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千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その395
鴨川の西木屋町通り沿いをを流れる瀬の浅い小川を「 高瀬川 」という。
角倉了以によって開かれた運河で、
角倉というのは、本来は嵯峨にあった金融業を商う土倉の名で
もともとの姓は吉田といい代々医術を家業とする一方で、
酒屋や金融業を営んで土倉になった。
角倉了以の「 了以 」は法号で、本名は光好という。
彼は分家の出身で、本家角倉栄可の娘を妻に娶り、
常に岳父栄可の指導を受けながら、
その配下で家業の金融・貿易の業務に従事し、
慶長8年 ( 1603 ) には、
幕府の命令で越南 ( ベトナム ) と朱印船貿易をはじめて、莫大な富を得る。
その一方で翌慶長9年には、保津川を開削して舟を通すことによって、
京都山城国と丹波国間で交易することを計画した。
もともと保津川 ( 桂川 ) の上流にある山国庄からは材木が筏に組まれて、
嵯峨の大堰で陸揚げされ京都へ建築資材として運ばれていたが、
それに加え高瀬舟を通行させ、
米や雑穀、薪炭・塩・鉄などを輸送しようとするものでした。
幕府の許可を得て、苦労の末完成したのは、二年後のことです。
了以は自ら現場に立ち、水路を造ると同時に、
水路に沿って舟を上流に引き揚げる綱を引くための人夫道も整備した。
現在、観光ルートになっている保津川下りは、
この水路を受け継いだもので今でも観光客に大好評です。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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