宮城県の松島に住む、大学時代の友人夫妻から
「元気でいます」、というメールが届く。
海も川も近い自宅に津波が押し寄せることもなく
被害も最小限で済んだそう。
それでも、松島の海岸や近隣の市町村の被害は
「言葉も出ない」状態だという。
役所勤務のだんなさんは、震災後、市庁舎に泊り込んで
避難所の運営に関わっていたそう。
現在は、通勤につかっていた路線は津波に流され、
片道15キロ、自転車と徒歩で「元気に通っている」という。
その様子に悲壮感はない。
自宅や家族は無事とはいえ、非常事態の、大変な毎日なのだと思う。
自分たちの住む町が壊れてしまったのを目の当たりにしている。
その中にいて、この災害に押しつぶされまいとする力強さ、
自分なりのやり方で、気持ちを落とさないようにしている、
そんな様子が伝わってきて、ハッとした。
被災者によって、置かれている状況に差があるので
同じ目で見ることはできないけれど
被災者の中にも、友人夫妻たちのような人たちが多くいる。
私たち(私個人)は、より悪いほうへ悪いほうへと同調してしまいがちで
そのムードに流されがち。
何か買い物するにも、出かけるにしても、
「こんな時期に、なにしてるんだろう」という罪悪感がつきまとう。
世間にある、自重ムードのような。
「桜を見て酒盛りしてる場合じゃないでしょう」という人の言葉に
簡単に賛同してしまうような。
間違ってないと思うけど、自重しすぎることで
気分的にも停滞していくことが、いいとは思えない。
停滞が、まかり間違って、自分の思いとそぐわない人たちに対して
攻撃的な気分も生んでいるような。
新聞に、避難所で小学生くらいの女の子が、
2、3歳くらいの子たちに絵本の読み聞かせをしている写真が載っていた。
柔らかな光を感じた。
友人夫妻の様子にも、かつての松島の海の輝きのような光が。
地震以来、頭であれこれ思って、心配したり不安がったり、
何してるんだろう、と思う。
何が正しいとか、わからないし
何ができる、ともわからないけれど
自分を見失わない、光を見失わない。
ぼんやりしている間にも、前へ、前へと動き出しているのだから。