玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

死神の仕事(2)

2008年06月23日 | 死刑制度
前の記事を読み返したら冗長すぎて嫌になった。本当に文章が下手だ。
整理して書き直してみる。

一見すると死刑囚とそれ以外(私やあなた)の立場はまったく違うように思えるが、「生と死」の問題だけ考えると実はあまり変わらない。

一般人
 ・ 自分と周囲の人々は「いつか必ず死ぬ」運命だと知っている
 ・ だが「死が訪れる順番」「自分はいつ死ぬのか」は知らない
 ・ 誰が、いつ死ぬかを決める想像上の存在は「死神」

死刑囚
 ・ 自分と周囲の死刑囚は「いつか必ず首を吊られる」運命だと知っている
 ・ だが「死が訪れる順番」「自分はいつ死ぬのか」は知らない
 ・ 誰が、いつ死ぬかを決める現実の存在は「法務大臣」

死刑制度がある限り法務大臣は死刑執行命令への署名(死刑メカニズムの安全装置解除・作動スイッチオン)を求められる。自らの判断において「スイッチを入れるか、入れないか」選択しなければならない。辛い選択だが、辛いのはそれが「死神の仕事」だからだ。
死神の仕事をする者はどうしても死神のように見える。「13件の執行命令を出した法務大臣を死神呼ばわりしてはいけない」と言うほうが無理である。
「死刑執行命令に署名する仕事」と「死神の仕事」はマジンガーZテコンVよりも似ている。

「死神の仕事」の心理的負担を減らすためにベルトコンベア式とか死刑執行員制度といったアイデアは出ているが根本的な解決にはならない。

 ・ 死刑メカニズムを機能させるには誰かが「どの死刑囚を、いつ吊るか」決める必要がある
 ・ 決定を誰に(裁判官・政治家・官僚・一般人)委ねるとしても、決定者は「死神の仕事」を果たすことになる
 ・ 言論の自由がある限り執行命令を下した者への死神呼ばわりを禁止するのは無理
 ・ 無理を通せば道理が引っ込む

今回の「死神」騒ぎは死刑制度の実体から目をそむけた言葉狩りでしかない。「Voice of Stone」hidewさんの言葉を引用する。

  「『死神は言いすぎ』だと感じるなら『死刑がやりすぎ』なのだ。」

まったく同感である。


急に話はオカルト方面に向かう。
仮に死神が実在していたら「人間が死神の仕事を代行すること」を怒るだろうか、それとも喜ぶだろうか。
戦争・虐殺・天災・疫病の歴史を見ると死神はとても仕事熱心だ。「俺の仕事を横取りするな」と怒りそうな気がする。
いや、「忙しすぎて手が回らない、手伝ってくれてありがとう」と感謝されるかも。
そもそも人間は死神のご機嫌取りをしたほうがいいのか、それとも反抗すべきなのか。いろいろと謎だ。

「アジャラカモクレン キューライソ テケレッツノパ」 パン、パンッ


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3 コメント

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言葉遊び (yuzu)
2008-06-25 09:46:36
『死神』騒動についてあれこれ書くこと自体が、『死刑制度の是非』とは関係なく、言葉遊びの延長線上にいるような気がしますが・・・


>・ 誰が、いつ死ぬかを決める想像上の存在は「死神」

そもそも死刑囚になった人たちは、少なくとも数人の命を勝手に奪ってるんですよね

それなら、彼らも既に『死神』なのではないでしょうか?

でも死刑反対を説く人たちは彼らの『人権』を尊重し、法務大臣は『死神』だと言う・・・
なんだか変な話ですよね



仮に『死神』が『職務として人の命を奪う』存在であるなら、確かに法務大臣は死神です
それは死刑執行した人数には関係なく、仮に1人の死刑を執行しなくても、法務大臣という職に就いてから辞めるまでずっとそうでしょう

そうなると、『13人死刑に処したから死神だ』という記事はやはりただの揶揄にしかなりませんよね


職務ではなく他人を勝手に殺した死刑囚は、この場合『死神』ではなくただの『殺人鬼』とでも言うんでしょうか
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Unknown (Deki)
2008-06-24 01:13:42
>自らの判断において「スイッチを入れるか、入れないか」選択しなければならない。
法相にはスイッチを入れる義務は与えられていますが、スイッチを入れない権利はありません。
現状では、法相が法を犯してでも、義務を果たすことを放棄すれば、死刑執行を取りやめる事ができる制度です。
つまりこれが、先のベルトコンベアーの意味にもつながってくるわけなのですが。

ところで、人を殺すのが死神なら、人を処罰する存在はどなたですか?
悪魔や鬼など表現し、その延長線上に死神をおきますか?
神を表現し、その延長線上に死神を置きますか?
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Unknown (kamm)
2008-06-23 22:20:41
>  「『死神は言いすぎ』だと感じるなら『死刑がやりすぎ』なのだ。」
>まったく同感である。

そのような言い方であれば問題ないんじゃないでしょうか。
個人の責任に矮小化するのではなく、国民全員が死神だと主張すればよかったんですよ。
コラムの執筆者はそのように主張する勇気がなかったということでしょう?
はたして死刑制度の実態から目をそむけているのはどちらですかね。
やはりポイントがずれているように思いますよ。
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