オヤジのひとり言

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漉き娘??

2014年02月22日 | オヤジのひとり言

好き娘??

漉き娘??

寿喜娘・

先日の休日に北陸へ蟹喰いに行きました。

満腹満足帰り道は腹をさすりながらの蟹歩き状態。

もう蟹の話は勿論、

蟹を見るのもいやに為るほど蟹の食い納め、

 

帰りに見つけました。越前の地酒「寿喜娘」

タイトル曰く

 越前の国『福井』は白山山系に源を発する清らかな水に恵まれ、

特に「今立町」は世界にその名を馳せる越前和紙の産地。

冷たく澄んだ水で、一枚一枚丹念に漉きあげる越前和紙は、

味わい深く、暖かく、日本人の美意識と繊細な技が生んだ芸術品。

このすぐれた和紙を漉きあげてきた越前の水が酒造りにも適していることは、

いうまでも無い。

特に継体天皇のころから、越前和紙の漉き水に用いられている、

通称「不老のお清水」 (赤岩の間から湧き出る天然の霊水)を仕込み水に、

元冶元年に酒蔵を造ったと言う「寿喜娘」

雪深く弥陀も舞ふかや寿喜娘 勉

これは (水上 勉 ) さん作だそうです。

このように詠われている「寿喜娘」は、

真心を込めて漉き上げる清純な紙漉く娘の姿にちなんで名づけられたそうです。

 

かに淡いブルーのきれいな四角い瓶に、和紙のラベルが・・

清楚な感じで・・

飲み口もすっきり、

淡麗な辛口と言うより・・チョイ甘かナッ??

 

 

 


レジェンド葛西5つの要因

2014年02月17日 | オヤジのひとり言

 ソチで銀メダルに輝いた41歳の葛西。

史上最多の冬季五輪7度目出場にして、

初めて個人メダルを手にした“レジェンド”は、

なぜ銀メダルの栄冠をつかむことができたのか??。???? 

1つ目の理由としては、ジャンプ技術レベルが高いこと

葛西の「遠くへ飛ぶための技術」は世界一。

ジャンプチームの横川コーチは

「葛西は(踏み切りで)踏み外しても、(リカバリーをして)他の選手と同じくらい飛べる自信がある。

もちろん、踏み切りのタイミングが合えばダントツ。

そして、空中の進みも世界で一番速いジャンプ」と。


 2つ目は、全体を通して「難しい風が吹いた」という悪条件があった。

ジャンプは、風の影響を大きく受ける競技。

風によっての運不運はあるが、

風が吹くことで技術のある選手と劣る選手とで差がつきやすい。

この日の風は、ジャンプ台の右半分と左半分で違う風が吹いて、

選手によっては右に流れる者、

左に流れる者、軌道にばらつきがあった。

 しかし葛西は、2本ともまっすぐな大ジャンプを見せた。

横川コーチは「2本ともパーフェクト。

ノーミスだった。

決勝は、これで良いのかというくらい難しい風だったが、

葛西は、条件としては130メートルに届かなくてもおかしくないような状況であれだけ飛んでいった。

もう、最高のジャンプだと思う」と称えた。 

この日は風の影響で試技がなくなった。

けれども葛西は「本当は、試したいことがあったので、

試技を飛びたかったけど、風の調子も微妙だと分かっていたので、

すぐに頭を切り替えました」と動じることはなかった。 

3つ目の理由は、再発した腰痛を逆手に取れたこと

9日にあったノーマルヒルの決勝で、

葛西は、着地の衝撃で持病の腰痛を再発させた。

翌日以降は、練習を休んだり、出たりしながら、

コンディションの良し悪しをライバル勢に把握させなかった。

コーチによると、

「葛西は、すでにソチ入りする前にジャンプの完成形を手に入れていた。

それを本番でできればメダルに届くという自信があった。

だから、

スタッフも『思い切って休んでいこう』と。

逆に、練習に出て来ないことで、

各国のコーチ陣や選手達は振り回されていたと思う。

『また寝てるのか?』という感じだった」。

つまり、

ケガの巧妙で、ライバルたちを心理的に不安にさせることができたのだ。 

4つ目は、葛西自身の“兄貴力”とも言えるリーダーシップから生まれたチームの結束。

葛西が2本目のジャンプを133.5mとまとめると、

その瞬間、すでに飛び終えていた3人の後輩たちが一斉に葛西に駆け寄って行った。

この時点でメダルは確定していた。 

竹内が、「本当にかっこいい」と言えば、

伊東は「紀(のり)さんがメダルを獲ってくれて、うれしい。

いい先輩を持ったなと、つくづく思う」と感慨深げ。

最年少20歳の清水は

「日本人の先輩がメダルを取る瞬間にいることができてうれしい」と称えた。

同じ国といえど、個人戦ではライバルだが、

彼らには、互いにリスペクトする気持ちがある。

そして何より、

葛西が、今なお見せる凄さが、後輩たちの心をつかんでおり、

その日本チームの結束ムードが41歳のジャンパーの快挙を後押しした。

コーチは「今日は若手が皆、葛西の援護射撃をしてくれたと思う。

全員トップ10近くにいた。

そういう意味で、葛西も気楽にできたと思う」と説明。

葛西は「すぐに竹内と伊東と清水が走ってきて、

『紀さん、勝ちましたよ』と言われたので、

涙が出そうなぐらいうれしかった」と相好を崩した。

 5つ目にマルチサポートハウスや用具を提供する周辺の支援体勢も良かった。

ロンドン五輪から設置され、威力を発揮しているマルチサポートハウスは、

ジャンプ勢のコンディショニングにも貢献。

風呂、食事、トレーニングルーム。

さまざまな面で日本人スタッフのきめ細やかな協力が得られることで、

選手はよりリラックスしながら戦闘態勢を整えられる。

 ジャンプスーツを提供しているミズノからは、

「クラフトマン」と呼ばれるジャンプ用具専門の担当者が、

ジャンプ台近くの山小屋にミシンを持ち込んで住み込み、

アクシデントや選手からの要望に応えられるシステムが。 

試合後の表彰式。表彰台に飛び上がって喜びを爆発させた葛西は、

報道陣エリアに来ると顔なじみの記者と抱き合って喜んでいた。

何もかもが突き抜けての銀メダルに、

「自分で自分を褒めたい。

リレハンメルの団体の銀メダルとは比べものにならないうれしさです」と。
 

17日には団体がある。

ラージヒルに出場した日本選手の順位は、

葛西2位、

伊東9位、

清水10位、

竹内13位と、平均して高い。

10位以内に3人が入ったのは日本だけ。

葛西の銀メダルの勢いに乗った日の丸飛行隊は、

今度は、長野五輪以来の金メダルを狙う。

 

ガンバレ!! ニッポン!!

 


レジェンド葛西がやってくれました。

2014年02月16日 | オヤジのひとり言

レジェンド葛西がやってくれました。

悲運のオジサンジャンパーが・・

俺が

今回の葛西と共に注目していた、

フライングイーグルのニックネームを持つ。

フィンランドのスキージャンパー ヤンネ・アホネン

早くからその才能を見込まれ、

1994年リレハンメルオリンピック代表に16歳の若さで選ばれる。

また、1993年と1994年のジュニア世界選手権で個人・団体2年連続2冠を成し遂げた。

ワールドカップでは史上第3位の通算36勝(2位44回、3位28回)、表彰台合計108回は史上最多。

2003/04シーズンと2004/05シーズンの2年連続総合優勝。

ほかに総合2位が2回総合3位が4回。

2004/2005シーズンは史上最多(当時)のシーズン12勝と最多タイの6連勝を記録。

2005年にはプラニツァのフライングで240mの史上最長飛距離を記録。

世界選手権では1997年のノーマルヒルと2005年のラージヒルでともに優勝。

通算で10個のメダルを獲得。

伝統あるスキージャンプ週間では史上最多、5度の総合優勝を成し遂げている

(1998/1999、2002/2003、2004/2005、2005/2006、2007/2008)。

しかしながらこのアホネンでさえオリンピックではその実力を発揮できず、

1998年長野オリンピックではノーマルヒル4位、ラージヒル37位、団体5位、

2002年ソルトレイクシティオリンピックではノーマルヒル4位、ラージヒル9位、団体銀メダル、

トリノオリンピックではノーマルヒル6位、ラージヒル9位、団体銀メダル、

オリンピックの個人種目の金メダルはない。

試合後の勝利者インタビュ-などで表情をあまり変えずに応対することから、

マスコミからは「鉄仮面の男」とも。

しかし、

それはジャンプへの人一倍真摯な姿勢の裏返しでもあるのか?

その反面最愛の息子の話になると饒舌になり、笑顔を。

2008年3月26日に一旦現役引退を表明

同年7月9日には地元ラハティのノーマルヒルで引退試合が行われ、

各国からともに競ったライバルたちが集い、

偉大な選手の現役引退に花を添えた。

3ヶ月間ジャンプのトレーニングをしていなかったが、

2本とも最長不倒を記録して優勝。

当にフライングイーグル

しかし、
2009年3月9日にバンクーバーオリンピックに向けて現役復帰を表明、

年末のジャンプ週間では2位が2回、3位が1回と3度表彰台に登り、

復活を印象付けるなか、悲願の金メダルを狙った

2010年バンクーバーオリンピックはノーマルヒルでは五輪3度目の4位、

ラージヒルは1回目16位のあと2回目を膝のけが悪化のため棄権し31位、

団体戦は欠場と不本意な成績に。

その後もフィンランド代表として活動を続けたが、

2010/2011シーズンをもって再び現役を引退した。

しかし、

2013年1月10日、ソチオリンピックで悲願の個人メダルを獲得することを目指し、

再び現役復帰を表明。

一方・レジェェンド葛西にもこんな秘話が・・

オジサンジャンパー葛西には難病を抱えていた妹がいる。

冬季五輪で金メダルという目標も、

当初は妹を勇気づけるのが目的だったという。

また自身の心の支えとなった歌としてかぐや姫の「妹よ」を。

ジャンプ時の空中姿勢は、

身体をスキー板より前に出るほど深く前傾させる。

その独特のフォームはジャンプの本場・欧州で人気があり、

ワールドカップ総合3位に入った1992/1993シーズン頃から

「KAMIKAZE・KASAI」(カミカゼ・カサイ)と呼ばれている。

2010年のバンクバーオリンピック競技終了後には、メ

ダルを獲得したわけでもないのに海外数十人の記者による取材の輪ができた。

その長年の競技実績と人気から

各競技会場では葛西が登場すると観客から大きな拍手が起こる。

40歳を越えて第一線で競技を続ける姿は海外の選手からも尊敬を集める存在で。

今年1月11日にワールドカップ史上最年長優勝を達成した際には、

日本以外の多数の選手・コーチから、

とりわけワールドカップ史上最多勝記録を持つ

グレゴア・シュリーレンツァウアーからは脱帽しての最敬礼での祝福を受けたほか、

競技会場・オーストリアの地元紙は複数が1面トップでこれを報じ、

ドイツの公共放送ARDは、

「「驚異」という言葉はこれからは「カサイ」にすべき」と賞賛したという。

レジェンド葛西の活躍に

どれほどのオジサン達が元気をもらったことか・・

 

                        

 


ナニコレ・この陽気

2014年02月04日 | オヤジのひとり言

今日は節分

なのに?

ナニコレこの陽気。

家に帰って、

いつものように風呂上りに冷蔵庫から缶ビールをプシュッ

ん?

「内容量:350ml」の表示

横にある別のメーカーの缶コーヒーには「内容量190g」とある。

内容量表示が違うのはなぜ??

メーカーによって内容量表示が違うのはなぜ?

どうでも良いことだけど・・なぜか気になるオヤジ・・

 

同じ単位で表示してくれれば何もこんなに悩むこと無いのに・

そもそも表示が統一されていないのは、

計量法と言う法律で、

内容量表示はmlとgのどちらを使ってもよいと言う事になっているらしい。

早い話、メーカーが独自の判断で使い分けているらしい。

ペットボトルの場合、

大抵のメーカーが「350ml」「500ml」というふうにmlで内容量を表示している。

これは、そのむかし飲料が瓶で売られていた頃、

枡で量って瓶詰めしていたために、

内容量を示す単位の基本がmlだったことの名残だそうです。

 ならば缶もml表示で良いようなものだがぁ~・

缶の場合は、

ペットボトルと異なり中身が見えないので、

一度中身を出さないと正しい量が入っているのかどうかの確認が出来ない。

だから缶を検品するときに、

中身を出さずにそのまま計量出来る g 表示のほうが都合が良い。

また、

缶入り飲料の登場の前から売られていた缶詰食品に習って、g 表示をしていると言う事情もあるようです。

 現在では、メーカーによって缶飲料の表示は違うようですが、

ビールや缶酎ハイなどのアルコール飲料は、

缶であっても全てのメーカーが ml 表示をしている。


これはアルコール飲料の場合、

公正競争規約によって ml 表示が義務付けられている為。

 ビール等のアルコール飲料の製品が多いキリンでは、

ジュース類なども全てml表示をしているが、

逆にお茶で有名な伊藤園は、

ペットボトルは ml 表示だが、缶飲料はすべて g 表示だ。


内容量の単位表示には、

何がメーカーの主力製品なのかが反映されているんですねぇ。


そんなことを考えながら缶ビール飲んでたら・・

4本目プシュ・・だんだん頭が冴えて来て・・・さっぱりだわぁ~