「夜回り先生」が講演会をドタキャン。
「夜回り先生」と言っても、ボケて徘徊する先生、ではなくご存知の水谷修先生(50)。
約8000人の聴衆を集めて、本会場以外の複数会場にモニター中継されることを知らされていなかったとして、宮崎市での講演を突如中止してしまったという。いったん登壇したものの、「私はうそつきが嫌いだ」と主催者を批判して下壇してしまったという。
これってありか?、と思うのは筆者だけであろうか? 水谷氏と主催者の側にどのような行き違いがあったかは知らない。
しかしながら、水谷氏と主催者のトラブルは聴衆には関係のないことで、少なくともこの点に関しては日本PTA全国協議会側の言い分に一理あるのではないか。水谷氏の講演を聞きたいと思い足を運んだ多くの聴衆の気持ちを慮れば、ドタキャンという選択にはならないはずだ。かりにモニターでは「生の声」が伝わらないとして、それだけの理由で、聴衆の労と気持ちを踏みにじった水谷氏の行為は大人げないのではない。相手の気持ちへの十分な理解があれば、あるいは自分の講演を聞きにきてくれた人々にいささかなりとも感謝の気持ちがあれば、不満足な条件の下でも、また主催者への怒りがあったとしても、講演を行おうという判断になったはずだ。
筆者には、脚光を浴びその発言が影響力を持つようになった水谷氏に、幾分の驕りなり増長があったのではないかと思う。聞いてもらうというスタンスが、いつしか聞かせる、聞かせてやっているに変わってしまったのではないのか。
子供の気持ちに触れそこに「いいんだよ」と共感する水谷氏が、聴衆の気持ちに思いを馳せることができないといのは実に奇異なことだ。それとも、子供の気持ちは理解できても、大人の気持ちは理解できないといことか。あえて辛らつな言い方をするならば、子供の気持ちへの理解にしても、それは氏自身の手前勝手な思い込みではないのか、と今回の一事を見て思えなくもない。氏は、「夜回り」しているうちに、全国を講演して「回って」いるうちに、いつしかマスコミの寵児となって「猿回し」をさせられ、それに気づかず自分の勝手な思い込みの世界で「空回り」に陥ってしまったのではないだろうか。
さりながら、水谷氏も、「先生」とは言いながら、完全無欠であろうはずはない。
辛らつな批判を浴びせた後で、今更かもしれないがが、
「いいんだよ、先生、誰でも過ちはあるから」
と慰めてあげたい。
「夜回り先生」と言っても、ボケて徘徊する先生、ではなくご存知の水谷修先生(50)。
約8000人の聴衆を集めて、本会場以外の複数会場にモニター中継されることを知らされていなかったとして、宮崎市での講演を突如中止してしまったという。いったん登壇したものの、「私はうそつきが嫌いだ」と主催者を批判して下壇してしまったという。
これってありか?、と思うのは筆者だけであろうか? 水谷氏と主催者の側にどのような行き違いがあったかは知らない。
しかしながら、水谷氏と主催者のトラブルは聴衆には関係のないことで、少なくともこの点に関しては日本PTA全国協議会側の言い分に一理あるのではないか。水谷氏の講演を聞きたいと思い足を運んだ多くの聴衆の気持ちを慮れば、ドタキャンという選択にはならないはずだ。かりにモニターでは「生の声」が伝わらないとして、それだけの理由で、聴衆の労と気持ちを踏みにじった水谷氏の行為は大人げないのではない。相手の気持ちへの十分な理解があれば、あるいは自分の講演を聞きにきてくれた人々にいささかなりとも感謝の気持ちがあれば、不満足な条件の下でも、また主催者への怒りがあったとしても、講演を行おうという判断になったはずだ。
筆者には、脚光を浴びその発言が影響力を持つようになった水谷氏に、幾分の驕りなり増長があったのではないかと思う。聞いてもらうというスタンスが、いつしか聞かせる、聞かせてやっているに変わってしまったのではないのか。
子供の気持ちに触れそこに「いいんだよ」と共感する水谷氏が、聴衆の気持ちに思いを馳せることができないといのは実に奇異なことだ。それとも、子供の気持ちは理解できても、大人の気持ちは理解できないといことか。あえて辛らつな言い方をするならば、子供の気持ちへの理解にしても、それは氏自身の手前勝手な思い込みではないのか、と今回の一事を見て思えなくもない。氏は、「夜回り」しているうちに、全国を講演して「回って」いるうちに、いつしかマスコミの寵児となって「猿回し」をさせられ、それに気づかず自分の勝手な思い込みの世界で「空回り」に陥ってしまったのではないだろうか。
さりながら、水谷氏も、「先生」とは言いながら、完全無欠であろうはずはない。
辛らつな批判を浴びせた後で、今更かもしれないがが、
「いいんだよ、先生、誰でも過ちはあるから」
と慰めてあげたい。
私個人としては、そういう意味では、夜回り先生のスタンス自体は間違っていないのではないでしょうか?
問題は、事前にそういった形態での講演であることが事前に合意されていなかった点ではないか?と思います。
コメント有難うございます。
朝日新聞によれば、主催者側は、会場が複数あることは事前に書面で伝達していたそうですが、モニター中継までは知らせていなかったとか。
これは、土田様のおっしゃるとおり、問題です。主催者側に弁解の余地はない。もっとも、複数会場を文面で知らされた時点で、水谷氏も問題に気付かなかったのかという疑問は残りますけど。忙しくて、文書にじっくり目を通す時間もなかったのでしょうか?
私は、水谷氏の講演を聴かんと集まったやく000人の聴衆の気持ちに思いをはせてみたいと思うのです。主催者側の落ち度とはなんら関係のない聴衆に無駄足をさせたっていのは、いかがなものでしょうか。私は、日頃子供の気持ちを汲み取ろうと砕身取り組んでおられる水谷氏が、聴衆の氏の後援を聞きたいという思いをなぜ汲み取ってげれなかったのだろかと、この点が解せないのです。
講演に対する水谷氏のスタンスは尊重しましょう。ただ、ご自分のスタンスに固執するあまりに、他者の気持ちに慮る余裕を持てなかったのではと、日頃水谷氏の主張には頷けるところもあると思っていただけに残念でならないのです。
なぜ妥協できなかったのかと、残念に思うのです。水谷氏が主催者側の落ち度は公然と批判しても構わないと思います。(だた、「うそつき」は感情的に過ぎて大人気ないと思いますけど)。ただ、どうしてモニター中継では自分の意とするところが十分に伝わらないかもしれないことを前もって断ったうえで、8000人の方々のために講演を続行されなかったのでしょうか。
主義や信念を堅持しようとされる姿はご立派かとは思いますが、それが独りよがりになってしまってはいけないと思うのです。そうした独善の行き着く先を、我々は近い歴史に見てきましたよね。主義のために人が人を人とも思わなくなる悲劇を・・・。
シャバのこともわかっていないくせに講演なんて10年早いよ、こんなのを呼んでいるから日本の教育が悪くなるんだよ。
徹底的にこのような甘い体質元教師を排除すべきなんだよ。
土田さん、あんたな甘いよ、こんな講演なんて絶対に合意なんて言う段階なんてない、事前打ち合わせなんて絶対無いよ。
おれがいつも経験していることだからよくわかる。