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玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

ばなな居酒屋論争(バナナ大戦編)

2009年08月23日 | 日々思うことなど
「全てを破壊し、全てを日本社会劣化論で繋げ!」「スピリチュアル?10年早ぇよ!」

「スーパー銭湯の世界」
「新幹線の世界」
「スーパーマーケットの世界」
「高級ブランド店の世界」
「中華料理店の世界」
「一つ星レストランの世界」
「病院の世界」
「家電配送業者の世界」

そして「チェーン居酒屋の世界」
9つの世界を巡ってきた「世界の破壊者」仮面ライダーバナナの旅もいよいよ最終章へ!
ついに勃発するバナナ大戦!
真の敵は誰だ?
最後に生き残るのはどのバナナだ!?




ディケイドを見ていない人にはぜんぜんわからないネタでごめんなさい。ディケイドとよしもとばななはぜんぜん関係ないけど「最初は期待されたのにどんどん駄作化」とか「通りすがった先でゲストキャラを道具扱い」とか「独りよがりな主人公」とか「○スボスが本人」とか似ているところも多い気がする(こじつけ)。

ネタ元
劇場版仮面ライダーディケイドみてきた. - triggerhappysundaymorning
あまりにもグダグダ! 映画『仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』 - 俺の邪悪なメモ


シリーズ化して何度も書いてきた自分が言うのもなんだが、ばなな居酒屋論争の「事件」そのものは本当につまらないことである。社会にも、それどころか当の居酒屋にも実害はほとんど(まったく)なかった。たぶん居酒屋の店長は事件そのものを覚えていないと思う。酔った客がトラブルを起こすのは日常茶飯事だし、ばなな氏の文章を信じれば「みな怒るでもなくお会計をして店を出た」のだからむしろ物分りのいいお客さんである。「ばかみたいにまじめな」店長さんも、ネットで騒ぎになっていることを知ったらさぞ驚くだろう。

私にとって尽きせぬ興味を与えたのは、どうでもいいつまらない「事件」がなぜこれほどまでに多くの人の関心を集め、怒りに火をつけ、語りたい欲望を掻き立てるのかということだ。
最近マスコミやネットで超新星級の輝きを放った大事件といえば酒井法子覚醒剤問題である。この事件も今のところ社会への実害はほとんどない。CM契約していた企業や出演作がお蔵入りになったテレビ局映画会社レコード会社はお気の毒だが、一般人には関係ない話である。
ところが、4年ぶりの総選挙とか水害とか生活の根幹に関わる大問題よりも、シャブPのりP問題のほうがずっと話題性が高い。おもしろくて話し出したらやめられないとまらない。これを安っぽい野次馬根性とか愚民化とか批判するのは簡単だけれど、私は「人間ってあんまり合理的にできてないな、そこが面白いな、不思議だな」と思うのである。

前の記事でばなな居酒屋論争に火がついた理由を人の心の中にある「ズルさセンサー」の働きとして説明(妄想)したけれど、これって要するに「みんなをムカつかせたから叩かれた」ということである。わざわざ理屈を付けて説明(?)する必要はなかったのかもしれない。
だが、パソコンの調子が悪いときただ「具合が悪い、変だ、ダメなパソコンだ」と悪態をつくだけではつまらない。自分なりに調べて「グラフィックドライバーが悪さしてる」とか「メモリーが足りない」とか原因を探るのが面白い。デバイスマネージャーを開いたり、イベントビューアを眺めたり、さらには物理的にケースを開けてケーブルやコンデンサを確認したり。メカニズムやシステムの働きをすこしでも理解して説明できるようになると、自分がなんだか利口になったような気がする(たぶん勘違い)。

私は最近「心のモジュール論」とか「怒りや喜びのスイッチ」とか社会心理学的な考え方に興味を持っていて、世の中のいろいろなことに当てはめてみたくなる。のりP事件はともかく、麻生総理と自民党の不人気ぶりとか、惨敗必至の自民党がどんどん右翼イデオロギー色を強めている理由とか、もっともらしく楽しく説明できたらいいなと思っている。ただ思っているだけで考えるのがめんどくさくなったら投げ出す予定だけど(ダメすぎ)。

バナナ居酒屋論争(ズルさセンサー編)

2009年08月22日 | 日々思うことなど
暑い夏をますます(局地的に)熱くしたばなな居酒屋論争。
私の最初の見立てでは「ばなな氏が叩かれるのは間違いないけれど、『お客様は神様』意識をもった人たちが店長を批判するだろう」「7:3くらいで議論が分かれるんじゃないか」と思っていた。ところが、2ちゃんねるでもあちこちのブログでもばなな叩きが圧倒的だ。たぶん95%くらい。ばなな惨敗。

この問題(というほど大げさなものじゃないが)の本質は日本人誰もの中にある「甘え」と「真面目」の対立だと以前に書いた
今もその見方は変わっていないのだけれど、圧倒的なばなな叩きが起きたからといって「クソ真面目でつまらない奴が多すぎる」などと批判するつもりはない。いくら世の中が世知辛くなっても(だからこそ?)「甘えたい気持」は残り続ける。ばなな氏を批判している人も、実は心の中に「甘え」を少なからず隠しているに違いない。ばなな批判が圧倒的になったのは、ばなな氏の文章によって読者の心のスイッチがバタバタと動かされ、「真面目」回路に大量の電流が流れただけだと思う。ちょっと状況や報告者の態度が違えば、読者の「甘え」回路に電流が流れて「融通の利かない居酒屋けしからん!」という叫びがこだましただろう。

それでは「真面目」回路に大電流が流れたのはなぜだろうか。
いきなり話は大きくなるが、数十万年に及ぶ人間の心の進化に理由があると思う(マジで)。
とはいっても、私は生物学も心理学も何も知らない素人である。以下に書くことはあくまでも素人のたわごとと思って読んでください。

人間の心とは、ひとつのCPUですべての情報処理が行われる単純なメカニズムではなく、特定の働きをする「モジュール」がたくさん組み合わさってできている。

心のモジュール性 - Wikipedia

たとえば遺伝的欠陥や頭部の怪我で「顔認識モジュール」が損なわれた患者は、他の知的機能は健在なのに家族の顔も見分けられなくなる。計算モジュールが働かなくなると一桁の足し算もできなくなり、空間認識モジュールが弱ると方向音痴になる。
人間は社会的動物だから、心の「モジュール」のなかには社会の中で生きていくのに必要な機能を果たすものがあるはずだ。私は「ばなな居酒屋論議」のなかでひとつの心理モジュールが重要な働きをしたと思う。それは誰かのズルい行動や考えかたを見とがめる「ズルさ検出モジュール」である。

問題にされたエッセイのなかで、ばなな氏は居酒屋における自分たちの行動を正当化しようとしている。そして要求を拒んだ店長をバカ扱いし、クビになるだろうとか店がつぶれるだろうとか書いて貶めている。
自己正当化自体は、それこそ誰もが毎日やっていることである。ばなな氏の文章が一見して公正だとか無理もないとか共感を呼ぶものであれば何も問題はなかった。ところが、ネットで紹介されたとたんにばなな氏の評判は炎上した。なぜか。
ばなな氏の文章の底に、通奏低音のように「ズルさ」が鳴り響いているからだ。
この間東京で居酒屋に行ったとき、もちろんビールやおつまみをたくさん注文したあとで、友だちがヨーロッパみやげのデザートワインを開けよう、と言い出した。その子は一時帰国していたが、もう当分の間外国に住むことが決定していて、その日は彼女の送別会もかねていたのだった。
 それで、お店の人にこっそりとグラスをわけてくれる? と相談したら、気のいいバイトの女の子がビールグラスを余分に出してくれた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。
 それであまりおおっぴらに飲んではいけないから、こそこそと開けて小さく乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。
 ちなみにお客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであった。
 するとまず、厨房でバイトの女の子が激しく叱られているのが聞こえてきた。
 さらに、突然店長というどう考えても年下の若者が出てきて、私たちに説教しはじめた。こういうことをしてもらったら困る、ここはお店である、などなど。
 私たちはいちおう事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
 店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。

ばなな氏は自分たちのワイン持ち込みが立派なことでも正しいことでもないと知っている。だから「こっそりと」「気のいいバイトの女の子」にグラスを頼み、「こそこそ」飲んだのである。他に客はいなかったとか言い訳も並べている。店長が注意しに来たときも後ろめたさを感じていた。だから低姿勢で持ち込み料を払うと言ったり、「事情」を並べて弁解するのを避けたのだ。
ここまではいい。この程度のことなら「ズルさセンサー」が反応しない人も多いだろう。ばなな氏が「考えてみれば自分たちのやり方はまずかった、今後気をつけよう」と終わらせていればネットでけたたましい警報音が鳴り響くことはなかったはずだ。

ところが、ばなな氏は店を出たとたんに後ろめたさを忘れてしまう。いや、「後ろめたさを感じたこと」を屈辱としてすべての責任を店長の愚かさと日本社会の劣化に押し付ける。見事な手のひら返しだ。だがあまりにも都合が良すぎた。バナナの皮が滑る!
ここで、読者の心の中で予備的な警戒情報(「この人はズルい」)を出していたズルさセンサーが最大出力でアラームを鳴らす。ジリリリリリ…!
なんてことだ!これはひどい!恥知らずな!鏡を見てみろ!お前はズルい奴だ!!!


あくまでも形式的に考えれば、バイトとはいえ店員が一度黙認した持ち込みを店長が出てきてひっくり返すというのはけしからんことである。従業員教育がなってないと声高に批判することもできる。だが、実際には「店長けしからん」の声はばなな批判の陰にすっかり隠れてしまった。それはばなな氏の「ズルさ」の邪悪な輝きが圧倒的で、店長のミスや心得違い(あったとして)が昼間の星のように目立たないからだ。

自動販売機が故障していれば、それは設置者の責任だ。「金を入れたのに商品が出てこない」という客の抗議は大いに同情される。
それなら、ズルい客が自販機が故障しているのをいいことに不正に商品を引っ張り出そうとしたらどうか。「自販機が故障しているのが悪い」という言い訳は通じない。盗人猛々しいと呼ばれて大いに軽蔑されるのがオチだ。
ばなな氏の主観としては「金を入れたのに商品が出てこない」と抗議したつもりだろうが、ばなな居酒屋事件を知ったほとんどの人が「自販機の故障に付け込んでズルしようとした奴」としか見てくれなかった。私はそれも当然だと思う。
ズルさセンサーの感度と警報音の大きさはまことに恐るべきものである。これを「正義感」とか「公平の観念」とかきれいな言葉で表現したら迫力が伝わらない。子供が物心付いて「お兄ちゃんのケーキのほうが大きい!ズルい!」と抗議するときから偉大なるズルさセンサーは働き続けている。


参考 「安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方」 山岸俊男

ばなな居酒屋論争(その3)

2009年08月21日 | 日々思うことなど
まだまだ続くばなな居酒屋論争。
読者もいい加減うんざりしているだろうが、私も「ばななファンでも居酒屋好きでもないのになんで何回も書いてるんだろう」と思う。野次馬根性なのは間違いないけれどそれがすべてではない。私の琴線に触れる何かがあった。それは何かというと…

その前に、これまで書いたことの修正と補足をしておこう。
「ばなな 居酒屋 持ち込み に一致する日本語のページ 約 71,700 件」と書いたけれどこれは早とちりでした、ごめんなさい。Google様は賢くて親切なので、「ばなな」と「バナナ」を表記の揺れとみなして両方まとめて検索してくれる。結果として「バナナパフェが名物の居酒屋さん」みたいな情報も検索結果に含まれてしまう。
「"ばなな" 居酒屋 ワイン 持ち込み」で検索するとヒット数は「約 14,300 件」となり、こちらのほうが実態に近いはずだ(それにしてもすごい数だが)。

「持込を認めるのも認めないのも店の勝手」と書いたけれど、これは都会で客が自由に店を選べる場合の話である。小さな町でたった一軒の居酒屋が独善的な経営方針だと困る。客の多くが「持ち込み料払うから認めてほしい」と思ってるのに「絶対ダメだ」とがんばるのも変だ。そのあたりは柔軟にお願いしたい。

さて話を元に戻して。
私がばなな居酒屋論争に興味を持つ理由は、たぶん「城内・眞鍋ポスター事件」と同じだ。ばなな氏と城内氏は一見ぜんぜん似ていないけれど、私の目には彼らの本質がそっくりなのが見える(見間違いかも)。

気の毒な眞鍋さん、愚かな城内氏
勇敢な眞鍋さん、情けない城内氏
勇敢な眞鍋さん、情けない城内氏 (その2)
勇敢な眞鍋さん、情けない城内氏 (その3)
勇敢な眞鍋さん、情けない城内氏 (その4)

城内氏は「信念を貫く男」を自称する政治家である。
眞鍋かをりさんを自分と並べたポスターを作ろうと思い立ち、仲介者を通じて許可を取る(取ったつもりになる)。
眞鍋さんは「ポスターのことは何も聞いていない、特定の政治家を応援するつもりはない」と抗議する。
城内氏は「許可を得ている」と言い張って突っぱねる(後に「芸能活動に支障をきたしていることに大変心を痛めて」ポスター撤去)。
城内氏への批判が高まった後でようやく言い訳がましい謝罪をする。
「ポスターを貼る前になぜ眞鍋さんにお礼をしなかったのか(そうすれば行き違いが明らかになったのに)」とか「応援メッセージは誰が捏造したのか」といった重要な疑問には知らぬふり。



よしもとばなな氏は「人が幸せで喜ぶようなことに向かって、それを当然だと思っている感じ」をもって、「他人の善を信じた上の融通」を利かせることが当たり前の世の中を作りたいと願う作家である。
たまたま友達と一緒に入った居酒屋で持ち込んだワインを飲もうと思い立ち、気のいいバイトの女の子に融通を利かせてもらう。
後で知った店長は「持ち込みは認められません」と注意する。
ばなな氏は「特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。」と粘る。
持込が認められなかったばなな氏は店を出て路上で楽しくワインを回し飲みする。
「もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。」「多分あの店はもうないだろう、と思う。店長がすげかえられるか、別の居酒屋になっているだろう。」とサービス業論・居酒屋経営論をぶつ。
「三十四歳の男の子が『まあ、当然といえば当然か』とつぶやいた」のを見て「いいときの日本を知らないんだなあ。」と慨嘆。


ご立派な理想と対照的な身勝手さ。
本来許可を取るべきタレント本人や店長を避けて、都合のいい相手(仲介者・バイトの女の子)を利用する虫のよさ。
既成事実(貼り出されたポスター、開けられたワイン)を作ってゴリ押ししようとするやり方。
自分の行動が顰蹙ものだと自覚していないところ。
ばなな氏と城内氏はまるで双子のようにそっくりだ。
なによりも癇に障るのは、ばなな氏と城内氏が他者のポリシーをちっとも尊重していないことである。
ばなな氏は「持ち込みは認められない」というお店(店長)のポリシーをまったく理解しようとしない。「いったい何のきりなのかよくわからないが」と太平楽にのたまうだけで、作家の商売道具である想像力をちっとも使わない。kd1さん(「ロックンロールに蟀谷を」)の想像力に完全に負けている。

「人にはいろいろな事情があるものだ」というくせに自分の事情のみを判断材料に加えておくれとな - ロックンロールに蟀谷を

城内氏も眞鍋さんの「特定の政治家を応援するつもりはない」というポリシーを踏みにじり、「取ったつもり」の写真使用許可を盾にとってゴネた。自分の信念を大事にするのは結構だが、他者には人それぞれ別の信念があると判らない政治家は存在自体が迷惑だ。

よしもとばなな氏が「『人が幸せで喜ぶようなことに向かって、それを当然だと思っている感じ』をもって、『他人の善を信じた上の融通』を利かせることが当たり前の世の中」を作りたい」と思っているのだとしたら、そのこと自体はたいへん結構である。だが、目の前にいる居酒屋の店長とか配送業者とかの事情をまったく配慮せず、馬鹿だアホだキチガイだかわいそうな人たちだと罵るだけでは「人に優しい世の中」ではなく「自分に優しい世の中」を望んでいるとしか思えない。
「まず貝より始めよ」 …じゃなくて「隗より始めよ」ということわざもあるが、よしもとばなな氏はご立派な理想を掲げて日本社会を説教する前に、自分自身が甘ったれたバナナ(スピリチュアル風味)にすぎないと自覚したほうがいい。

ばなな居酒屋論争(その2)

2009年08月20日 | 日々思うことなど
これまで2回「ばなな居酒屋事件」について書いてきたけれど、「多くの人がひとこと言いたくなるのは日本人の甘えとクソ真面目という特性が表れた事件だから」とか「人気作家のばななが叩かれてチェーン居酒屋が支持されるのはちょっと意外だ」といった周辺の話ばかりで、事件そのものについて語るのを避けてきた。

まず、事件そのものはひたすらいじましくてしょうもないことだから。
そして、自分の思うようなことはたいてい誰かが書いているから。
なによりも、「そのとき、その場で何が起きたのか」ちっともわからないから。

「『何が起きたのかわからない』って?よしもとばななが詳しく書いているじゃないか!」とお思いになる方も多いだろう。私も素直にうなずきそうになるが、本当にそうなのだろうか?
ばなな氏は偶然事件を目撃した第三者ではなく、まさに揉め事の当事者である。当事者による一方的な状況説明は事実というよりその人の「言い分」と思ったほうが間違いない。ばなな氏を真似れば「人にはいろいろな言い分があるものだ」。
当事者の言い分であっても、その人が自分に厳しく公平で客観的なものの見方をする人であればかなり信用できる。それでは、よしもとばななとはいったいどういう人なのだろう。
ばなな氏が公開している日記を見れば彼女の人間性の一端がうかがえる。ありきたりの常識に縛られず、自分自身の感性を大事にする芸術家だということがよくわかる。ばなな氏の素敵な日常をご紹介しよう(from 2ちゃんねる)。

スーパー銭湯に刺青隠さずに入ろうとしたら止められた。潰れるように呪いをかけた。 2001.11.07
後日談:友達なら止められた時に待ってくれるべきだろ、もうお前ら絶交な。2001.11.09

新幹線で自分の子供が騒いでたら注意された。日本終わったな。 2006.07.07
後日談:注意したのは榎木孝明のマネージャー、おめーだよ。覚えてるからな。2008.04.19

スーパーで注意してたのに子供が騒いでたら白い目で見られた。日本出て行くから別にいいけど。2007.03.11
家具を注文して設置の手配はしていなかったけど、クレーム出したらなんとかしてくれた。日本はアフリカ以上にいいかげん。2007.06.20
Via Bus Stop開店5分前に店に入ろうとしたら怒られた。この店もフランスみたいになったね。2009.02.23
39度の熱が出たので救急車呼んだら怒られた。看護婦はクソババー。 2009.05.06
運送業は自分の頭で考えない。生きがいを感じることのできない仕事。 2009.08.04

日記の表題は2ちゃんねらーが付けたもので、かなりの悪意が込められている。とはいえ、表題を差し引いてもばなな氏の武勇伝はインパクト抜群だ。「常識に縛られず、自分自身の感性を大事にする芸術家」と書いたけれどそれは言葉の綾で、正直に言えば「非常識で自己中心的な人だなあ」と思った。たぶんほとんどの人がそう感じるだろう。
「事件」を描写したばなな氏の文章はあくまでもよしもとばななの主観であり、出来事や登場人物には濃いばなな色のフィルターがかかっている。フィルターを外さなければ事実について何もわからないとさえ言える。

それでは具体的に「事件」について見てみよう。以下はじっぽさん(活字中毒R。)による引用を参考にしている。

まず、「初めて入った居酒屋で持ち込んだワインをこっそり飲んでいたら店長にとがめられた」という全体的な状況はそのまま認めていいだろう。疑う気になれば「この話全体がフィクションじゃないか」とも言えるが(なにしろ小説家である)、わざわざこんな情けない話を作る理由は思いつかない。どうせ話を作るならもうちょっとカッコいい話にするだろう。
 それで、お店の人にこっそりとグラスをわけてくれる? と相談したら、気のいいバイトの女の子がビールグラスを余分に出してくれた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。
 それであまりおおっぴらに飲んではいけないから、こそこそと開けて小さく乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。
 ちなみにお客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであった。

気のいいバイトの女の子は本当に気がいいだけなのだろうか。どうもあやしい。
私には女の子が「ちょっと異様な年齢層やルックスや話し方」で「かなりの人脈」を持っていそうなばなな氏一行に気圧されて、ほとんどおびえた気持で「これ以上文句言われませんように」と祈りながらグラスを出したような気がしてならない。本当にあつかましい人は自分のあつかましさに気が付いていないことが多い。「親切な店員さん」が実は「困ったお客さんだ」と思いながら嫌々笑顔を作っているだけ、という話はよくある。
「お客さんは私たちしかいなかった」のに「こそこそ」していたのは、店に対してやましい気持を表している。ばなな氏一行は「気のいいバイトの女の子」を利用してグラスを手に入れたけれど、ちゃんと店の許可を得たわけではない。だから、その点で店側の手落ちを責めるのはちょっと無理がある。
厨房でバイトの女の子が激しく叱られているのが聞こえてきた。

ばなな氏の日記を見れば、彼女の表現がいろいろと大げさなのがわかる。「ありえないほど」とか「ものすごく」とか「涙がでるほど」といった大仰な言葉の延長として「激しく叱られている」という表現がある。私にはこの描写はあまり信用できない。
 さらに、突然店長というどう考えても年下の若者が出てきて、私たちに説教しはじめた。こういうことをしてもらったら困る、ここはお店である、などなど。
 私たちはいちおう事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
 店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。
 しかし、店長は言った。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」
 いったい何のきりなのかよくわからないが、店の人がそこまで大ごとと感じるならまあしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。

ばなな氏はいかにも自分たちが冷静だったように書いているが、ビールを「たくさん注文」したり持ち込んだワインを「味見」していたのだからアルコールが入っていたのは間違いない。私の想像では、「たくさん注文」したビールをぐいぐい飲んでかなり出来上がっていたのではなかろうか。身勝手な人と同じく、酔った人ほど「自分は素面だ」と言いたがるものだ。
店長の年はそれこそどうでもいい話である。ばなな氏は40過ぎなのだから居酒屋の店長が年下であって何の不思議もない。わざわざ「どう考えても年下」と描写するあたりにばなな氏の年下を軽んじる意識が見える。
持ち込み自体の是非については「店による」としか言いようがない。個人的には持ち込み料をとればいいんじゃないの、と思うけれど、不正な持込を事後承諾させるような小ずるいやり方は認められない、という考えかたもわかる。
店長の「説教」や「ばかみたいにまじめな顔」もどこまで本当なのかわからない。ばなな氏がそう感じたことは事実としても、冷静な第三者が見ていれば「店長さんは丁寧に店の事情を説明し、愛想良く『持ち込みはご遠慮くださいね』とお願いしていた」と言うかもしれない。「都会のチェーン店」で店長を任せられるくらいであれば、最低限の接客技術は身につけているはずだ。

あるいは、店長はばなな氏一行を「この店にそぐわない客」と判断して二度と来ないようにわざと不快な対応をしたのかもしれない。大声でバイトを叱るのも、客に説教するのも、「お前らもう来るな」という強い意思の表現だとすればそれなりに合理的だ。「居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況」はもしかしたらばなな氏一行が原因かもしれない。彼らの「ちょっと異様な年齢層やルックスや話し方」を不快に感じたほかの客が早々に店を出たり、入り口から一歩入って引き返した結果が「お客さんは私たちしかいなかった」だと考えるとつじつまが合う。
 もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。
 そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。
 居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況はけっこう深刻である。
 その深刻さが回避されるかもしれない、ほんの一瞬のチャンスをみごとに彼は失ったのである。そして多分あの店はもうないだろう、と思う。店長がすげかえられるか、別の居酒屋になっているだろう。
 これが、ようするに、都会のチェーン店で起こっていることの縮図である。

ばなな氏の居酒屋マーケティング論については「ご立派ですね」という感想だけにしておきたい。
顧客ターゲティングとか成功哲学とかギョーカイ人の人脈自慢とか、突っ込みどころはいくらでもありそうだが、私には知識もないし何よりめんどくさい。店長や居酒屋チェーン経営者の立場はいざ知らず、私が一人の客として思うのは「ちょっと異様な年齢層やルックスや話し方」で「かなりの人脈」をひけらかしたがるような手合いがたむろする居酒屋は願い下げだ、頼まれても行きたくない、ということだけである。
ばなな氏は件の居酒屋の未来を「多分あの店はもうないだろう、と思う。店長がすげかえられるか、別の居酒屋になっているだろう。」と予想している。予言が当たったのかどうか知るよしもないが、彼女がたいへん不快な経験をして「はやくつぶれるといいな、と小さな呪いをかけ」たスーパー銭湯は評判もよく繁盛しているようだ。結構なことである。

ばなな居酒屋論争

2009年08月19日 | 日々思うことなど
ばなな居酒屋問題がネットで燃え広がっている。すでにちょっとした事件といえる。

よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」 - 活字中毒R。
はてなブックマーク - よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」 - 活字中毒R。
痛いニュース(ノ∀`):「私が人脈持ってる人間だとわからないの!?」…吉本ばなな氏のエッセイを紹介したサイトが話題に
J-CASTニュース : ワインの居酒屋持ち込みはあり? ばななエッセイに賛否両論
livedoor ニュース - "わたしには人脈があるの"! よしもとばななの一言がネットで炎上!

ばなな 居酒屋 持ち込み - Google 検索

「ばなな 居酒屋 持ち込み に一致する日本語のページ 約 71,700 件」。びっくりである。
しょうもない話だから最初に話題となったはてな内だけで終わるだろう、と思った私はカルーアミルクよりも甘かった。前の記事で「はてな限定」とか「小町化するはてな」とか言ってごめんなさい>はてなの人たち

「事件」そのものについては、割とどうでもいい。誰もが納得するような正解は多分ないし、それでちっともかまわない。
それぞれの居酒屋が持込を受け入れる(拒否する)度合いが10段階で1~10のどのレベルであっても営業の自由だ。客は自分の好みやそのときの事情に合わせて店を選べばいい。今回の悲劇(?)は店と客のマッチングがうまく行かなかったことに尽きる。
「誰が悪い」論争はおいといて、個人的に興味深かったことを書く。

● 論争になるかと思ったらバッシングになった
よしもとばななといえば海外でも名の知られた人気作家である。女性を中心に熱心な読者も多い。 …と思っていた。
ばななファンの人たちが無理やりにでも居酒屋事件を擁護して一歩も引かず、あちこちで議論が起きるのかと野次馬根性で期待していたけれど、意外にもばなな氏を庇う声はほとんど聞かれずバッシングになった。そういえば、最近よしもとばななの小説が話題になった覚えがない。
私はよしもとばななの本を一冊も読んだことがないので、彼女の作家としての価値はわからない。
だが、ばなな氏は公式サイトを持っていて、そこで日記を公開している。言ってみればブロガーである。
私もブロガーの端くれとして言わせてもらえば、ばなな日記の文章はずいぶんひどい。とても有名作家が書いたものとは思えない。私がRSSリーダーに登録している一般人や芸能人のブログ日記のほうがよほどいい。ああいう駄文を垂れ流していれば、かつてのファンがばななバッシングに対抗して戦う気力をなくしても無理はない。

● チェーン居酒屋に集まる支持
「ばなな氏は悪いけど、堅物の店長も感心しない」という喧嘩両成敗的な意見がかなり出てくるかと思ったらそうでもない。むしろ「マニュアル通りにやった店長は正しい」的な支持のほうが多い。ちょっと意外だ。
居酒屋に何年も行ってない私が言うのもなんだが、「チェーン居酒屋」という業態は世間で愛憎入り混じった視線で見られているのかと思っていた。ばなな氏じゃないけれど「融通が利かない」とか、「実はそれほど安くない」「料理がまずい」「サービス悪い」とか、「従業員をコキ使ってる」とかいった悪い印象を抱く人もいるはずだ。ばななファンではなくて「アンチチェーン居酒屋」の人たちがばなな側に立って居酒屋批判をするかと思ったら、そういうことは起きなかった。意外に愛されてるなチェーン居酒屋。
ばなな氏のクレームを改善のヒントに生かして…的な意見をいくつか読んだ。

お客様を見るか、利益を見るか - タケルンバ卿日記
居酒屋業界の人達が、今回の「ばなな祭り」にヒントが隠されている事に気づいているのかな - 煩悩是道場

それぞれごもっともではあるけれど、「ばななバッシング・チェーン居酒屋支持」のネット世論を見ると、むしろばなな氏みたいに面倒な客を切り捨ててサービスのマニュアル化を徹底するほうがビジネス的に「正解」なのかなという気がする(居酒屋に行かない自分が言っても説得力ないけれど)。

居酒屋での出来事は深いな

2009年08月14日 | 日々思うことなど
居酒屋に隠して持ち込んだワインを飲んで店長に怒られた、という360度どこから見ても情けない話がはてなで盛り上がっている。

よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」 - 活字中毒R。
はてなブックマーク - よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」 - 活字中毒R。

ブックマークの下に並んでいる「このエントリーを含むエントリー」を見ると、まさに百花繚乱の様相。よしもとばななは酒井法子なみの「人気」を集めたようだ(はてな村限定)。ますます小町化するはてな村。十年一日のウヨサヨ論争とか俺は頭がいい合戦よりはマシかも。
誰が悪いとかどうすべきだったとか口角泡を飛ばす激論をしてもしょうがないけれど、まあ何か言いたい人は気が済むまで語ればいいと思う。居酒屋談義って楽しいよね(意味が違う)。そういえば、気がつけば何年も居酒屋の暖簾をくぐってなかった。どれだけ友達いない&付き合い悪いんだ自分(ついでに金もない)。

なぜこの事件とも呼べないような事件がこれほど注目され(はてな村限定だけど)議論の的になったのかちょっと考えてみる。
よしもと氏は頭の固い店長にたいして「いいときの日本を知らないんだなあ。」とのたまい、「○内○外日記」goldhead氏はそれに反発する。

よしもとばななの「正しさ」になんか頭きた - ○内○外日記
 そんで、なんだかマーケティング先生かわかんねーけどさ、そんなこまけえ縮図を見る前にさ、最後「いいときの日本」なんて言うくらいならよー、なんでいいときの日本じゃなくなったのかしらん、とか、ちょっとは考えろよ。お前の目の前にいる店長も、たぶんこうやってる俺も、いいときの日本の日本人じゃねーんだよ。ああ? くそったれ、ざまあみろ、お前が目を背けてるうちに、「客も人間」とかのたまう「人間」の中身が変わってるんだぜ、ばかやろう、俺はおまえの本を読む金も教養もねえぞ、放り出されろ、太った豚め! 豚脈ごとソーセージにして食ってやる!


時代の変化については「格差」とか「下流社会」とかいった言葉を使って語りたい人がたくさんいるだろうからお任せする。個人的には、よしもと氏のわがままがどこの居酒屋でもニコニコ受け入れられるような「いいとき」なんてなかったんじゃないかと思うけれど。戦後の日本は、…いやもっと前、明治維新から、いやいや貨幣経済が津々浦々に浸透したころ(室町時代?)あたりから世間はずっと世知辛いです。渡る世間は鬼ばかり、それにつけても銭の欲しさよ。

「いいときの日本」という言葉から時代を抜けば「日本」が残る。そう、この事件はとても日本的なのだ。
ひとことでいって、よしもと氏はお店に甘えているし、店長は頭が固すぎる。「甘え」と「クソ真面目」という日本人らしさが激突してかくのごときしょうもない事件が起きた。たしかにしょうもない事件なのだけれど、何しろ日本人の精神的原型に関わるような話だから(大げさ)一般的でもある。同じような不愉快な経験をしたことのない日本人はいない。だからたくさんの人が頭にきて熱心に批判罵倒慨嘆する。マナーの議論はルールの議論より白熱しやすい。

甘えの構造 - Wikipedia
本書によると、「甘え」は日本人の心理と日本社会の構造をわかるための重要なキーワードだという。甘えとは、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという、日本人特有の感情だと定義する。この行動を親に要求する子供にたとえる。また、親子関係は人間関係の理想な形で、他の人間関係においても、親子関係のような親密さを求めるべきだという。

私自身は間違ってもクソ真面目な人間ではなく、春夏秋冬いつでもどこでもだらしない「甘え」タイプである。
だがこの事件では自分に似ているはずのよしもと氏のほうに嫌な印象を持った。自分の身勝手でだらしなくてダメな部分を見せつけられたような感じ。あるいは、甘えをゴリ押しする下手なプレーヤーのせいでルールが厳しくなるのを恐れる気持。甘えを否定はしないけど、もうちょっとうまくやれよ。
堅物の店長さんについては、サービス業としてちょっとどうなのかと思うこともあるけれど、クソ真面目な人が日本を支えてくれているのは間違いないので自分のような甘えタイプが文句言うのは気が引ける。真面目な人が真面目に批判したり真面目に反省してくれるとありがたい。居酒屋における持ち込み問題は悩みのタネらしいのでその点は大いに同情します。がんばれ居酒屋の店員さん、何年も行ってないけど今度行ったらサービスしてね(←甘えてる)。


(追記)

ばなな居酒屋論争を「甘え」と「真面目」の対立と捉えたブログ。

黒ウサギのつぶやき 【クチは】よしもとばなな×居酒屋②【ツグマない】
お互いの立場というものもあるのだが、ざっくり言うと、

・ばなな女史は『客』ということを利用して我侭を通そうとしている。
・店長は「雇われ店長」であることを自覚しており、その範囲内で職務を全うしようとしている。


言い換えれば『甘え』VS『真面目』であろうか。

この切り口がいちばん単純明快だと思うけれど、なぜか「甘え」論を語るブログがほとんど見つからないのは不思議だ。

勇敢な眞鍋さん、情けない城内氏 (その4)

2009年08月05日 | 日々思うことなど
いつのまにかシリーズ化してしまったポスター問題だが、今回は眞鍋さんと城内氏がこの事件において何を考えていたか推測してみる。
もちろん私はエスパーじゃないし、眞鍋さんのファンでも城内氏の支持者でもないので、お二人が実際のところどういう考えだったのかはわからない。以下に書くことはすべて私の想像にすぎない。


城内氏がポスターを作ろうと思ったことがすべての始まりだから、城内氏の心理から考えてみる。
ついこのあいだまで「芸能系国会議員」を批判していた「信念を貫く男」が、なぜ人気女性タレントを自分のアイキャッチに起用しようと考えたのか。
誰かに押し付けられたとか仕組まれたといった陰謀論をとらないかぎり(そんな証拠はまったくない)、城内氏が眞鍋さんのファンだったと考えるのが自然である。一年前に対談したときからなのか、それ以前からなのか知る由もないが、たぶんかなり前からだろう。対談の動画(すでに削除されている)を見た人の感想を読むと「目尻を下げた城内氏、顔をこわばらせる眞鍋さん」という印象が共通している。
選挙戦術として眞鍋さんの起用がどれだけ「本気」だったのかというと、私はそれほどではなかったろうと思う。本気で人気取りの戦力にするつもりなら、わざとポスターを少なく刷って「眞鍋を探せ作戦」なんてまどろっこしいやりかたはしない。実際に選挙区に来てもらって、城内氏のとなりで手を振ったり応援スピーチしてもらうことで彼女の人気をしゃぶりつくそうとするはずだ。だが、城内氏にはそんな発想自体なかったようだ。

たぶん、城内氏にとって眞鍋さんは「選挙の女神」のような存在だったのだと思う。受験生が恋人や好きなアイドルの写真をお守りにするように、城内氏は眞鍋さんとの2ショットポスターを幸運を呼ぶ護符にしたかったのだ。だからわざと少なく刷って「レアカード」にした。知る人ぞ知る状態を保ちたかった。むしろ眞鍋さんを使って即物的な人気取りをするような発想を嫌っていたかもしれない。眞鍋さんが「特定候補を応援するつもりはない」と明らかにしたのに写真使用の権利にこだわった不可解な判断も、合理性ではなく呪術的な理由だったとすれば理解できる。
一人の男としては、アイドルに幸運の女神になってもらいたいという気持も理解できる。私自身いい年していまだに可愛い女性アイドルが大好きだ。だが、立候補を予定している44歳の元衆院議員がやることにしては「あまりにも幼稚すぎる」と批判されても仕方がない。
逆に、本気で人気取りのため使うつもりだったのにああいうやり方をしたのであれば実務能力に欠けている。「信念を貫く」硬派のイメージとも矛盾してしまう。どちらにしてもたいへん情けない。

ポスター事件で明らかになったのは、城内氏に他者の人格を尊重する気持が薄く、トラブルを収束させる能力が皆無 ― それどころか、普通なら収まるところを無駄な騒動にしてしまう ― という事実だ。
前の記事に書いたマジシャンの姿はその寓話である。「つぎはぎだらけで薄汚い仕掛け」は眞鍋さん自身の意思を無視して契約(実際には取れていなかった)と既成事実で縛りつけようとするやり方を、「ズボンが落ちてパンツ丸見え」は愚かな対応に固執して恥を恥とも思わない鈍感さを表している。タレントの人格を無視して事務所との契約によって選挙キャラクターに仕立て上げるおぞましさについては"extra innings"iteau氏の記事に詳しい。

 城内実氏と眞鍋かをり氏の件 - extra innings
彼女個人の思想信条のみを重視するならば、彼女の所属事務所には城内氏は何の関係もないはずで、事務所の許諾云々はまったく関係ない話である。子供じみた言い訳以前の話、これが言い訳として通用すると考えるメンタリティ自体、有権者を愚弄しているとしか言いようがない。

城内氏の言い訳は、要は、芸能人の支援をカネなりコネで買った、と言っているのと同然であって、カネで買ったものをそうではないように見せかけて有権者に提示する行為自体、政治家としていかがなものか。


 城内実氏問題 - 無断使用とはどういうことか - extra innings
城内氏が最後まで結局理解できていないのは、思想信条の自由がごく個人的な権利であり、基本的人権であるということだ。

私個人の政治思想の意思を他者が代弁することは出来ない。

無断使用とは、私に無断で私の意思を捏造されることであり、徹頭徹尾、それ以外のものではあり得ない。

このような個人的な基本的人権を、当人ではない第三者(事務所)の許諾でどうこう出来るという発想自体が問題なのである。

政治的意思の表明は単なる商品の宣伝とは違う。その人自身の人格・尊厳に密接に関わることだ。
事務所が勝手に決めた契約でタレントが幸福実現党の候補者の宣伝を強制されたらたまったものじゃない。これは幸福実現党だからということではなく、自民党でも民主党でも無所属の候補者でも同じである。ごく当たり前のことなのだが、タレントを事務所の奴隷のように思っている人がかなりいる。城内氏を擁護する人たちの中では一般的な感覚のようだ。嘆かわしいことである。

堅苦しい人権論ではなく損得の点から考えても「眞鍋ポスター」はありえない。
タレントのキャラクター作りのために事務所が勝手に好物とか特技を設定する、という話はときどき聞く。本人があまり納得していなくても、キャラが立つことで人気が出れば芸能人としてメリットになる。小倉優子の「こりん星のお姫様」設定は本人が考えたのか事務所が作ったのか知らないが、今のところはバラエティータレントとして役に立っているようだ(ゆうこりんはときどき愚痴はこぼしても「こりん星人やめます」とは宣言しない)。
だが、特定候補を応援しないのがポリシーの眞鍋かをりさんに「城内候補を支持する」キャラクターを設定(政治的色付け)しても得するのは城内氏だけである。本人は嫌がる、事務所は仕事が減る、ファンも「なぜ?」と当惑する。
城内氏は自分の作った2ショットポスターが眞鍋さんに損害を与えるだけだとわかっていたのだろうか? これまでの話を聞けばどうやらぜんぜんそういう心配はしていない。「写真の使用許可を取った(つもり)のだから使う権利がある」という理屈を繰り返すだけで、自分の身勝手さに気付いたとか反省したという兆しはカケラもない。まったく驚いてしまう。いや、このような人物が存在することよりも、多くの支持者を集め有力候補と目されていることのほうがよほど信じられない。



それでは真鍋さんは今回の事件で何を考えていたのだろうか。
間違いなく眞鍋さんにとってポスターや「応援メッセージ」の存在は寝耳に水だった。7月29日のスポーツ新聞で初めて知った眞鍋さんは急いで事務所に事実関係を確認し、ブログで「特定の候補者を応援するつもりはない」と報道を否定する(事件の経緯についてはまとめwikiを参考にした)。

眞鍋かをりのココだけの話 powered by ココログ: ポスター掲載の件
今朝のスポーツ新聞に掲載されていましたポスターについてです

候補者の方と私が一緒に写っている写真が使われていますが、その方とは全く関係ございません。

1年ほど前に一度だけ対談でお会いしてそのときに写真を撮りましたが、何故その写真がポスターになってしまっているのかわからず困惑しています。

私は特定の政党や政治家の応援はしていませんし応援コメントも出していません。
何故このような使われ方をしたのか確認して対処したいと思います。

とりあえずご報告まで。

補足

きちんと確認をしてからコメントすべきというご意見をコメント欄にて

いただきました。ありがとうございます。言葉足らずですみませんでした。

もちろん更新前に事務所にどこまで把握しているのかを聞いて

その上で自分がそういった声明を出して良いか確認をしています。

いろいろとむこうの事情もあると思いますので

ただ私が言えるのは

政治に関して特定の人物を応援することはありえない

ということだけです。

彼女があわてていたことは写真の勘違いからもわかる。「候補者の方と私が一緒に写っている写真が使われています」と書いているが、実際に無断使用されたのはオフィスプロペラに委託された宣材写真であり、対談時のツーショットではない。どう見ても情報不足による勘違いであり、事件の本質とは無関係なのだが、城内氏を擁護する人の中には陰謀の証拠のように騒ぐ人たちがいる。はっきり言って頭が悪すぎる。

あわてていて、たぶん怒ってもいただろうけれど、彼女の文章は実によく配慮されたものだった。
城内氏の実名をあげず、批判せず、何も要求していない。「政治に関して特定の人物を応援することはありえない」と自分のポリシーを曲げるつもりがないことを明らかにした上で、「何故このような使われ方をしたのか確認して対処したいと思います」と城内氏が自主的に対応(ポスターとパンフレットの回収、謝罪)する時間を与えている。これほどまで被害者に気を使ってもらいながら、「事実を確認せずいきなりヒステリーを起こした」などと眞鍋さんを中傷した城内氏の支持者は恥を知るべきだ。
逆に、本当に攻撃的な文章にしてみたらどうなるか。

城内みのる氏が私の写真を無断で使用し、応援メッセージを偽造したことに強い怒りを感じています。直ちにポスターとパンフレットを撤去するよう要求します。要求が受け入れられない場合は、損害賠償請求と選挙管理委員会への告発を覚悟してください。

私としてはこれくらいやってくれたほうが痛快なのだが、タレントとしての好感度を考えると政治家とのケンカは望ましくない。城内氏へのバッシング(当然それに値すると思うけれど)の口火を切ることは避けたい。誤算だったのは、城内氏が常識外れの「信念を貫」いて、写真使用許可を取ったつもりだからポスターを使い続ける、という自爆宣言をしたことだ。
城内氏の愚かしい対応を見て眞鍋さんがどう思ったか知らないが、「とても相手にしていられない、自分の意思ははっきりさせたから、あとは事務所に任せよう」と呆れても不思議はない。本当にお疲れさまでした。

勝手にこんなことを想像されると迷惑かもしれないが、ブログを書いたときの真鍋さんはよほどの覚悟を決めていたと思う。
事務所が「ちょっと待て、こちらで確認して対処する」と止められたら一日や二日は待ったかもしれないが、それ以上は我慢しなかったろう。たとえ事務所と対決しても、「自分のポリシーを無理やり曲げられそうで困っている」と明らかにしたはずだ。もしも事務所がヘタれて「エラい人には逆らえないから城内氏を応援してやれ」と命じられたら、それこそ事務所を飛び出す覚悟で戦っただろう。最終的に芸能界引退といった可能性も視野に入れていたのではないか。
そこまで覚悟を決めていたからこそ、素早い対処をしながら城内氏へのあからさまな批判や要求を避け、自主的な判断に期待したのだろう。城内氏がしっかりしたポリシーと倫理観をもっていれば「予期せぬ行き違いがあった」ということで騒ぎになる前に自ら引いたはずだ。ところが実際の城内氏は、誰もが想像できないほど独特の「信念を貫」き、誰の得にもならない騒ぎを爆発させてしまった。

こうして振り返ってみると、城内氏は常に利己的で感情的であり、眞鍋さんは周囲に配慮しつつ自分のポリシーを曲げていない。城内氏のやり方ははっきり言って公序良俗に反しているが、眞鍋さんは芸能界という特殊な世界の中で筋を通した。城内氏の政治活動がどうなるか、眞鍋さんの今後の芸能生活がどうなるか私にはわからないが、お二人が今回の事件で見せた人間性が変わらなければおのずと明らかだと思う。

勇敢な眞鍋さん、情けない城内氏 (その3)

2009年08月04日 | 日々思うことなど
何回も書くことじゃないような気もするのだが、やっぱり面白い問題なのでまた書く。
「面白い」というのはゴシップ的な興味もあるけれど、危機管理とか人間性(他者の権利の尊重)、コミュニケーション(誰を信頼し誰を信じないか)といった多くの問題についてコントラストの強いイメージが見えてくるからだ。勇敢な眞鍋さんと情けない城内氏の姿はとても対照的である。

前の記事では眞鍋さんの勇気と賢さを大いにほめるつもりだったのだが、城内氏の情けない話がついつい長くなってしまった。今度こそ気合を入れて眞鍋さんのことを書こう。
…と決めた先からまた城内氏について書いてしまう。何をやってるんだ俺は。眞鍋ファンの方、読者の方々ごめんなさい。

言ってみれば城内氏は眞鍋さんの顔と名前を利用してマジックを披露するつもりだったのだ。
招待席には静岡7区の有権者。彼らを気持ちよくだまして「清き一票」を集めることができれば大成功だ。マジックの発想と準備は倫理的にも技術的にも穴だらけだが、結果良ければすべて良しである(本当に?)。
タキシードで身を固めた城内マジシャンは自信たっぷりで舞台に立つ。自信作「眞鍋ポスター」マジックがいよいよ始まる。
…と、そのとき。マジックのタネを覆い隠していたベールがひらりと落ちた。つぎはぎだらけで薄汚い仕掛けがあますところなく観客の目にさらされる。あわてたマジシャンがベールを拾ってもとの位置に戻そうとするが後の祭りだ。かがんだ拍子にサスペンダーが切れてズボンがくるぶしまでずり落ちてしまう。舞台の上にいるのはパンツ丸出しのマジシャンと二度と使えない手品の種。
平凡なマジシャンなら、あわてて舞台の袖に隠れるとかズボンを上げて観客に詫びるとかするところだ。だが「信念を貫く男」城内マジシャンは違う。なんと、上半身はタキシード、下半身はパンツ丸出しという恥ずかしい姿のままで、表情も変えずに(ネタバレした)眞鍋ポスターマジックを続けようとするではないか!あんびりーばぶる!ひーいずあぶれいぶ!おあくれーじー!
一瞬、気を飲まれて静まり返った観客席がざわめきだす。あちこちでブーイングが起こり、足を踏み鳴らしたりこぶしを突き上げて抗議する客もいる。ここにきてようやく「まずいことが起きている」と気付いたマジシャンは、「みなさん、マジックの準備は完璧でした。決して私のミスではありません」と正当なる説明をするが、わかってくれる観客はあまりいない。ブーイングと足踏みは高まり、地鳴りのように舞台を震わせる。手を止めて舞台の上で立ちつくす城内マジシャン。いまだにパンツは丸出しだ…。

一度見たら忘れられないほど印象的で情けない光景といえる。
「ネタがばれたのにマジックを続けようとする信念のマジシャン」「パンツ丸出しで舞台に立ち続ける信念の(略」こんなハプニングは見ようと思って見物できるものじゃない。それに比べれば、「マジックを準備したのは誰か」とか「失敗したのは誰の責任か」といった問題はどうでもいいことに思えてくる。今はただ舞台の上のマジシャンを見つめて痛いいたい。



情けなくて痛い人のことはこれくらいにしよう。カッコいい女性のほうがずっと目の保養になる。
ポスター事件が発覚したときから今日までずっと眞鍋かをりさんはカッコ良かった。率直に、過不足なく、自分の気持を自分の言葉で語った眞鍋さん。ダメな対応、逆効果の発言を続けた城内氏とは対照的だ。眞鍋さんに城内氏を貶めるつもりはちっともなかったのに、城内氏が自分で泥沼を作り上げてズブズブと沈んでしまった。奇妙奇天烈、摩訶不思議。

眞鍋さんに対して「本人がいきなりブログに書くから問題が大きくなった、事務所に任せて黙っているべきだった」という批判が向けられている。ああ、くだらない! 眞鍋さんの関知しないところで勝手に彼女の写真を使ったポスターを作り、勝手に貼り出し、勝手に取材を受けたのは城内氏のほうだ。眞鍋さんこそ望まないしメリットもない「城内候補の応援者」イメージを貼り付けられた被害者なのだ。自分勝手な行動で迷惑をかけておきながら被害者に「黙っていろ」なんて虫のいい話が通るはずもない。ポスターを貼り出す前に、城内氏が眞鍋さんの事務所に仕上がり確認を求めていれば、それこそ事務所に内密の対応を任せることができた。眞鍋さんがポスター問題を公表する必要もなかった。すべての責任は当然行うべき連絡・確認を怠った城内氏の側にある。

 眞鍋かをりのココだけの話 powered by ココログ: ポスター掲載の件 2009/07/29
今朝のスポーツ新聞に掲載されていましたポスターについてです

候補者の方と私が一緒に写っている写真が使われていますが、その方とは全く関係ございません。

1年ほど前に一度だけ対談でお会いしてそのときに写真を撮りましたが、何故その写真がポスターになってしまっているのかわからず困惑しています。

私は特定の政党や政治家の応援はしていませんし応援コメントも出していません。
何故このような使われ方をしたのか確認して対処したいと思います。

とりあえずご報告まで。

補足

きちんと確認をしてからコメントすべきというご意見をコメント欄にて

いただきました。ありがとうございます。言葉足らずですみませんでした。

もちろん更新前に事務所にどこまで把握しているのかを聞いて

その上で自分がそういった声明を出して良いか確認をしています。

いろいろとむこうの事情もあると思いますので

ただ私が言えるのは

政治に関して特定の人物を応援することはありえない

ということだけです。


 ・ ポスターがどのような経緯で作られたのか承知していない、今はただ困惑している
 ・ 特定の政治家を応援するつもりはない、事実を確かめて対処する
 ・ 事務所に確認したうえで自分の意思を明らかにした

さすが初代ブログ女王と感心した。自分の思いを過不足なく伝えていて立派なものである。
私が眞鍋さんくらいの年齢でこういう目にあったら、カッとなって城内氏を名指しで批判するか嫌味ったらしいことを書いていただろう。眞鍋さんはきっぱりと自分の顔と名前の政治的利用を拒絶しながらあえて城内氏の名前を出さず、声高にポスターの撤去や謝罪を要求したりしない。当惑しながらもトラブル拡大を望んでいないことがよくわかる。たぶん事務所のチェックも入っているのだろうが、眞鍋さんの肉声が感じられる気持のいい文章だ。
対照的になんとも不出来なのが城内氏の文章である。

 ☆お知らせ☆ ポスター掲載写真の件について « 城内実のとことん信念ブログ
2009-07-30 07:55 by 城内 実
 この度、眞鍋かをり氏掲載のポスターに関し、あたかも無断で使用したかのような内容の書き込みが当ブログのコメント欄などでなされておりますので、以下でご説明させていただきます。

 当方は、ポスター作成に際し、都内在住の知人のご好意で、眞鍋かをり氏所属事務所より、ご本人の写真をお借りして、掲載許可をいただいた上でポスターを作成いたしました。

 したがって、無断使用した事実はありませんので、この場をお借りして皆様にご報告させていただきます。

 ☆お知らせ☆ 眞鍋かをりさんポスター掲載について « 城内実のとことん信念ブログ
2009-07-31 11:41 by 城内 実
 昨日より、マスコミ各社で報道されている標記の件に関し、当後援会作成のポスターに起因して、眞鍋かをりさんがテレビ番組の出演を見合わせるなど芸能活動に支障をきたしていることに大変心を痛めております。
その結果を重く受け止め、現在掲示中のポスターを早急に撤去する事といたしました。
 また、城内みのるオフィシャルサイトに掲載中の眞鍋かをりさんとの対談動画も早急に削除いたします。
 眞鍋かをりさんの、今後益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。

慇懃無礼で独善的、迷惑をかけた相手への思いやりや謝罪の気持がちっとも伝わってこない。特に最初の文章では眞鍋さんという人間の存在そのものを無視して「契約があればいいだろ、つべこべ文句言うな」的な顔を見せていてたいへん印象が悪い。コメント欄が炎上して反省したのか、翌日には急に彼女の仕事を心配してみせる。なのに、眞鍋さんを困惑させたことには触れず自分の心の痛みばかりを語る。なんという薄っぺらさ。どうやら城内氏には他者の人格を尊重する気持が根本的に乏しいようだ。「信念を貫く男」と書いて「じこちゅう」と読めばちょうどいい(ピカチュウの仲間ではない)。
ポスターの存在がスポーツ新聞に掲載され、眞鍋さんがブログで困惑を明らかにした7月29日から5日も経った後で、ようやく城内氏は謝罪の言葉を述べた。

眞鍋かをりポスター問題で城内氏が謝罪 「無断使用していない」 - MSN産経ニュース
 衆院選に静岡7区から無所属で出馬予定の城内実氏(44)の後援会ポスターに、タレントの眞鍋かをりさんの写真が使用された問題で、城内氏自身が3日、「眞鍋さん自身、眞鍋さんの事務所、ファンの方々にご迷惑をおかけしたことをおわびいたします」と謝罪した。

 衆院選に向けた共同インタビューの冒頭、城内氏自身が「私からお話ししたいことがあります」と切り出した。

 写真使用について城内氏側は「都内の会社を通じて了解をいただいている」としているが、眞鍋さんは自身のブログで「なぜその写真がポスターになったのか困惑している」と、自身が知らぬところで写真が使われたと抗議していた。

 城内氏はすでにポスターの大半を撤去済みとした上で、「(写真使用について)仲介した会社と眞鍋さんの事務所との間で十分に了解が得られていなかったようだ。私たちはご了解いただいたと思っており、無断使用していないと思っている」と説明。「おわびは申し上げるが、趣旨が伝わっていなかったとすれば非常に残念です」と述べた。

謝罪のはずなのに言い訳臭く、むしろ「自分は正しいのに無理やり頭を下げさせられて不本意だ」とでも言いたそうな、不思議な言葉が並んでいる。もっとも、これが城内氏の肉声そのものという保証はない。インタビューの書き起こしだから記者の編集によってずいぶん印象が変わってくる。こういうところが眞鍋さんとは比べようもなく下手くそだ。

 ・ 眞鍋さんはポスターの存在を知ったその日にブログで困惑を明らかにした。
 ・ 城内氏は謝罪をためらいぐずぐずと5日間も無駄にした。

 ・ 眞鍋さんは自筆の文章ではっきりと自分の気持を伝えた。
 ・ 城内氏はインタビューという形でマスコミのフィルタリングを許した。

スピードの点でも正確さの点でも眞鍋さんの方がはるかに上だ。遅らせたりあいまいにすることで城内氏が何か得をしたのかといえば、何もない。ただ眞鍋さんのストレスを増やし、ネット上の(誰も得しない)騒ぎを過熱させただけである。城内氏が外務省で教えられたコミュニケーション技術がどういうものなのか知らないが、今の日本で役立つものではなさそうだ。もったいぶって偉そうに見せる効果だけは認められる。

「ポスター事件」に示された眞鍋さんと城内氏の対照的な姿はたいへん興味深いものだった。お二人の姿から学べることがたくさんある。眞鍋さんは不本意なトラブルに巻き込まれたときのお手本として、城内氏は自分のミスによって誰かに迷惑をかけたときの反面教師として。

勇敢な眞鍋さん、情けない城内氏

2009年08月02日 | 日々思うことなど
眞鍋かをりさんと城内実氏のポスター問題。
政治的な意味では、臨機応変に適切な対応ができなかった城内氏の資質に大きな疑いを残す結果になった。というか、はっきり言ってダメ過ぎである。ほとんど論外。ありえない。無理。反故になったポスターに丸々一日執着した城内氏を「感情的で愚か」という言葉以外で説明するのは難しい。

政治(選挙)の問題ではなくゴシップとしては、ポスターが作られた経緯に注目が集まった。誰が何をやらかしたせいでこんな問題が起きたのか、バカな奴、悪い奴は誰なのか? 多くの人がさまざまな立場から「犯人探し」をして楽しんだ。実は私もその一人である(言わなくてもバレてる)。

 城内サイド = 城内氏・城内事務所
 「仲介者」  = オフィスプロペラの木村正明社長
 眞鍋サイド = 眞鍋さん・株式会社アヴィラ

城内氏と城内事務所は今のところ一体のものと考えていい。

オフィスプロペラの木村社長は、ZAKZAKの記事によると以前から城内氏と懇意だそうである。ポスターのプロデューサー的役割。

眞鍋さんと真鍋さんの事務所(アヴィラ)は必ずしもうまく行っておらず、事務所移籍といった話も出ているらしい。


「えっ」と思った…眞鍋&城内ポスター撤去で決着 仲介の事務所社長が不手際を謝罪 - ZAKZAK
 総選挙に静岡7区から無所属で立候補を予定している城内実氏(44)の後援会ポスターに、タレントの眞鍋かをり(28)の写真が使われた問題で、双方の橋渡しをした人物が31日、「私の説明不足で、双方に迷惑をかけた」など経緯をつづったファクスをマスコミ各社に送付した。

この記事が出たときは「木村社長がいちばん悪い、眞鍋さんと城内氏はどちらも被害者」という見方が2ちゃんねるでは優勢だった。ところがデイリースポーツの記事でムードが一変する。

眞鍋かをり写真使用は無断じゃなかった(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
 タレント・眞鍋かをり(28)が、衆院選静岡7区から無所属での立候補を表明している城内実氏(44)の選挙ポスターに自身の写真を使用された件で、眞鍋の所属事務所が、事前に使用を了解していたことが31日、わかった。双方の仲介役を務めた制作会社の関係者が明かしたもの。事情を知らなかったのか眞鍋は自身のブログで「その方とはまったく関係ない。困惑している。なぜこのように使われたのか」とコメント。大きな騒動となっていた。またこの日、城内氏サイドは問題のポスターを撤去し、騒動の沈静化を図った。

典型的な飛ばし記事である。「制作会社の関係者」のコメントの裏をとっていない。だが、多くの2ちゃんねらーが記事のタイトルを鵜呑みにして眞鍋叩きに走った。

眞鍋終了のお知らせ。事務所が城内に許可を与えたのを知らずに火病っただけでした:アルファルファモザイク
3 ヤブテマリ(千葉県) :2009/08/01(土) 11:10:22.22 ID:ZNHVGP5j

城内叩いてたアホは死んでお詫びしろ。


13 カンパニュラ・サキシフラガ(山形県) :2009/08/01(土) 11:11:47.05 ID:3Kwxs5/h

>>3
またvip連中が叩いてたのか
普通に考えて真鍋みたいな奴の方が信用ならんのに


74 ヤブテマリ(千葉県) :2009/08/01(土) 11:16:12.24 ID:ZNHVGP5j

>>13
この板に城内叩きスレ立ってたろ。
「城内最低すぎワロタ」みたいなタイトルで。

いくら票が欲しくても、許可取らず勝手に芸能人の写真使うわけ無いのに、
簡単にマスゴミ側と眞鍋を信じたアホが、この板には居たわけだ。

バカは死ななきゃ治らん。


スーパーボール(懐かしい)のように跳ね返る2ちゃん世論の恐さを見た。
だが、眞鍋さんを責め立てる炎は反転して城内氏へと向かう。

J-CASTニュース : 眞鍋かをり「選挙ポスター」騒動 事務所側が許可「一切出していない」
衆院選静岡7区に出馬予定の城内実氏(44)の選挙ポスターにタレントの眞鍋かをりさん(28)が起用されていた問題で、眞鍋さんの所属事務所である「アヴィラ」が公式ホームページを2009年8月1日付で更新し、「掲載許可は一切出しておりません」と完全否定した。スポーツ紙など一部では、眞鍋さんの所属事務所が城内氏の後援会に対して事前に使用の承諾をしていた、と報じられたが、これに反論した形だ。


2ch】ネタちゃんねる m9( ゜д゜)っ 沈黙を破り、眞鍋事務所が声明 「写真の掲載許可は一切無い。どんだけ迷惑か考えろ」 
74 : ヤエザクラ(関東・甲信越):2009/08/02(日) 00:36:11.84 ID:1n4TzS8j
オフィスプロペラってなに?城内と眞鍋の仲介した会社?

89 : イカリソウ(dion軍):2009/08/02(日) 00:37:42.25 ID:Tw1fQ4aF
>>74
そう。

眞鍋かをり写真使用は無断じゃなかった (2009/8/1@Yahoo!ニュース)

のソースの仲介がオフィスプロペラらしい

34 : オンシジューム(関西):2009/08/02(日) 00:32:03.59 ID:X4FjQIJu
うわ城内死んだこれ

86 : リナリア(東京都):2009/08/02(日) 00:37:34.16 ID:ZtiY16nL
城内、ただでさえ終わってるのに
これで完全に息の根が・・・w

おまいらちょっともちつけ、と言いたくなるがどうせ無駄なので言わない。
「誰が悪い、誰が犯人だ」と騒ぐのは面白いけれど、実はこれまで意外な・決定的な情報は出ていない。「仲介者」が出てきて泥をかぶるのも、眞鍋事務所がポスターへの写真提供を否定するのもすべてはゼーレのシナリオ通り。城内氏の頑固さのせいで無駄にこじれた問題を収めるには、どちらかが完全降伏するか第三者(仲介者)に責任をかぶってもらうしかないのだから。
奇妙なのは、泥をかぶるはずの仲介者(木村社長・「関係者」)の不手際だ。特にデイリースポーツの記事は完全にヤブヘビだった。あれでは泥をかぶるのではなく、眞鍋さんと事務所(アヴィラ)に泥を投げつけることになる。誰に遠慮したのかこれまで沈黙を保っていたアヴィラもさすがに怒った。

アヴィラ公式/AVILLA OFFICIAL
2009年8月1日

マスコミ各位

眞鍋かをりのポスター掲載許可に関して

 7 月 31 日付で株式会社オフィスプロペラ側がマスコミ各位に送達した文章について、当社として 2 点ご説明申し上げます。

(1) 「掲載許可とその写真を入手」とオフィスプロペラ側が主張されていますが、当社はオフィスプロペラ側に対して、ポスターおよびインターネット上での眞鍋かをりの掲載許可は一切しておりません。

(2) 眞鍋かをりの「写真を入手し」に関しては、オフィスプロペラとの通常のイベント業務による写真入手であり、ポスター使用のために写真を貸与したわけではありません。

 以上、所属事務所としては、今回の城内みのる氏の一件に関して、オフィスプロペラ側の、写真無断使用により多大な迷惑をこうむったことを報告させていただきます。

株式会社 アヴィラ 代表取締役 原 徹

これまで怒りを溜め込んできたのがよくわかる。もうブチ切れですよ奥さん!
ずっと矢面に立たされた眞鍋さんも事務所が戦う姿勢を見せてやっと息がつけるだろう。これまでアヴィラはタレントを守ろうともせずに何をやっていたのか。事実の確認か、関係各方面との交渉か。確かにどちらも大事だが、せめてマネージャー一人くらいは体を張って眞鍋さんを守ってあげないとかわいそうだ。彼女が移籍したくなる気持もわかる。

このさき問題がどう展開してどこに落ち着くのかわからないが、事務所が写真使用許可を否定したことで眞鍋さんへの風当たりが弱まれば私はうれしい。自分の顔を無断使用した政治ポスターを「私は知らない、応援しない」とキッパリ否定した眞鍋かをりさんは勇敢な女性である。なんだか惚れてしまいそうだ。
もし眞鍋さんが黙っていたら、不透明な経緯によって作られたポスターが本人の承知しない選挙活動に使われてしまうところだった。ほとんど人権問題である。政治的に利用されたくないと思う芸能人の多くは、心の中で眞鍋さんの勇気ある行動に拍手を送っていることだろう。

日蝕ツアーと「ボッタクリ」

2009年07月23日 | 日々思うことなど
日蝕はご覧になりましたか?
私の住む地方では残念ながら曇りでちっとも見えなかった。NHKの中継を見てとりあえず満足。テレビって偉大だ。
ついでに言うと、ネットでのリアルタイム中継はアクセス過多でぜんぜん見られなかった。ネットが放送に取って代わる、みたいなことを言う人はまだまだ気が早いと思う。


YouTube - 46年ぶりの皆既日食・硫黄島

2ちゃんねるでは「トカラ諸島への日蝕ツアーの料金が高すぎる」とか「ツアー参加者以外の退去を要請するのはけしからん」みたいな話がさかんに論じられていた。

痛いニュース(ノ∀`):「日食見たい。島民に迷惑はかけない」 高額ツアーに参加しない“自粛破り”の上陸者続出…鹿児島・トカラ列島
はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):「日食見たい。島民に迷惑はかけない」 高額ツアーに参加しない“自粛破り”の上陸者続出…鹿児島・トカラ列島

はじめに言っておくと、私は料金設定も退去要請もそれなりに理由のあることで、島民への批判は行きすぎだと思っている。とはいえ、今回書きたかったのはそのことではない。私が気になったのは、高額の日蝕ツアーが「ボッタクリ」だという批判だ。言葉の使い方が何か違うような気がする。

ぼったくりの意味 国語辞典 - goo辞書

ぼったくり

物やサービスを提供する者が,消費者から不当に高額な対価を請求する行為。低料金に見せかけた勧誘を行い,実際には高い料金を請求するなど。
補足説明 盗人の隠語で「かっぱらい」,また大阪方言の「ぼったくる(=無理に奪いとる,ふんだくる)」からか

辞書にはこう書いてあるけれど、「不当に高額な対価」というのも人それぞれの基準があってなかなか難しい。
私が思うに、由緒正しい(?)ボッタクリには二種類ある。

一つは「騙すボッタクリ」。
繁華街の客引きが「1万円のセット料金、それ以上は1円もいただきません」とか甘い言葉で店に誘い込み、シケたサービスしか提供しない上に10万円の請求書を突きつける、みたいのが典型的だ。あるいは「価値のある貴重な絵だ」と称して大量生産のリトグラフを何十万で売りつける、とか。本質的には詐欺と同じだが、典型的なボッタクリでもある。

もう一つは「弱みに付け込むボッタクリ」。
終戦直後の食糧難の時代、高級な着物を持って農家をたずねてもわずかな米としか交換してくれず、泣きの涙で帰る。他には被災地で生活必需品を高価で売りつけるとか、水不足のときにミネラルウォーターを値上げするとか。
それがないと生きていけない、生活が立ち行かないものを足元を見て高く売りつけるのは卑怯である。

離島への日蝕ツアーが「由緒正しいボッタクリ」の中に入るのかどうか。
ツアー募集の際に嘘はついていない。旅行会社が「高級ホテルに宿泊します、行き届いたサービスをお約束します」とか言っておいて実際はテント住まいさせられたらまさにボッタクリだが、参加者は離島の不便さ、宿泊施設のレベルを承知の上で応募したはずだ。
「弱みに付け込む」というのもちょっと違う。日蝕見物ははっきり言えばレジャー、物見遊山である。日蝕を見ないと仕事に差し支えるとか生きていけないなんて人はツアー参加者にはいないはずだ。「物好きな人たちがすべて承知の上で人数限定の高額なツアーに参加する」のがボッタクリかというと、どうもそうは思えない。

2005年の愛・地球博のとき、「飲食物が高すぎる」「持ち込めないのはひどい」という批判があった。
「高い飲食物も入場料金のうち」と思えば納得できないこともない、ような気もするのだが、小泉総理の「弁当の持ち込みを認めるべき」という鶴の一声に世間は喝采を送った。あのときも私は「これで本当によかったのかな」とちょっぴり疑問に感じた。高いテナント料を払ったお店は赤字だったのではないか。別に大もうけしてほしいとは思わないが赤字は気の毒である。スキー場のように「食事クーポン付きの割引入場券」を作れば関係者もお客もハッピーだったかもしれない(あったのかな?)。
愛・地球博の場合は、国が関わる大イベントでもあり、入場者はごく普通の人たちだから「高いけど自己責任で」とは言いにくい。だが、日蝕ツアーは「離島に起きる自然現象を物好きな人たちが見に行く」という形である。極端なことを言えば、参加者さえ満足すれば30万だろうと100万だろうと他人がとやかく言うことじゃないような気がする。

「正当な価格」とは何か、というのはなかなか難しい問題だ。
私は経済学を学んだことがないのでデタラメなことを言うかもしれないけれど、万人が納得する正しい価格というのはありえないんじゃないかと思う。それをやろうとした社会主義国は軒並み失敗した。スーパーの陳列棚を眺めたり、あるいは美術商のショーウィンドーを冷やかしたりすると「ジャガイモが300円で、ラクガキのような現代美術が300万円、ということの意味は何なのだろう」とわけがわからなくなる。

以前の記事で「何でもかんでも簡単に『騒ぎすぎ』と決め付けるのはいかがなものか」という趣旨で「KSK問題」(簡単に 騒ぎすぎだと 決めつける)なる言葉を考えたことがある。ぜんぜん広まらなかったけれど。
それにちなんで、「自分の感覚では理解できない高額なモノ(商品・サービス)を簡単に『ボッタクリ』だと決めつける」ことを「KBK問題」と呼びたい。高価な美術品もボッタクリ、希少な食材もボッタクリ、人数限定の秘境ツアーもボッタクリ。自分の好みと財布に合わないものは全部ボッタクリと決めつけるような人が典型的なKBKだ。
バブル期(すでに歴史の一ページである)の風潮を裏返しにしたのがKBKだ。バブルの頃は「高いもの=良いもの」という思い込みがほとんど信仰の域に達し、本人も価値を理解できないようなシロモノに大金を出すのがもてはやされた。現在のような長く続くデフレ基調になると「高いものはみんなボッタクリだ、なんでも安ければ安いほどいい」というKBKが流行する。
まことに正当な価格を見極めるのは難しい。