オヤジのひとり言

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中国の伝説

2015年05月31日 | オヤジのひとり言

一方、

中国の伝説によれば、

じょうが という女性が不死の薬を飲んだところ、

身体がふわりと浮き上がって満月のなかに入ってしまいます。

月の宮殿は一本の桂の木と、

薬をつくるウサギがいるだけの

殺風景なところでした。

その後、

じょうが はガマガエルになって、

一人淋しく月に住んでいるという。

日本では月のウサギは餅をつきますが、

これは稲作文化による変容といわれ、

中国では薬をついているわけです。

この薬こそ、

じょうが が飲んだという

不死の薬なのでしょう。

かぐや姫もまた、

月の宮殿に帰る際に竹取の翁に

不死の薬を残したとされている。

 


例えばアフリカでは

2015年05月30日 | オヤジのひとり言

アフリカを中心として広く伝えられている

物語のパターンは、

昔、月が人間を不死にしようととして、

月のもつ不死の能力を不死の水などを使者に託します。

ところが、

使者の悪意(うっかりミス?)によって

せっかくの月の慈悲が無駄になり、

人間は死すべき運命に落ちるといった話です。

使者として登場するのは、

ウサギ、

いぬ、

トカゲ、

カメレオン、

水を飲む男など、

話によってはさまざまですが、

これらのは

月の表面の模様から生み出された

イメージから来ているのでしょうね。

 

 

 


月にまつわる不死再生

2015年05月28日 | オヤジのひとり言

月にまつわるさまざまな不死再生伝説が、

多くの民族にとって、月は付し再生の象徴だった。

死んで再び甦る月の生命力は非常に強力で、

月が生命の源であるとか、

月の宮殿には不死の薬や

若返りの水があると信じられていました。

そのため、

月の模様には、

それらに付随する不死再生の伝説が伴っている例が

数多く見られます。

 


芋名月と栗名月

2015年05月26日 | オヤジのひとり言

芋名月と栗名月が9月十三日夜・・

いずれにしても、美しい月をじっくり眺めて楽しむには、

この季節が最もふさわしいことは確かなようです。

事実酒も美味い季節だしねぇ・・

ましてや実りの秋収穫に感謝もこめて・・

東の空から昇ったばかりの満月は、

当にお盆のような、・・

とても大きく綺麗に見えます。

日本では月の表面の黒い模様を

ウサギの餅つきに見立ててきましたが、

世界各地には、実にさまざまな見方が伝えられています。

例えば、片腕のカニ、

女性の横顔、

ガマガエル、

吼えるライオン、

ワニ、

ロバ、

水を汲む男、

魔法使い、

本を読む女性、

芝刈りのお爺さん、

などなど、果たしてそのように見えるかどうか、

お月様を見るときに確かめてみるのも・・

また一興ですね。

一杯呑りながら・・・

 


なぜ?15夜

2015年05月24日 | オヤジのひとり言

なぜ?

この15日に選ばれたのかは、

実は定かな根拠がないようですが、

各地に伝わるお月見の行事内容を見ると、

秋の収穫祭としての色合いが非常に濃いようですが、

稲の収穫には少し早すぎる時期です。

一説に、

中秋の名月は「芋名月」とも呼ばれ、

里芋を供えることから、

里芋の収穫祭だろうとも言われています。

 

稲の収穫祭として、

9月13夜の「後の月」(栗名月)に

もう一度お月見をするようになったというのですが、

収穫祭としての意味は?

後から付いてきたような気もするのですが・・・

 


15 夜の月

2015年05月23日 | オヤジのひとり言

中秋の名月

旧暦では7月から9月の三ヶ月が秋とされている。

ちょうどその真ん中、

旧暦の8月15日の月を

「中秋の名月」と呼んでいます。

単に「15夜」といえばこの日をさし、

古来より、各地でお月見の行事が盛んに行われてきました。

同じような習慣が中国や韓国をはじめ、

東アジアでは広く分布していて、

この習慣はどうやらアジア大陸が起源のようです。

 旧暦は月の満ち欠けをもとにしているため、

日付からだいたいの月の形がわかります。

しかし、月の軌道は楕円の為、

中秋の名月がぴったり満月の日になるとは限りません。

年によっては、

満月から2日ほどずれてしまうことがありますが、

お月見は日付優先で8月15日に行われています。

 


占星術

2015年05月21日 | オヤジのひとり言

占星術では背景の星座は無視して、

春分点から機械的に定めた

黄道12宮のみを考慮することになっています。

したがって、

生まれたときに太陽が「かに座」にあった人は、

占星術上では「獅子座」生まれとされ、

ライオンのような勇敢な性格を持っているといわれるわけで、

現代では論理的整合性が無くなっている。

その上、

1928年に星座の境界線が定められた結果、

太陽は12星座だけではなく、

かなりの期間「へびつかい座」も横切るようになってしまいました。

これらのことから、

最近では実際に太陽が通過する13星座をもとにした

「13星座占い」なるものも登場しています。

でも、

それじゃ13星座の占いのほうが正しいのではないの?

なんて声が聞こえてきそうですが・・

まあ、

どっちにしても占いのことですからぁー

結局は・・

アナタがそれを、

信じるかどうかの問題なのですから。

 

 


12星座と12宮

2015年05月20日 | オヤジのひとり言

占星術を読み解いていく上で

特に注意する必要があるのは、

黄道12宮は天球上の単なる区画に過ぎないということです。

実際の12星座がきちんと12宮に

対応しているわけではありません。

星座を表わす場合はひらがなで「おひつじ座」、

12宮の場合は伝統的な「白羊座」

という名称を使って区別しています。

そして占星術で意味をもつとされているのは、

星座ではなく「宮」のほうなのです。

そのような二重構造が生じる場合は、

地球の歳差運動によって春分点の位置が

少しずつずれてるからです。

黄道12宮が定められたギリシア時代には、

確かに「白羊座」という部屋のなかに

「おひつじ座」の星星がすっぽり入っていて、

星座によって大きさの違いがあるとはいえ、

さほど問題ではありませんでした。

それが約2000年の間にほぼ一星座分ずれてしまって

今では「白羊座」のなかに「うお座」の星☆たちが入っています。

このずれは将来ますます大きくなっていき、

二万五千年後にやっと一周してもとの位置に戻ります。

なんとも壮大な話でありますなぁ~

日々の小さな悩みなんて・・

くそくらえっ・・・て感じですなぁ

 

 


ホロスコープ

2015年05月18日 | オヤジのひとり言

ホロスコープの解説は、

12宮の性質に加え、

其々の惑星の意味や相互になす角度(アスペクト)、

出生時に東の空から上昇しつつあった宮(アセンダント)など

さまざまな関連を考慮して総合的に行われます。

アスペクトは120度の角度をなす関係がよいとされ、

30度、90度の角度をなす関係は悪いとされています。

相性占いで、

さそり座生まれとうお座生まれが相性がよいとされるのは、

120度の角度をなすからですが、

要するに、

天蠍宮も双魚宮もおなじ「水」の宮になるからです。

いて座生まれとうお座生まれは90度の角度で、

火と水ですから相性がよくないとされるのも当然ですね

紀元前2世紀、

プトレマイオスは「アルマゲスト」によって

古代の天文学を集大成しましたが、

一方で「テトラビブロス」という占星術を著し、

占星術の集大成も行っています。

現在色々な雑誌に掲載されている「星占い」の源流は、

この「プトレマイオス」の書までさかのぼるのです。

 


12 宮について

2015年05月16日 | オヤジのひとり言

黄道12宮それぞれのせいしつについては、

獅子宮は「勇敢」といったように、

星座のイメージが当てはめられました。

そこにさらに、

「世の中は男と女だけだから12宮も男と女だけだろう」

というようなギリシア独自の哲学的意味が拭かされ、

男女2性、

行動の3特性

4元素が12宮に機械的に割り振られました。

3特性は人間の行動のパターンで、

単純にいえば、

運動宮は創造的、

不動宮は保守的、

流動宮はその中間段階で破壊的だとされています。

したがって、

例えば白羊宮は、

男性的で創造的で火のように情熱的であるというように、

それぞれの宮の性格が決まっています。

 

 


黄道12宮

2015年05月15日 | オヤジのひとり言

惑星たち(占星術では太陽と月も含めて7惑星)は見かけ上、

黄道付近を往来します。

ギリシア人(一説によるとヒッパルコス)は

バビロニア伝来の星座のもとに、

黄道を中心とした約16度の幅をもった

帯状の区域(獣帯)を定め

春分点を出発点として

30度ごとにきちんと区切って整頓しました。

その12個の長方形の区画が

「黄道12宮」で、

ホロスコープ上で

人の運命を占うための基本要素となっています。

 


ホロスコープ

2015年05月13日 | オヤジのひとり言

古代バビロニアの占星術が

やがてギリシアに伝えられると、

占星術の天宮図(ホロスコープ)を使って

個人の運勢を占うものに変化していきます。

ギリシアの哲学者達は、

人間は生まれたときの星の配置によって

その一生が決まると考えたようです。

「太陽が季節の変化という多大な影響を及ぼすからには、

個人にも計り知れない影響を与え、

その人の魂に特定の性格が刻まれるに違いない」

「しし座はライオンの果敢なことや支配者的精神が宿っているはずだ。

夏が暑いのは太陽がしし座にあってその影響を受けるからだろう

そのとき生まれた子は、果敢な性格を持つようになる」

などと考えたようです。

ホロスコープは出生時の展開の状況を図にして表わしたもので、

「時の見張り」という意味です。

いわば、

人の運命を読み取るための時間の望遠鏡といったとこです。

 


古代バビロニアでは

2015年05月11日 | オヤジのひとり言

こうして古代バビロニアでは

太陽神シャーマシュと月神シンに加え、

水星、金星、火星、木星、土星の

5つの惑星が天空神として崇拝対象となり、

その7柱の神々の動きが

組織的に観測されるようになりました。

この頃の占星術は、

現在のような個人の運勢を占うものではなく、

政変、干ばつ、疫病などといった一

国の大事を占うものでした。

そして、

占星術は、

古代の学問体系の重要な基礎の一つとなっていったのです。

 

 


占星術のはじまり

2015年05月09日 | オヤジのひとり言

惑星は、星座のなかを、

毎日毎日少しづつ移動していきます。

金星はほぼ9ヶ月ごとに

夕方の空と明け方の空に交互に現われ、

木星は12年で空をぐるりとひと回りします。

メソポタミア文明を築き上げ、

最初に星座をつくったと言われるシュメール人は、

惑星の存在にも早くから気付いていたようです。

星が空の天井の模様だと思っていた彼らにとって、

惑星の複雑な動きはとても不思議なことだったことでしょう。

彼らはこれを神の兆候だと考えました。

 原始社会では、

自然界の森羅万象を擬人化・神格化し、

崇拝の対象としていました。

太陽は雲に隠れることによって、

やがて恵みの雨が降ることを教えてくれるわけです。

その類推から

「天に特別な兆候が現われたら、それは、やがて起こる大事件を示している」

とされたのも、違和感なく受け入れられていたようです。

彼らにとって「予測」と「予言」は同じレベルのことだったようです。

 

 


古代中国では

2015年05月08日 | オヤジのひとり言

古代中国でも古くは新月(今でいう三日月)を

月初とする暦を使っていたようですが、

やがて天文学の進歩に伴って

朔日を月初とする新たな暦が作られました。

そして、

かって新月のことは、

月が出ると書いて「月出」ひ呼びました。

また大陰暦では一年の長さが354日となり、

暦と季節が毎年約11日ずつずれていきます。

そこで、季節の基準点として、

夏至、冬至などを含む24節気を定め、

これをもとに19年間に7回のうるう年

(1年を13ヶ月とする)を設け、

暦と季節を合わせる手法が編み出されました。

1年の始まりは、最初は太陽の復活する冬至とされたのですが、

のちに立春に改められた。

この暦は、月の満ち欠けをもとにしながらも、

太陽暦の一種であるともいえます。

このようなタイプの暦を「太陰太陽暦」と呼ばれています。

 日本で明治5年まで使われていた「旧暦」は、

この中国の暦を模倣して作られたもので、

朔を「ついたち」、

月出 を「みかつき」と訓読みしています。

今でも私達は毎月1日を「ついたち」

と読んでいますが、これは「月立ち」が訛ったもので、

本来は朔日を意味する言葉だったというわけです。