての価値を試される厳しい戦いの場」ではなくなった昨今、

無理をしてクルマを買うことも、

見栄を張って高級なレストランへ行く必要もなくなりました。 

こうした時代の空気のなかで、今日の日本市場において、

かつては主要な消費者層であった20~30代の男性を対象とするマーケティングが最も難しいといわれるようになりました。

消費意欲がきわめて低い彼らのココロのスイッチを探すのは非常に難しいようです。

「居酒屋デートで割り勘」が当たり前に許される彼らの、

消費行動へのモチベーションは一体どこにあるのでしょうか? 

いろいろな調査で実感として見えてきたのは、

「草食系男子」は、他人よりも上に見られたいという差別化願望自己顕示欲が薄く、

また、自分の生活を快適にするための「実質消費」

地球の害にならない「エコ消費」のような

「自分に誇れる消費」を志向するということです。

ゆめゆめ、バブル世代のような「他人に誇る消費」にはまったく興味を示しません。 

彼らに消費行動をうながすポイントは、

「流行だから」

「みんながやっているから」というアプローチではなく

「あくまで自分の意思で、自ら選んだ」という

「自分の選択への満足・納得」を喚起することが重要なようです。

 

 自分のペースを守り、

突出することを好まない「草食系男子」に、

均一的な価値観を前提にしたバブル期のクリスマス理論は通用しないようです。

冒頭の調査結果に見える「おカネをかけないクリスマスの過ごし方」は、

今の若者のライフスタイルの一面を映し出していることは間違いないと思うのですが・・。

 


恋人がサンタクロース

2011年12月27日 | オヤジのひとり言

みなさんは今年のクリスマスをどのように過ごされましたか?

アフラックが、今年10月に全国の10~50代の男女1122名を対象に実施したクリスマスについての調査によると、

クリスマスの過ごし方としては「家族と過ごしたい」が約半数、

続く2位も「家族と食事に行きたい」が20.2%となり、

年齢を問わず家族と過ごすことに価値を見出している人が多いことがわかりました。

 今年の震災以降の社会トレンドである

家族との絆を大切にするという傾向がここでも反映されているのではないかと思われます。


 一方、クリスマスにかける予算総額は、1万円未満と回答した人が全体の77.3%で、

クリスマスにもらって嬉しかったプレゼントの想定金額が1万円未満と回答した人も計60.2%にのぼり、

「クリスマスプレゼントにおカネをかけるのは当たり前」という昔の価値観は薄れてきているようです。


 バブル世代の私たちの若い頃は、

クリスマスといえば、1年で最大にして最も熱いイベント、

当時の日本中の若い男女には、

「クリスマスを1人で過ごすのは絶対にイヤだ!」という

強迫観念ともいえる空気が蔓延していました。


 何がなんでもクリスマスまでに恋人をつくって、

銀座、青山あたりでフレンチのフルコースを楽しみ、

夜景のきれいなスポットで贈るプレゼントは

シルバーのイヤリングかネックレス(指輪はやや“重たい”ので避ける)、

赤プリ(今年営業を終了した『赤坂プリンスホテル』の略称)に泊まって

シャンパンを開け、その後は……というのが

バブル時代のいわば“王道”といえるクリスマスの過ごし方。 

しかし、

クリスマス発祥の地の欧米では、

クリスマスは伝統的に家族で過ごすもので、

日本でも1970年代から80年代初頭までは、

プレゼントはそうした欧米の伝統に則って親から子へ贈るものでした。

日本では一体いつ頃から、クリスマスが恋人と過ごす日になっていったのでしょうか? 

歴史を紐解いてみると・・そのきっかけになったのが、

1980年に松任谷由実が発表したアルバム

『SURF&SNOW』の「恋人がサンタクロース」という曲だといわれています。

曲名と同じフレーズがとても有名になり 

続いて83年、現在もクリスマスソングの定番とされる

山下達郎の「クリスマス・イブ」がヒットし

「ひとりきりのクリスマス・イブ」はみじめだと思う風潮が一気に世に広まりました。

84年にはWham!(ワム!)が「Last Christmas」を発表、

クリスマスは恋人と過ごすというライフスタイルが

音楽とともに日本の若者たちに定着していったのだ。

 それ以来、男性誌も女性誌もクリスマスが近づくとこぞって

「恋人をメロメロにするクリスマスの過ごし方」

「クリスマスまでに彼(彼女)を見つけるには」

といった特集が組まれるようになり。 

当時のクリスマスプレゼントの定番アイテムとして

女性たちから絶大な支持を受けていたのがティファニーのハートブレスレット。

このアメリカの老舗ブランドが、

日本で今でも語り継がれる伝説を作ったのがバブル経済真っ盛り、

日経平均株価が市場最高値(3万円寸前)を付けた1989年のことでした。

 この年のクリスマス、

ティファニーの銀座三越店が売り切れで贈り物が買えなかった男性客のために、

恋人への釈明用の「売り切れ証明書」を発行したという

まことしやかな噂が広がったことは有名な話です。 

このように、バブル期のクリスマスは、

20~30代の男性にとって、

いわば自身の男としての存在価値が問われる非常に重要な意味を持ったイベントだった。

だからこそ、

一晩で10万円以上の出費を覚悟することもやむなしとして、

数ヵ月前、いや、1年以上も前から

(たとえその時点で特定の彼女がいない場合でも)

イブの赤プリを確保するなど、

さまざまな準備を念入りに整えるのが当たり前だとされていました。

そして突然のバブル崩壊。

このゴージャス、

いえ、今思えばクレイジーなクリスマスの過ごし方もいつしか消えて行ったのでした。

そんなバブル期のクリスマスを経験した者からすると、

調査結果で示された

「20代男子のクリスマスにかける平均予算が1万2880円」

という今の時代と当時の大きなギャップを改めて痛感せざるを得ない。 

現代のいわゆる「草食系男子世代」から見れば、

われわれ「バブル男子世代」が当時クリスマスにかけていた意気込みは

滑稽ですらあるかもしれません。

そんな現代の「草食系男子」たちは「嫌消費世代」ともいわれています。

が一部で高級商材が売れているというお話はあるものの、

世間一般では、

「クルマが売れない」

「お酒が売れない」

「外食市場が伸びない」という企業の嘆きが聞こえて来ます。

最近のこうした嘆きは

「クルマを買うなんてもったいない」

「アルコールは赤ら顔になるから飲みたくない」

「デートは高級レストランより家で鍋がいい」といった、

現代の若者世代の消費行動特性に大きく起因しているようです。

「持続可能でサスティナブルな社会」が指向される流れのなかで、

バブル期の大量生産、大量消費というライフスタイルはもはや時代遅れのようです。

 クリスマスを過ごすためにローンを組んでまでクルマを所有し、

本番前のロケハンにと日々おしゃれなレストランや夜景スポット、

雰囲気のよいバーをリサーチして……。

ある意味、バブル期のクリスマスは、

さながら

「女性への(主に経済的な)プレゼンテーション力を競う“男性力検定”

的な側面もあったため、

男性の間では収入面でステップアップするために仕事も自分磨きもがんばろう、

というモチベーションになっていたことも事実のようです。 

ところが、

クリスマスが男性にとって

「自分の男としての価値を試される厳しい戦いの場」ではなくなった昨今、

無理をしてクルマを買うことも、

見栄を張って高級なレストランへ行く必要もなくなりました。

 こうした時代の空気のなかで、今日の日本市場において、

かつては主要な消費者層であった20~30代の男性を対象とするマーケティングが

最も難しいといわれるようになりました。

消費意欲がきわめて低い彼らのココロのスイッチを探すのは非常に難しいようです。

「居酒屋デートで割り勘」が当たり前に許される彼らの、

消費行動へのモチベーションは一体どこにあるのでしょうか? 

いろいろな調査で実感として見えてきたのは、

「草食系男子」は、

他人よりも上に見られたいという差別化願望自己顕示欲が薄く、

また、

自分の生活を快適にするための「実質消費」

地球の害にならない「エコ消費」のような

「自分に誇れる消費」を志向するということです。

ゆめゆめ、バブル世代のような「他人に誇る消費」にはまったく興味を示しません。

 彼らに消費行動をうながすポイントは、

「流行だから」

「みんながやっているから」というアプローチではなく

「あくまで自分の意思で、自ら選んだ」という

「自分の選択への満足・納得」を喚起することが重要なようです。 

自分のペースを守り、突出することを好まない「草食系男子」に、

均一的な価値観を前提にしたバブル期のクリスマス理論は通用しないようです。

冒頭の調査結果に見える

「おカネをかけないクリスマスの過ごし方」は、

今の若者のライフスタイルの一面を映し出していることは間違いないと思うのですが・・。

 

 

 


ちゃっかり自社製品を展示したりして、

2011年12月27日 | オヤジのひとり言

12/27

  

千年の古都のタイムトンネル 

京都の歴史 その弐百八拾

  

現在では、めっきり町家が少なくなり、

 

それに替わって会社のビルやマンションが多くなったが、

 

それでも古い家では町家飾りをするし、

 

会社のビルでも自慢の美術品や、

 

ちゃっかり自社製品を展示したりして、

 

屏風祭り 』の伝統は、

 

形を変えて続いていくようです。

 

今回はここまで・・   

 

続きは次回に・・    

 

電話かFAXで、メールでお気軽に・・

 

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京都南部の不動産は京都エステートへご相談ください。

 

 

 

 

只今at home webより、より詳しい最新情報が見られます。

 

オールジャパンで頑張ろう!! 東日本にエールを・・

 

 必ずや立ち上がってくれると・信じてる。

 

5年10年掛かるかも知れないけれど・

 

ずっと・ずっと・応援してる・

 

みんなでがんばろう!! 日本

 

 


東日本大震災を機に住まい選びにも変化が

2011年12月26日 | オヤジのひとり言

③12/26

 

東日本大震災を機に住まい選びにも変化が

 

 3月に発生した大震災では、

 

震源に近いエリアのみならず、

 

首都圏でも交通網のマヒにより帰宅困難者が大量発生したり

(帰宅難民なる言葉まで)、

 

東京湾周辺では液状化現象も各地で観測されました。

 

また、原発の稼動停止による電力不足は全国に広がり、

 

震源地から遠く離れた関西や九州などでも猛暑の中での節電が社会的な課題に浮上しました。

 

 そんな中、住宅を選ぶ人の意識にも変化が見られ、

 

いざと言うときに支え合える地縁や血縁などの「つながり」が改めて見直され、

 

地盤の強さや災害に備える「防災」に関心が高まり、

 

節電や非常時の対応の観点から、

 

省エネなど「エコ」にも目が向けられました。

 

 

エコポイントなど住宅優遇制度の復活

 

 震災直後こそ自粛ムードが広がった住宅市場ですが、

5月のゴールデンウィーク明けには落ち着きを取り戻し始めました。

当初は景気対策として始まった住宅エコポイントや

 

フラット35Sの拡充なども住宅購入を後押ししましたが、

 

予想外の人気の高まりで相次いで打ち切りになった。

 

しかし、

 

9月に新内閣が発足すると、

 

早々に住宅優遇制度の復活が議論され、

 

補正予算で実施が決定され、

 

そして家を買う人たちにも気になる消費税も含め、

 

来年度以降の税制の見直しも進められている。

 

 

 

 


目出度しめでたし・・

2011年12月26日 | オヤジのひとり言

12/26

  

千年の古都のタイムトンネル 

京都の歴史 その弐百七拾九

  

京都の烏丸四条や室町界隈の

 

鉾町といわれるこの地域は、

 

繊維関係の多い室町と呼ばれる所で、

 

宵山のこの日は、そうした町家でも、

 

表を開け放して、夏の籐筵を敷き、

 

所蔵する自慢の屏風を飾り、花を生けて、お迎えする。

 

親しい人や親戚縁者を招いて、

 

仕出し屋さんからとった季節料理や茶菓を出しておもてなしを・

 

そのために、『 屏風祭り 』の名があります。

 

かっては、年頃の娘に着物を着せてお茶を出させ、

 

それとなく人に見せて、縁談のきっかけにしたという。言い伝えもあります。

 

知人の一人もこの口で一目惚れして今も幸せ??に・

 

来年は初孫が出来るそうです・・目出度しめでたし・・

 

 

今回はここまで・・   

 

続きは次回に・・    

 

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 必ずや立ち上がってくれると・信じてる。

 

5年10年掛かるかも知れないけれど・

 

ずっと・ずっと・応援してる・

 

みんなでがんばろう!! 日本