順番が逆になってしまったが、10月24日の「世に倦む日々」にとても独創的でステキな文章があったので遅ればせながら取り上げる。
世に倦む日々:大阪高裁の靖国違憲判決 (2) - 国交省宗教化のシミュレーション
さすがである。
この見事なまでの断言に私の頭はクラクラし異次元空間へのトリップを誘われる。
誘われた先は矢作俊彦「あ・じゃ・ぱん」の世界だろうか。東日本人民共和国でエリートの道を歩み党の要職を歴任するthessalonike2氏の姿が目に浮かぶようだ。グレアム・ナッシュの顔をしたthessalonike2氏であれば旧ソ連式の垢抜けないスーツをさぞ格好よく着こなすことだろう。
異次元への空想はこれまでにして(本当はもっと続けたいのだが)、多少は現実的な批判を。
これまで私は世界中の民主主義国家において中道を中心に右翼と左翼の政治勢力がバランスをとって存在しているものだと思ってきたのだが、そうでない「右翼がアウトローとされる国」というのがあるのだろうか。
私の貧困な想像力ではありえないことのように思える。
もし右翼をアウトローとして政治的枠組みから切り捨てると、これまで「中道右派」だった部分が「右翼」と呼ばれるようになり、そこを切り捨てると次はかつての「中道左派」が…といった具合にどんどん政治的中心が極左の一点に向かって移動していくはずである。
行き着く先は、「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない」と呼号したポル・ポト政権か。
いやまさか、心優しいthessalonike2氏がそんな無茶を考えておられるはずがないので、私の思い過ごしだろう。
そうであることを祈る。
関係ない話だが、ある飛行機のことを思い出した。
かつて世界一の航空技術を誇ったドイツにおいて「右翼」を極端に縮小した偵察機が作られたことがある。
試作偵察機 ブローム・ウント・フォスBv141
エンジンのある部分を胴体とみなせば「右翼が大きく左翼が小さい」が、乗員の座るカプセルを胴体とすれば「最小限の右翼と巨大な左翼&エンジンポッド」を持つ機体といえる。
もしかしたらthessalonike2氏はこのような破調の美を日本の政治に求めているのかもしれない。
ちなみに、Bv141は「その形態から来る操縦性能の不安定さが問題となり量産されることはありませんでした」
飛行機ファンとしては残念だが、当然の結果だろう。
世に倦む日々:大阪高裁の靖国違憲判決 (2) - 国交省宗教化のシミュレーション
右翼というのは現日本国憲法体制下においてはアウトローなのだ。アウトローが自分の政治行動を日本国憲法で合憲化してもらおうなどと本末転倒した考え方であろう。憲法を否定している右翼の主張は全て違憲でよいのである。
さすがである。
この見事なまでの断言に私の頭はクラクラし異次元空間へのトリップを誘われる。
誘われた先は矢作俊彦「あ・じゃ・ぱん」の世界だろうか。東日本人民共和国でエリートの道を歩み党の要職を歴任するthessalonike2氏の姿が目に浮かぶようだ。グレアム・ナッシュの顔をしたthessalonike2氏であれば旧ソ連式の垢抜けないスーツをさぞ格好よく着こなすことだろう。
異次元への空想はこれまでにして(本当はもっと続けたいのだが)、多少は現実的な批判を。
これまで私は世界中の民主主義国家において中道を中心に右翼と左翼の政治勢力がバランスをとって存在しているものだと思ってきたのだが、そうでない「右翼がアウトローとされる国」というのがあるのだろうか。
私の貧困な想像力ではありえないことのように思える。
もし右翼をアウトローとして政治的枠組みから切り捨てると、これまで「中道右派」だった部分が「右翼」と呼ばれるようになり、そこを切り捨てると次はかつての「中道左派」が…といった具合にどんどん政治的中心が極左の一点に向かって移動していくはずである。
行き着く先は、「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない」と呼号したポル・ポト政権か。
いやまさか、心優しいthessalonike2氏がそんな無茶を考えておられるはずがないので、私の思い過ごしだろう。
そうであることを祈る。
関係ない話だが、ある飛行機のことを思い出した。
かつて世界一の航空技術を誇ったドイツにおいて「右翼」を極端に縮小した偵察機が作られたことがある。
試作偵察機 ブローム・ウント・フォスBv141
エンジンのある部分を胴体とみなせば「右翼が大きく左翼が小さい」が、乗員の座るカプセルを胴体とすれば「最小限の右翼と巨大な左翼&エンジンポッド」を持つ機体といえる。
もしかしたらthessalonike2氏はこのような破調の美を日本の政治に求めているのかもしれない。
ちなみに、Bv141は「その形態から来る操縦性能の不安定さが問題となり量産されることはありませんでした」
飛行機ファンとしては残念だが、当然の結果だろう。
よく皆さんが、特に戦後の(いわゆる)リベラル教育を受けてきた我々の多くがしている誤解に「劣等感」を「良くないもの」、または「(誰かに)劣等感を持たせてはいけない」という考えがあります。 これは「劣等感とはそもそも何なのか」という事を誤解している考え方です。
劣等感とは略さずに言えば「劣等感情」のことで、劣等感情とは(主に誰かとの比較で)自分は劣っていると認識した時に発生する感情のことで、逆にこれを感じたときに「劣等であるという事実を認識するシステムに人間の心(脳)は出来ている」ということです。
理性的に書いてあることを読めば、劣等感とは劣等であるという「事実を認知する為の心のシクミの一つ」であると理解できると思います。 つまり人間の持つ認知システムの一環である以上でも以下でもないというのが正しい捉え方で、これは善悪良否以前の事象です。
分かりやすく言い直すと、「劣っている」と認知できないと「優れている」とも認知できない事になるので、劣等感(情)を否定するのは結局、人間の現実認識能力を低くて良いと言っているに等しいことになるのです。 当然この能力を否定すると向上心、努力という事も否定したことになります。
問題とするべきなのは、劣等感そのものではなく、劣等感が「恨み」」や「怨み」「不満感情」などと繋がりコンプレックス化する事です。
コンプレックスとは本来的には英語のComplexの意味そのままに「複合化する」「複合化したもの」という意味で、人間が複雑多岐な思慮を働かせる事が出来るのも、単純な思慮が沢山コンプレックス化してくれる(脳が)賜ですので、コンプレックス化自体も非難、憂慮の対象ではありません。 コンプレックス化機能を持たない人は何らかの脳(または精神)の機能不全です。
簡単な話、会社で自分より営業成績が優秀な社員が居て、それより劣っていると実感させされた時に即「あいつ、ただでは置かないぞ」とは普通思わないはずです。 (成績が)劣っているという「事実」を認めて「よし来月は頑張るぞ!」とか思うのが健全な発想と言うものでしょう。 この為にも劣等感(情)は必要だという事です。
ここでポイントとなるのが「劣等感情」を「事実認識の機序として受け取れるか否か」です。 「不満感情」や「怨み」「恨み」の感情が劣等感情とコンプレックス化している人は、劣等感を感じると同時に殆ど自動的に(無意識裡に)不満感情、恨みの感情が動きますので、こういったバイアスの掛かった状態でしか認識できない、つまり「事実を事実として認識できない」という事になります。
話が回りくどくなりましたが、つまり「劣等感そのもの」も「コンプレックス化システムそのもの」も、これ自体は特に問題なのではないのですが、この感情(というシクミ)とコンプレックス化システムが、問題となる(問題とすべき)連携の仕方をする場合がある、ということです。 これを称して「劣等感コンプレックス」と言い、これは厳密には「劣等感」と区別するべきなのです。
つまり劣等感(情)を劣等感(情)のまま素直を扱う事が大事だという事です。 そうすれば、これは、物事を認識し、現実をよく知る手助けをしてくれる「良き腹心」になってくれるのです。
劣等感コンプレックスを強固に形成してしまっている人は、適切に劣等感と触れ合うことが出来ませんから、自分を事実以上に卑下したり、逆に劣等感を感じずに済むよう「自分を特別な存在視」しようとする傾向を顕著に示します。
「自分を特別な存在視」するのには色々手法はありますが、代表的なのは「自分が絶対に正しいと言い切る」「自分をアウトローにする(アウトローだと称する、ヤクザなど実際にアウトローになる)」などです。
作中で中曽根が東日本の共産党(にあたる党)の総書記だったようなきがします。
サヨク以前の怪電波発言でつ。
只、プライドが高いだけの輩は一介の共産党員
でも決して相手にはしませんてwww
長文のコメントありがとうございます。
ですが正直に言ってこのエントリを書いているあいだ「劣等感」という言葉を一度たりとも思い浮かべなかったので、Dead*Mercuryさんのコメントの真意が今ひとつ理解できません。申し訳ありません。
>zzztkfさん
パラレルワールドでも風見鶏は風見鶏なんですね。
サヨク以前というのは失礼ですね、「世に倦む日々」ファンとして見過ごせません。
thessalonike2氏はサヨクや左翼を(ついでに言えばリベラルや右翼も)飛び越えた独自の世界に住んでおられるのです。たぶん。きっと。
>サヨク以前というのは失礼ですね、「世に倦む日々」ファンとして見過ごせません。
(^^;ゞポリポ
「ファシズム打倒を叫ぶスーパーファシズム」みたいな方向性を目指していくのかな?
俺ならテッサロニケを追放するけど。
ヘーゲル左派みたいだw