玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「押し付け」はどこにある

2007年02月11日 | 日々思うことなど
私は全然知らなかったが、朝日の記事によるとこれまで政府は「押し付け型」少子化対策をしていたのだそうだ。

asahi.com:少子化戦略 脱「押しつけ型」に変化 出生率より支援策
 少子化問題に取り組む「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議(議長・塩崎官房長官)が9日、首相官邸で初会合を開いた。政府が目指してきた「出生率向上」を前面に打ち出すことは控え、結婚や出産に対する「国民の希望」を支援する姿勢を強調。女性を「子どもを産む機械」と例えた柳沢厚生労働相の発言の影響も手伝って、「押しつけ型」対策からの転換を図った形だ。

 安倍首相は会議冒頭で「結婚や出産に関する国民の希望が実現するには何が必要であるかに焦点を当て、効果的な対策の再構築を図らなければならない」と述べた。会議のメンバーからも「決して目標ではないという考え方が非常に大事だ」との意見が出た。集中砲火を浴びている柳沢氏も、国会審議で国民の「希望」をかなえる政策の必要性を強調していた。

 首相が官房長官時代の昨年6月にまとめた「新しい少子化対策」では、学生ベビーシッター育成や児童手当の乳幼児加算など40項目の対策を列挙。「思いつく施策は何でも盛り込んだ」(内閣府幹部)結果、新年度の少子化関連予算案は前年度比12%増の1兆7000億円に膨らんだ。

 ところが、「総花的でメリハリがない」との批判に加え、財政的な裏付けや企業や労働界との連携も不十分だった。これまでの対策でも、必要な人に行き届かない「押しつけ」政策が見られたという指摘もある。

 その反省から、今回は結婚の有無や子どもの数など段階に応じて政策に優先度をつける「傾向と対策」を進める。9日の会議では「これまでの対策は効果が十分に出ていない。原因の分析が必要だ」との意見が相次ぎ、首相自ら「結婚や第1子出産には経済的基盤、第2子は家事・育児の分担、第3子以降は教育費負担の軽減が重要」と説明。また、尾身財務相は「これまでの少子化対策は予算が少なかった」と述べ、予算拡大に含みを持たせた。

 会議は今後、経済支援や働き方の改革、地域・家族の再生などについて四つの分科会で議論を深める。6月中には「骨太の方針2007」に反映する基本的な考え方をまとめ、年内にも全体像を示す予定だ。

それにしても妙な記事である。
「少子化戦略 脱『押し付け型』に変化」というタイトルでありながら、記事中にはこれまで政府がどんなふうに国民に少子化戦略を押し付けてきたのか書かれていない。そんなこと説明する必要はない、ということなのか。私は「押し付け型」少子化対策について一度も聞いたことがないのだが。
というわけでちょっと調べてみた。

少子化社会対策大綱 平成16年6月

1 大綱策定の目的
 我が国は、世界で最も少子化の進んだ国の一つとなった。合計特殊出生率は過去30年間、人口を維持するのに必要な水準を下回ったまま、ほぼ一貫して下がり続け、この流れが変わる気配は見えていない。日本が「子どもを生み、育てにくい社会」となっている現実を、我々は直視すべき時にきている。
 (中略)
 次代を託す新たな生命が育ちにくくなっており、虐待なども起きている現状を社会全体の問題として真摯に受け止め、子どもが健康に育つ社会、子どもを生み、育てることに喜びを感じることができる社会へ転換することが緊喫の課題になっている。
 このため、子どもや子育て家庭を、世代を越え、行政や企業、地域社会も含め、国民すべてが支援する新たな支え合いと連帯を作り上げることが求められている。また、子どもたちの健やかな育ちや自立を促し、さらには親自身の育ちを支援し、子育て・親育て支援社会をつくることを国の最優先課題とすることが求められている。

冒頭で「日本が『子どもを生み、育てにくい社会』となっている現実を、我々は直視すべき時にきている。」と宣言しており、少子化を社会全体の問題としてとらえている。「子どもたちの健やかな育ちや自立を促し、さらには親自身の育ちを支援し、子育て・親育て支援社会をつくることを国の最優先課題とすることが求められている。」と政府の責務は書かれているけれど、誰か(特に女性)に責任を押し付けるような文言は見当たらない。
以下は見出しだけ引用する。

2 少子化の流れを変えるための3つの視点

 (1)自立への希望と力
   『若者の自立が難しくなっている状況を変えていく。』
 (2)不安と障壁の除去
   『子育ての不安や負担を軽減し、職場優先の風土を変えていく。』
 (3)子育ての新たな支え合いと連帯 -家族のきずなと地域のきずな-
   『生命を次代に伝えはぐくんでいくことや家庭を築くことの大切さの理解を深めていく。』
   『子育て・親育て支援社会をつくり、地域や社会全体で変えていく。』

3 少子化の流れを変えるための4つの重点課題
 (1)若者の自立とたくましい子どもの育ち
 (2)仕事と家庭の両立支援と働き方の見直し
 (3)生命の大切さ、家庭の役割等についての理解
 (4)子育ての新たな支え合いと連帯

4 推進体制等
 (1)内閣を挙げた取組の体制整備
 (2)重点施策についての具体的実施計画
 (3)構造改革特別区域制度の活用
 (4)国民的な理解と広がりをもった取組の促進
 (5)大綱のフォローアップ等

(別紙)重点課題に取り組むための28の行動
 〔若者の自立とたくましい子どもの育ち〕
(1)若者の就労支援に取り組む
(2)奨学金の充実を図る
(3)体験を通じ豊かな人間性を育成する
(4)子どもの学びを支援する

 〔仕事と家庭の両立支援と働き方の見直し〕
(5)企業等におけるもう一段の取組を推進する
(6)育児休業制度等についての取組を推進する
(7)男性の子育て参加促進のための父親プログラム等を普及する
(8)労働時間の短縮等仕事と生活の調和のとれた働き方の実現に向けた環境整備を図る
(9)妊娠・出産しても安心して働き続けられる職場環境の整備を進める
(10)再就職等を促進する

 〔生命の大切さ、家庭の役割等についての理解〕
(11)乳幼児とふれあう機会の充実等を図る
(12)生命の大切さ、家庭の役割等についての理解を進める
(13)安心して子どもを生み、育てることができる社会の形成についての理解を進める

 〔子育ての新たな支え合いと連帯〕
(地域における子育て支援)
(14)就学前の児童の教育・保育を充実する
(15)放課後対策を充実する
(16)地域における子育て支援の拠点等の整備及び機能の充実を図る
(17)家庭教育の支援に取り組む
(18)地域住民の力の活用、民間団体の支援、世代間交流を促進する
(19)児童虐待防止対策を推進する
(20)特に支援を必要とする家庭の子育て支援を推進する
(21)行政サービスの一元化を推進する

(子どもの健康の支援)
(22)小児医療体制を充実する
(23)子どもの健康を支援する

(妊娠・出産の支援)
(24)妊娠・出産の支援体制、周産期医療体制を充実する
(25)不妊治療への支援等に取り組む

(子育てのための安心、安全な環境)
(26)良質な住宅・居住環境の確保を図る
(27)子育てバリアフリーなどを推進する

(経済的負担の軽減)
(28)児童手当の充実を図り、税制の在り方の検討を深める

以上をご覧になってどのように思われただろう。
私には朝日が言うような「押し付け型」少子化対策なるものの陰さえ認めることができなかった。「支援」「理解」「支え合い」「安心」「充実」等々まことにご立派な言葉ばかりが並び、「押し付け型」という言葉から連想される「命令」「義務」「規制」といった強圧的な文言は一つも見当たらない。これは押し付け型どころか支援・理解促進型の少子化対策である。
「言葉ばかりが立派で中身が伴っていないんじゃないか」という危惧はあるけれど、押し付けがましさよりむしろおっかなびっくりな印象さえ受けた。

そもそも「押し付け型」少子化対策とはどういう意味なのだろう。私と朝日新聞とではよほどイメージが違うようだ。
私は現代日本で少子化対策を国が「押し付ける」ことなど不可能だと思う。
政府が独身者に無理やり結婚させることなどできはしないし、夫婦に子供を持つことを義務付けることだって無理だ。東京大学助教授・赤川 学氏の研究によると第二次大戦中の戦時期人口政策(いわゆる「産めよ増やせよ」)はたいへん徹底しておりまさに「押し付け」だが、こんなやりかたが現代において受け入れられるとはとても考えられない。
「独身税」「子なし税」といった制度を提唱する意見もあるが実現は困難だろう。ちなみに独身税の問題点についてはこちらのブログで詳しく取り上げられている。

たぶん朝日新聞の考える少子化対策の「押し付け」とは、政府が「『出生率向上』を前面に打ち出」したり厚生労働相が「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる。若者の健全な希望にフィットした政策を出していくことが大事」と発言したりすることなのだろう。私にはそのどちらも押し付けとは感じられないのだけれど。

記事中に「これまでの対策でも、必要な人に行き届かない「押しつけ」政策が見られたという指摘もある。」という部分があるけれど意味がよくわからない。支援型少子化対策をしていくうちに不備があって「必要な人に行き届かない」部分が生じることもあるだろうが、それがなぜ「押し付け」になるのか。冷静に「ここに支援が足りません」と指摘すれば済むことである。もし政府が「支援はできないが何とかしろ」と逆切れしたら押し付けと呼ばれても仕方ないが、そういう実例があるのか。低姿勢な「少子化社会対策大綱」を見るかぎり想像しにくい。
それとも、この記事を書いた朝日記者は「そもそも少子化対策など必要ない」という考えなのか。だとしたらどんな形の少子化対策であっても「押し付け」と感じてしまうことだろう。

林先生ではないけれど、この記事を読んで
「まさかとは思いますが、この「押し付け」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、あなた自身がフェミニズム過剰であることにほぼ間違いないと思います。」と言いたくなってしまった。