玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

道は開ける

2007年02月09日 | 日々思うことなど
デール・カーネギーって最近はあまり読まれていないのだろうか。
私が中高生のころはどの学校の図書館にもあって先生や司書に「いい本だから読みなさい」と勧められたものだが。

活字中毒R。 - 「悩むこと」と「考えること」の違い
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不安とトラブルは違うと書きました。
 そもそも、「考えること」と「悩むこと」は違うのです。
 僕は22歳で劇団を旗揚げしました。今と違って、学生劇団からプロを目指すなんて、誰もやっていませんでした。当然、旗揚げの時は、不安でした。
 早稲田大学演劇研究会という所にいたのですが、先輩が、僕に、「鴻上、劇団、どうするの?」と聞いてきました。
「今、どうしようか考えているんですよ。旗揚げしたほうがいいのか、やっていけるのか……」
 と答えると、その先輩は、
「考えてないじゃん、悩んでるんだろう」
 と言いました。えっ? という顔をすると、先輩は、
「考えることと悩むことは違うよ。考えるっていうのは、劇団を旗揚げして、やっていけるのかどうか――じゃあ、まず、今の日本の演劇状況を調べてみよう。自分がやりたい芝居と似たような劇団はあるのか、似たような劇団があれば、どれぐらいのお客さんが入っているのか、自分の書く台本は演劇界の中でどれぐらいの水準なのか――そういうことをあれこれ思うのを考えるって言うんだよ。当然、調べたり、人に聞いたりもするよね。悩むってのは、『劇団の旗揚げ、うまくいくかなあ……どうかなあ……どうだろうなあ……』ってウダウダすることだよ。長い間悩んでも、なんの結論も出ないし、アイデアも進んでないだろ。考える場合は違うよ。長時間考えれば、いろんなアイデアも出るし、意見もたまる。な、悩むことと考えることは違うんだよ」
 これもまた、目からウロコのアドバイスでした。
 トラブルは考えることができますが、不安は、ただ悩むだけです。悩めば悩むだけ、不安は大きくなります。

これはカーネギー「道は開ける」の中にある「シンプルな考え方の習慣」そのものだ。

『道は開ける』D・カーネギー
3 シンプルな考え方の習慣

  次の四つの段階を踏めば、悩みの九割を追い払うことができる。
   一、悩んでいる事柄を詳しく書き記す。
   二、それについて自分にできることを書き記す。
   三、どうするかを決断する。
   四、その決断をただちに実行する。
             (ガレン・リッチフィールド)

カーネギーもリッチフィールドという人から引用しているように、人生で直面するほとんどの問題は先人によって考えつくされ解決法が見出されているものらしい。それなのになぜ世の中から悩み苦しみが減らないのかというと、人間とはそういうものだからとしか言いようがない。自分自身も高校生のときカーネギーを読んで「なるほどこれは大したものだ」と感心したけれど、実際に知恵を役立てられたことはあまりない。正しい考え方の習慣を身につけるにはもっと幼いうちから自分を訓練しておく必要があるのだろうか。いや、それは怠け者の言い訳か。

それはともかく、この「道は開ける」という本、あまたある大衆向け自己啓発本の嚆矢にして定番であり、多くの類書のネタ元でもある。出版されたのは1936年と古いが内容は今でも充分に通用する。決して読んで損のない本だ。鉄人・村田兆冶氏も「何回も表紙がボロボロになるまで読んだ」そうである。
難点は、さすがに昔の本なので事例や文章に古臭さを感じること、アメリカ人がアメリカ人のために書いた本だから当然アメリカ臭いこと。
良いところは、説教臭いところが少なく実用的な「悩み解決の HOW TO本」に徹していること。

「道は開ける」という本、自分も大昔に買って持っていたはずなのに探してみたらどうしても見つからない。こんなことだから「正しい考え方の習慣」を身につけることができないのだと納得してしまった。どんなことで先送りにしたがり、部屋の片付けが大の苦手な自分にとってカーネギーの教えは宝の持ち腐れかもしれない。