くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

8月15日への陰鬱にして複雑な思い その2

2006年08月16日 | Weblog
その1では話題が随分と逸れてしまった。

本題に返り、8月15日、今年のこの忌々しい日を語るうえにおいて、小泉首相の靖国参拝を触れぬわけにはいくまい。8月15日参拝の公約を掲げて総理総裁の座についてから5年、自身の任期切れを間近にして、ようやくそれを果たした。筆者的には、昇殿参拝はしたものの、二礼二拍手一礼の形式を踏まなかったことへの不満は残るものの、まずはよしとしよう(なんて、一国の総理大臣閣下に無礼が過ぎるか(笑))。最後の最後とはいえ、また過去四年間8月15日をはずして参拝するという姑息を重ねた挙句とはいえ(小泉首相ご本人もその点では忸怩たるものがあるはずだ)、少なくとも公約を果たしたという点において、最低限の評価はしてもよいかと思う。

世論の反応は、各紙世論調査やYahooなどのネット上の調査に見るとおりである。その結果への驚いた人もいれば、驚かぬ人もいたであろうが、筆者は前者の立場であった。昭和天皇のお心を記した富田メモが出た直後に朝日かどこかの調査によれば、参拝反対が賛成を大きく上回っていた。これは昨年10月の小泉首相参拝後の調査において賛否が拮抗していたとはいえ、賛成が若干上回っていたことを思い出せば大きな変化で、筆者は15日に小泉首相が参拝したとして、富田メモ報道をきっかけに参拝反対へと大きく舵を切った世論が再度賛成へと方向転換することはあるまいというのが筆者の事前予測であった。ところが、である。筆者の予測は見事にはずれた。賛否両論拮抗はしながらも、世論は再び小泉参拝支持へと傾いた。

今回、マスメディアは醜態を晒した。産経を除く主要紙はこぞって、富田メモに勢いづいてか、小泉首相の参拝反対、靖国に変わる国家追悼施設の建設の論陣を張った。15日以前、朝日新聞は、反対多数を理由に参拝中止を訴えた。ところが、世論は、大手メディアの「煽動」には乗らなかった。毎日新聞なぞは、無様なものだった。小泉参拝への反応に関する記事で、参拝支持派よりも反対・批判派の声をより多く紹介してみせたが、それはかえって報道と世論調査の乖離をさらけ出してしまったのだ。靖国問題の「元凶」の一人であり、今更この問題でとやかく言えた立場ではない中曽根大勲位(厚顔無恥という点で、この人物に勝る者を筆者はいまだ見たことがない)が、マスコミをして「小泉以下」と批判したそうだが、まさに朝日、毎日をはじめとするメディアの世論音痴や世論誘導の失敗は、彼らが少なくとも靖国問題に関して、政局同様世論への鋭い嗅覚を持って5年間政権を維持してきた小泉首相に及ばぬことを露呈してみせたのだ。小泉首相に限らず首相の靖国参拝を支持する筆者にとっては、小気味の良いことであった。

しかしながら、今回の小泉首相の靖国参拝に関しては、実は、筆者の心中には複雑なものがある。

そのわけの一つとして、小泉参拝が天皇陛下御親拝の復活のきっかえをつくるとは到底思えないからである。かりに小泉後継の総理が参拝を継続したとしても、同じであろう。繰り返しになるが、筆者の靖国への考えは次のようなものである。殉国者に対する国家としての追悼を考えたとき、幕末維新以来の約250万を数える殉国者を祀る靖国神社が無視されてはなるまい、と筆者は思う。もしその歴史的経緯を理由に靖国という存在に対する忌避感が存在するとすれば、それは筆者が共有すべき歴史感情なり歴史認識ではない(かといって、遊就館の歴史認識に前面的に賛同するわけでもないが)。もっとも、靖国のみをもって戦争に倒れた先人の慰霊が事足りるとは考えてはいないし、改憲なくして、現行憲法下において今のかたちのままに靖国”のみ”を国家護持なり管理することも、残念ながら、法的に無理があると考える(なぜ”のみ”なのかについては、以前に論じたので、ここでは割愛)。ただ、我が国における殉国者・戦没者の慰霊において靖国神社の存在が不可避に大きい以上、それへの国家・国民の統合の象徴たる天皇陛下の御親拝があってしかるべきではないのか。天皇の存在を欠いた国家による追悼など不完全なものと言わざるをえない。つまり不完全ないしは不自然な戦没者追悼が昭和50年以来31年にわたって続いているということだ。しかしながら、富田メモのごときものが出てきた今となっては、小泉首相とその後継者がいかに靖国への参拝を継続し繰り返そうとも、天皇陛下が靖国に御自ら足を向けられることにはなるまい。もっとも、富田メモ並びにそれをめぐる日経の報道については、桜井よし子氏あたりから疑義も呈されている。筆者も新聞報道による抜粋のみをもって冨田メモが記すところの昭和天皇の大御心の全体像を安易に断定すべきでもあるまいし、メモの史料としての信憑性についても今後十分に検証される必要がある。歴史学者である秦郁彦氏は、靖国をめぐる今後の焦点が、天皇御親拝問題に移ると予測している。かりに富田メモが秦氏の言うようなに信の置けるものだとして、その上で御親拝の復活を模索する方向性を取るのであれば、A級戦犯を分祀する以外に道はあるまい。かりに、合祀の状態のままの靖国に天皇陛下の御親拝を仰いたところで(今上陛下ご自身からそれをお望みになることはあるまいが)、いささかも皇運に報いる結果とはなるまい。

二つのわけは、筆者の予想に反して8月15日の靖国への参拝者数が昨年を大幅に上回ったことにある。筆者の記憶ちがいでなければ、昨年は20万人を越えたはずだ。それに対して、今年は約26万を及んだという。たとえそのすべてが靖国の存在や小泉首相の参拝を肯定・支持しているからというわけでもなかろうが、参拝数の増加のみを単純にみるならば、靖国肯定派の筆者としては、本来喜ぶべき結果であるはずだ。マスメディアが参拝反対で騒ぎ、”若干一部”のアジア諸国がそうした日本国内の「スキ」につけ込むかのように外交問題として嘴を挟ねば挟むほど、それへの反発をも含めた反応として、国民意識の中に靖国の存在感が増し、参拝者が増えていく状況は、アンチ靖国の内外勢力にとっては、皮肉な結果かもしれない。そもそも、筆者は、”一部”の外国による小泉首相の靖国参拝への反発や批判は、内政干渉ではなく(なぜなら小泉首相の靖国参拝は政治の問題ではなく首相自身が主張するような個人の「心の問題」であるなら、政治とは関係のない問題であるはずで)、小泉氏という個人が日本国の主権のうちに属する存在であり、また靖国をめぐる「外」との軋轢の背景に歴史観のみならず宗教観の違いがあるとすれば、これはそうしたものをも含めたうえでの国家主権への侵害に該当する行為であると考えている。筆者は、国家主権すなわち国家のそこに属する人間による統治権の行使とは、単に政治的なものだけではなく文化や宗教などを含めた価値観などをも含めたより広範なものを対象とした自主権として解されるべきであると考えるのだ。(また話が逸れた!)しかしながら、富田メモ報道後という状況において参拝者が昨年を大きく上回ったという結果を、筆者は単純には喜べぶことはできない。富田メモに記された先帝のA級戦犯合祀へのお気持ちすなわち大御心が報道されるや世論が首相の靖国参拝に大きく傾いたことをして、いまだ我が国において天皇あるいは昭和天皇の権威ないし影響力というものの存在が無視し得ないものであることの証左と見ることができるかもしれない。ところがその一方で、その大御心の存在にもっかわらず8月15日には昨年以上の参拝者が靖国に足を運び、小泉首相の参拝への支持が不支持を上回り富田メモ報道時の世論調査結果が覆ってしまったのだ。一臣下に過ぎぬ首相の行動が、国民意識のなかにあって、大御心以上の影響力を持ってしまったという見方もできはしまいか。この一事のみを捉えるならば、天皇の権威ないしは存在感の低下のあらわれということではないのか。もっとも、民意なり世論というものは今も昔も(そしておそらく将来においても)移ろいやすい。だが、以下に移ろいやすいとはいえ、三権の長の一人に過ぎぬ首相の行動が、歴世我が国の頂点にあり現在国家国民の統合の象徴たる天皇の大御心に勝る国民への影響力を持ったということは、たとえそれが一時なりとも、筆者には、以前にも増して天皇抜きのナショナリズムというものの可能性あるいは既に存在というものが、特に皇室への関心の低さが指摘されている若年層に、高まりつつあるのではないかと危惧せずにはいられない。

もう一つのわけは、武道館での全国戦没者追悼式典における参列者たちの「お行儀」の悪さである。テレビを見ていて気付いたのは筆者だけではあるまい。式典の間中、いたるところ形態デジカメでの撮影が行われていた。昨今、式典中のカメラ撮影というのは決して無作法なことではないようで、筆者の暮らす地域にある日本人学校の入園、入学、卒業式も、学校関係者や来賓の祝辞そっちのけでわが子の写真を取り続ける親たちを見て、「このバカ親たち!」と腹を立てたものだが、今回追悼式典をTVで見ながら、少なくとも筆者の個人的な価値観のなかではいまだ「無礼」、「無作法」の類の行為が世代を超えてまかり通っていることに、気付かされた。日本人の質の低下の一端を示すものに他ならないと思う。そもそも式典の趣旨は写真撮影ではない。そのことすらも理解せぬかはたまた理解しながらも「撮りたい」という個人の欲望を抑えきれず優先させてしまうのか、はたまた個人の欲望を優先させることに何らの躊躇も感じぬのか、いずれにせよ、情けない話ではないか。全国戦没者追悼式典に関して言えば、言うまでもなく天皇皇后両陛下のご臨席を仰いだわけだが、よもやあのバカども、両陛下に向けて無遠慮にカメラを向けたわけではあるまいな・・・。

日本は大丈夫か・・・?、との少なからぬ不安を感じた8月15日、であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする