今週、広島、長崎が61回目の原爆忌を迎えた。
原爆がもたらした惨禍がどれほどのもので、またその悲劇が現在進行形のものであることなど、ここで改めて述べるまでもあるまい。
いかなる理由をもってしても、原爆投下という無差別攻撃が戦時国際法に反する戦争犯罪であることも、またしかり、今更いちいち論ずるべきことでもあるまい(と思っている米国人は極めて稀ではあるが)。
さて、この原爆忌、一体何時まで続けるのだろうか。いや、永遠に続く(続けるつもり)のだろうが、より正確に言えば、一体何時まで今の形式で続けるの?、というのが筆者の疑問とするところなのだ。
まずもって、どうにもこうにも陰気臭い。この陰気臭さは、8月15日の武道館での戦没者慰霊式典にも通ずるものがあるが、この季節の蒸し暑さとあいまって、筆者には正直なところ「うんざり」なのだ。上述したように、原爆の悲劇は61年を過ぎた今も現在進行形である。お祭り気分でやれなどというつもりもないが、だからといってあの陰気臭さのままというのは、いつまでたっても敗戦の惨めさを引きずるっているような気がして、なんだか負け犬の傷をなめ合うような行為にも思えて、筆者としてはどうもいただけないのだ。
筆者が被爆地における原爆忌の式典に共感できないもう一つの理由は、演出のわざとらしさにある。明らかに大人の手によるものか多分に大人の手が加わったであろう作文を炎天下、子供に読ませるあのクサくありきたりな演出にはあきれるしかない。おまけに、今年はハーフの子供(合いの子は今時差別用語? ハーフも? ならば、ハイブリッドとでも言うべき?(笑))まで登場させる「心憎い(笑)」演出まで飛び出した。ハーフがいけないとは決して言うまいが、一体あの人選は誰がどのようにして決めるのだろうか・・・。
「平和宣言」の「政治臭」にも毎度うんざりさせられる。既に読売新聞の社説が指摘したように、米国を批判しても、北朝鮮の核開発は批判しない秋葉広島市長の「平和宣言」とは一体どうしたものか。朝鮮労働党の友党であった日本社会党の元代議士であれば、やむからぬことかもしれないが、広島市民を代表する立場からの宣言としては、バランスを欠いたものといわざるをえまい。また、広島・長崎両市長ともに、中国の核軍拡については言及なしで、お構いなしと見えるが、これまた一体どういうわけなのか。
「安からに眠ってください。 過ちはくりかえしませんから」
筆者はこの言葉が以前からあまり好きではない。追悼碑建立時広大教授だった雑賀忠義教授によるものである(雑賀って、孫市の子孫?)。建立まもなくして、広島を訪れたパール判事の批判を機に、「主語論争」なるものを引き起こした。雑賀氏によれば、「過ち」を犯したのは、日本(人)や米国(人)に特定されるものではなく、全人類を指すとのことだが、かりにそれはよれでよしとして、一体「過ち」とは何なのか。原爆投下のみをさすのであれば、その動作主は米国であり、全人類に「過ち」の責任を共有させることは事実認識上問題があるといわざるを得ない。原爆開発をも含めた広義での原爆投下を「過ち」とするのであれば、そこには結果として開発成功にまではいたらなかったものの原爆の研究開発を行っていた日独も含まれえるし、碑文完成当時既に核保有ないしは保有途上にあった、または保有意図を持っていた英ソ仏中などの国々も含まれるべきではあろうが、それでも「すべての人」ないしは「全人類」に「過ち」の責任を負わせるには無理がある。あるいは原爆投下を含めた戦争という人類同士の殺戮を「過ち」とするのであれば、それもまたそれで、筆者の受け入れるところではない。確かに戦争は忌むべきものである。避けうべきは避けるにことしたことはない。しかし、やむを得ずまさに「自存自衛」のために矛を取らざるをえぬ場合もあるわけで、「過ち」としての戦争が自衛行為をも含むものであるとすれば、それは人類や人間集団たる国家の生存権否定の思想にもなりかねまい。
時代とともに、ヒロシマを取り巻く環境が変化してきた。また碑文を目にする人によって、必ずしも雑賀氏とは思いを同じくしない、人それぞれの思い思いの碑文の解釈がなされるのであろうし、またそうであっても良いのではないか、と筆者は思ってみる。雑賀氏の碑文に込めた思いに、解釈が一元化されなければならないといのであれば、それはある種の教条主義である。しかも、ある意味きわめて政治的なメッセージとも受け取れるものが、ただひとつの解釈以外のいかなる解釈も排除するという前提で公共の場所におかれるとすれば、それはそれで行政による思想の強要、思想統制という問題をもはらんでこよう。
筆者なりにあの碑文を解釈するならば、「安らかに眠ってください。次は決して負けませんから」となる。
被爆者への同情と鎮魂の思いとともに、戦争に負けることの惨めさが、毎年原爆忌を迎るたびに我が胸に去来する。
原爆がもたらした惨禍がどれほどのもので、またその悲劇が現在進行形のものであることなど、ここで改めて述べるまでもあるまい。
いかなる理由をもってしても、原爆投下という無差別攻撃が戦時国際法に反する戦争犯罪であることも、またしかり、今更いちいち論ずるべきことでもあるまい(と思っている米国人は極めて稀ではあるが)。
さて、この原爆忌、一体何時まで続けるのだろうか。いや、永遠に続く(続けるつもり)のだろうが、より正確に言えば、一体何時まで今の形式で続けるの?、というのが筆者の疑問とするところなのだ。
まずもって、どうにもこうにも陰気臭い。この陰気臭さは、8月15日の武道館での戦没者慰霊式典にも通ずるものがあるが、この季節の蒸し暑さとあいまって、筆者には正直なところ「うんざり」なのだ。上述したように、原爆の悲劇は61年を過ぎた今も現在進行形である。お祭り気分でやれなどというつもりもないが、だからといってあの陰気臭さのままというのは、いつまでたっても敗戦の惨めさを引きずるっているような気がして、なんだか負け犬の傷をなめ合うような行為にも思えて、筆者としてはどうもいただけないのだ。
筆者が被爆地における原爆忌の式典に共感できないもう一つの理由は、演出のわざとらしさにある。明らかに大人の手によるものか多分に大人の手が加わったであろう作文を炎天下、子供に読ませるあのクサくありきたりな演出にはあきれるしかない。おまけに、今年はハーフの子供(合いの子は今時差別用語? ハーフも? ならば、ハイブリッドとでも言うべき?(笑))まで登場させる「心憎い(笑)」演出まで飛び出した。ハーフがいけないとは決して言うまいが、一体あの人選は誰がどのようにして決めるのだろうか・・・。
「平和宣言」の「政治臭」にも毎度うんざりさせられる。既に読売新聞の社説が指摘したように、米国を批判しても、北朝鮮の核開発は批判しない秋葉広島市長の「平和宣言」とは一体どうしたものか。朝鮮労働党の友党であった日本社会党の元代議士であれば、やむからぬことかもしれないが、広島市民を代表する立場からの宣言としては、バランスを欠いたものといわざるをえまい。また、広島・長崎両市長ともに、中国の核軍拡については言及なしで、お構いなしと見えるが、これまた一体どういうわけなのか。
「安からに眠ってください。 過ちはくりかえしませんから」
筆者はこの言葉が以前からあまり好きではない。追悼碑建立時広大教授だった雑賀忠義教授によるものである(雑賀って、孫市の子孫?)。建立まもなくして、広島を訪れたパール判事の批判を機に、「主語論争」なるものを引き起こした。雑賀氏によれば、「過ち」を犯したのは、日本(人)や米国(人)に特定されるものではなく、全人類を指すとのことだが、かりにそれはよれでよしとして、一体「過ち」とは何なのか。原爆投下のみをさすのであれば、その動作主は米国であり、全人類に「過ち」の責任を共有させることは事実認識上問題があるといわざるを得ない。原爆開発をも含めた広義での原爆投下を「過ち」とするのであれば、そこには結果として開発成功にまではいたらなかったものの原爆の研究開発を行っていた日独も含まれえるし、碑文完成当時既に核保有ないしは保有途上にあった、または保有意図を持っていた英ソ仏中などの国々も含まれるべきではあろうが、それでも「すべての人」ないしは「全人類」に「過ち」の責任を負わせるには無理がある。あるいは原爆投下を含めた戦争という人類同士の殺戮を「過ち」とするのであれば、それもまたそれで、筆者の受け入れるところではない。確かに戦争は忌むべきものである。避けうべきは避けるにことしたことはない。しかし、やむを得ずまさに「自存自衛」のために矛を取らざるをえぬ場合もあるわけで、「過ち」としての戦争が自衛行為をも含むものであるとすれば、それは人類や人間集団たる国家の生存権否定の思想にもなりかねまい。
時代とともに、ヒロシマを取り巻く環境が変化してきた。また碑文を目にする人によって、必ずしも雑賀氏とは思いを同じくしない、人それぞれの思い思いの碑文の解釈がなされるのであろうし、またそうであっても良いのではないか、と筆者は思ってみる。雑賀氏の碑文に込めた思いに、解釈が一元化されなければならないといのであれば、それはある種の教条主義である。しかも、ある意味きわめて政治的なメッセージとも受け取れるものが、ただひとつの解釈以外のいかなる解釈も排除するという前提で公共の場所におかれるとすれば、それはそれで行政による思想の強要、思想統制という問題をもはらんでこよう。
筆者なりにあの碑文を解釈するならば、「安らかに眠ってください。次は決して負けませんから」となる。
被爆者への同情と鎮魂の思いとともに、戦争に負けることの惨めさが、毎年原爆忌を迎るたびに我が胸に去来する。